ヨルダン周遊(6) 偉大なる水の流れと岩の文様
さて、前回はいきなりペトラ裏口から入ってしまったが、正面のビジターセンター側から入ると、最初に出てくるのは「シーク」と呼ばれる有名な岩のはざまになる。
この狭間の奥に現れるのが、バラ色に輝く「エル・ハズネ」と呼ばれるランドマーク的な遺跡だ。
この狭間なのだが、実は、水の流れが岩の隙間を広げて作った地形なんである。
現在では観光客向けに地面が固められているが、元は川底のような岩ザリザリの場所で、舗装されていない場所にはそれが露出している。エル・ハズネの前の広場のようになっている場所もそう。
写真の左側、岩の表面に溝が掘られているが、これは、川底部分を道として使うために、水を誘導する目的で作られたものになる。
また、雨が降った時は、この谷には周囲の岩の隙間からも水が流れ込むことになる。
それを防ぐために各所にダムが作られている。シークを歩きながら、木や草が生えているポイントを確認してみてほしい。そこが水の流れが隠れている場所なのだ。
ダムのメンテを怠ると水漏れして道が水浸しになる。
逆に言えば、水をうまく誘導できさえすれば、この荒野で人が集まるに足りる水を手に入れることが出来る。
これは途中に水が溜まっていた場所。
シークは、エル・ハズネ方面に向けて緩やかな下りになっている。つまり水は、遺跡のほうに向けて流れ込むことになる。
過去にエル・ハズネ前の広場を発掘した時には地下墳墓らしきものが出てきたそうだが、おそらく貯水槽のようなものもどこかに隠れているのではないかと思っている。でないと、誘導した水の行き先がないからだ。
というか、ビジターセンター横のエントランスから歩いていくと、道の横がずーっと枯れ川なんである。
行った時は雨季ではなかったので水は全然無かったのだが、前の記事に書いたとおり、この沙漠の国では、「水は地面に染み込まない」。
ほんの10ミリ程度の雨ですら洪水になる。
上から見た構造はこうなのだが、枯れ川が合流して水の流れが岩を掘って谷になった場所がシークそのものなんである。
「この構造じゃそりゃ洪水になったら観光客逃げられないわ…」と納得した。
あと、岩の壁面に掘られた彫刻や古代の水路跡などが、2000年の間にほとんど消えてしまっているのは、何度も洪水が起きて削られたからなのだということも容易に理解出来た。岩の隙間だからね、風の影響よりは水だなこれ。
※こちら2018年のニュース、記事に動画あり。
こうならないよう、ナバタイ人はダムや水路の管理をきっちりやっていたのだろう。(それでもたまには溢れてたかもしれないが)
日本人客「近くを濁った土石流が」 ペトラ遺跡洪水
https://www.asahi.com/articles/ASLCB1VPCLCBUHBI00J.html
このシークを抜けると、ゆったりした砂利道が奥の山にあるエド・ディルまで続く平らな道になる。
ただし、その道もすぐとなりに枯れ川が流れている。右手側にあるのが川だ。
つまり、ペトラ遺跡のメイン観光ルートは、川底 or 川のほとりだった平らな場所。逆の言い方をすれば、それ以外の場所はぜんぶ山である。
ツアー客は平らな場所だけ歩くことが多い。観光ガイドに等高線は書かれていない。
だがペトラは、れっきとした「山の遺跡」だ。
低い所に遺跡を作ると水に削られてしまうから、高い場所に作ったものが多い。メインルートから外れたところに書かれている遺跡はぜんぶ坂道の先にある。それらを見て回るには自分の足で登るか、ロバの背に揺られるしかない。
中でも比較的、楽でオススメなのがシークを抜けたところから右手の崖を登っていったところにある、岩壁の墳墓群。
ここは墓内部の岩の模様が極彩色でとても美しい。絵も彫刻もこだわらず、岩肌の模様で勝負している墓なのだ。
ペトラには、彫刻でゴテゴテと装飾した建物はない。エル・ハズネですらわりとシンプルだ。
そして壁面をペイントするという文化があまり無い。例外的に、リトル・ペトラに壁画が残っている穴があるが、それ以外には見かけていない。元々、「絵を描く」という文化ではないのだ。どちらかというと、「岩の天然の色を活かす」という文化。
