ヨルダン周遊(10) 新石器時代の遺跡アル・ベイダと「沙漠に人が棲む理由」
最後におまけとして、ペトラ遺跡に行く途中で立ち寄ったアル・ベイダ(Beidha/Bayda)遺跡について書いておこう。
旅の最初に、首都アンマンでアイン・ガザルの像を見たが、それが作られた時代に近い遺跡なので外せなかったのだ。
概要は英語版Wikipediaにあるが、先土器新石器時代Bの頃から農耕・牧畜で暮らしていた人々の集落がある。
ここも保護区の一部であり、近所の住民以外は車を使えない。(なので住民が自家用車にハイカーを乗せて小遣い稼ぎをしているのだが)
リトル・ペトラの入り口から徒歩で行くルートが最短で、リトル・ペトラ入り口のゲートから左手に曲がり、車止めのバーをくぐって歩いていくと10分ほどで到着する。こんな感じの道だ。
ここも途中の岩に遺跡が作られているのだが、地元民がヤギとかヒツジを放牧していて家畜小屋状態になっている。
遺跡は、居住されていた年代の長さのわりにあまり深い場所にはない。右側の掘ってないところとの差を参照。
現代では乾燥気候で植生が失われているため、雨が降る旅に土砂が流出して丘がすり減ってる可能性はある。
外側のほうに古い時代の、日本で言う縄文時代の高床式のような丸い基礎を持つ家があり、中心に近い部分に大きめの四角い基盤を持つ家がある。最大人口は150人から250人程度と見積もられているので、「少し大きめの村」くらいの人口規模か。おそらく、この丘の周辺にも関連する遺跡は隠れているのだろうが、まだあまり発掘されていないようだ。
なお、「アル・ベイダ」という名前は遺跡の固有名詞というより場所名であり、「ベイダ」は遺跡周辺の住所でもあるらしい。遺跡の位置を住民に尋ねると、「ベイダはここだよ??」みたいな返事が帰ってくるので、「新石器時代の遺跡のあるとこ」って聞かないとだめかもしれない。
ちなみにその近所の民は、そのへんで拾ったナトゥーフィアン石器を売りつけようとしてくる。
いやうん、たしかに遺跡の周りには自然に落ちてることはあるんだけどさ、売るんだw みたいな。
たぶん発掘されていないだけで、まだ他にも同時代の遺跡は周辺にたくさん隠れているんだろうな、と思った。
で、ここには先史時代の住居復元モデルがいくつか作られている。
人もいないのでワクワクしながら出入りしてみたのだが、正直びみょうだった。
何が微妙かというと、あんまり快適じゃないんである。
【復元1】
多少涼しいが、暗い。風通し悪くて、なんかヤギくさい。
【復元2】
あづい。
熱風がガンガン吹き付けるので家の中に居る意味がない。
そもそも何で入り口が南向きなのか…眩しい…。
日差しが強いせいもあり、復元1は中に入った瞬間は真っ暗で何も見えない。せめて明り取り窓はつけてほしい。
復元2は、これなら家立てるよりすぐ後ろにある岸壁掘ったほうが快適じゃない?? ってレベル。
今とは気候が違っていたとしても、これを手間ひまかけて家として作る理