ペイントはしないのにモザイク画が発展していたのも、「岩の色を活かす」技工の延長線だったからではないかと思う。
この墓の壁面の美しさ、岩肌の美しい場所を狙って掘っているのを見た時、「なるほど、ここに遺跡群が作られた理由はこれか」と腑に落ちた。
この谷の岩肌が色鮮で美しく、ナバタイ人の美的感覚に合っていたから、たくさんの墓所が掘られ、中心都市となっていったのではないかと思う。リトル・ペトラやその周辺の小さな墓穴、あるいは住居として使われた横穴は、いずれも壁面はシンプルな色合いでしかなかった。
この墓所群は必見だと思う…のだが、けっこう山肌を登らないといけないので、ここも健脚向けのルートと言えるだろう。
朝イチで登ればちょうど日陰なので楽なのだが。
…というわけで、納得したのでお土産にサンドボトル買った(笑)
ペトラの色とりどりの岩の欠片を封じ込めて模様を描いた品。何も知らなければ、ただの「お土産として有名なやつ」だが、ナバタイ人の技術を学習した後だと、岩の持つ自然の色を操る技術こそ古代人の技の末裔なのだと理解出来るのだ。
なお、この墳墓群は、Al-khubtha trail というトレイルの前半部分にある。
トレイル後半は、こんな感じの階段をゴリゴリ登って山の上に出たあと、岩の隙間を歩いていく楽しいトレッキングルートになっている。エド・ディルのある山を正面から見られたり、エル・ハズネを上から見下ろせたりと風景の楽しいルートだが、普通に登山なので足に自信のある人向けかなって思う。
登山ルートなので、当然ながら「慣れてる人は早い」「慣れてない人は下りで膝が笑ってひどい目に合う」。
標準コースタイムは2-3時間となっているが、自分の歩いてみた感覚だと1.5時間あればいける。途中に一箇所、地元民がカフェを開いていて水など売っているとこがあったので、最悪そこで補給は出来なくもないが、一部、足を滑らせると谷底へGOな場所もあったので、行くなら余裕のある状態で挑んでほしい。
まとめ読みはこちら
この狭間の奥に現れるのが、バラ色に輝く「エル・ハズネ」と呼ばれるランドマーク的な遺跡だ。
この狭間なのだが、実は、水の流れが岩の隙間を広げて作った地形なんである。
現在では観光客向けに地面が固められているが、元は川底のような岩ザリザリの場所で、舗装されていない場所にはそれが露出している。エル・ハズネの前の広場のようになっている場所もそう。
写真の左側、岩の表面に溝が掘られているが、これは、川底部分を道として使うために、水を誘導する目的で作られたものになる。
また、雨が降った時は、この谷には周囲の岩の隙間からも水が流れ込むことになる。
それを防ぐために各所にダムが作られている。シークを歩きながら、木や草が生えているポイントを確認してみてほしい。そこが水の流れが隠れている場所なのだ。
ダムのメンテを怠ると水漏れして道が水浸しになる。
逆に言えば、水をうまく誘導できさえすれば、この荒野で人が集まるに足りる水を手に入れることが出来る。
これは途中に水が溜まっていた場所。
シークは、エル・ハズネ方面に向けて緩やかな下りになっている。つまり水は、遺跡のほうに向けて流れ込むことになる。
過去にエル・ハズネ前の広場を発掘した時には地下墳墓らしきものが出てきたそうだが、おそらく貯水槽のようなものもどこかに隠れているのではないかと思っている。でないと、誘導した水の行き先がないからだ。
というか、ビジターセンター横のエントランスから歩いていくと、道の横がずーっと枯れ川なんである。
行った時は雨季ではなかったので水は全然無かったのだが、前の記事に書いたとおり、この沙漠の国では、「水は地面に染み込まない」。
ほんの10ミリ程度の雨ですら洪水になる。
上から見た構造はこうなのだが、枯れ川が合流して水の流れが岩を掘って谷になった場所がシークそのものなんである。
「この構造じゃそりゃ洪水になったら観光客逃げられないわ…」と納得した。
あと、岩の壁面に掘られた彫刻や古代の水路跡などが、2000年の間にほとんど消えてしまっているのは、何度も洪水が起きて削られたからなのだということも容易に理解出来た。岩の隙間だからね、風の影響よりは水だなこれ。
※こちら2018年のニュース、記事に動画あり。
こうならないよう、ナバタイ人はダムや水路の管理をきっちりやっていたのだろう。(それでもたまには溢れてたかもしれないが)
日本人客「近くを濁った土石流が」 ペトラ遺跡洪水
https://www.asahi.com/articles/ASLCB1VPCLCBUHBI00J.html
このシークを抜けると、ゆったりした砂利道が奥の山にあるエド・ディルまで続く平らな道になる。
ただし、その道もすぐとなりに枯れ川が流れている。右手側にあるのが川だ。
つまり、ペトラ遺跡のメイン観光ルートは、川底 or 川のほとりだった平らな場所。逆の言い方をすれば、それ以外の場所はぜんぶ山である。
ツアー客は平らな場所だけ歩くことが多い。観光ガイドに等高線は書かれていない。
だがペトラは、れっきとした「山の遺跡」だ。
低い所に遺跡を作ると水に削られてしまうから、高い場所に作ったものが多い。メインルートから外れたところに書かれている遺跡はぜんぶ坂道の先にある。それらを見て回るには自分の足で登るか、ロバの背に揺られるしかない。
中でも比較的、楽でオススメなのがシークを抜けたところから右手の崖を登っていったところにある、岩壁の墳墓群。
ここは墓内部の岩の模様が極彩色でとても美しい。絵も彫刻もこだわらず、岩肌の模様で勝負している墓なのだ。
ペトラには、彫刻でゴテゴテと装飾した建物はない。エル・ハズネですらわりとシンプルだ。
そして壁面をペイントするという文化があまり無い。例外的に、リトル・ペトラに壁画が残っている穴があるが、それ以外には見かけていない。元々、「絵を描く」という文化ではないのだ。どちらかというと、「岩の天然の色を活かす」という文化。
ペイントはしないのにモザイク画が発展していたのも、「岩の色を活かす」技工の延長線だったからではないかと思う。
この墓の壁面の美しさ、岩肌の美しい場所を狙って掘っているのを見た時、「なるほど、ここに遺跡群が作られた理由はこれか」と腑に落ちた。
この谷の岩肌が色鮮で美しく、ナバタイ人の美的感覚に合っていたから、たくさんの墓所が掘られ、中心都市となっていったのではないかと思う。リトル・ペトラやその周辺の小さな墓穴、あるいは住居として使われた横穴は、いずれも壁面はシンプルな色合いでしかなかった。
この墓所群は必見だと思う…のだが、けっこう山肌を登らないといけないので、ここも健脚向けのルートと言えるだろう。
朝イチで登ればちょうど日陰なので楽なのだが。
…というわけで、納得したのでお土産にサンドボトル買った(笑)
ペトラの色とりどりの岩の欠片を封じ込めて模様を描いた品。何も知らなければ、ただの「お土産として有名なやつ」だが、ナバタイ人の技術を学習した後だと、岩の持つ自然の色を操る技術こそ古代人の技の末裔なのだと理解出来るのだ。
なお、この墳墓群は、Al-khubtha trail というトレイルの前半部分にある。
トレイル後半は、こんな感じの階段をゴリゴリ登って山の上に出たあと、岩の隙間を歩いていく楽しいトレッキングルートになっている。エド・ディルのある山を正面から見られたり、エル・ハズネを上から見下ろせたりと風景の楽しいルートだが、普通に登山なので足に自信のある人向けかなって思う。
登山ルートなので、当然ながら「慣れてる人は早い」「慣れてない人は下りで膝が笑ってひどい目に合う」。
標準コースタイムは2-3時間となっているが、自分の歩いてみた感覚だと1.5時間あればいける。途中に一箇所、地元民がカフェを開いていて水など売っているとこがあったので、最悪そこで補給は出来なくもないが、一部、足を滑らせると谷底へGOな場所もあったので、行くなら余裕のある状態で挑んでほしい。
まとめ読みはこちら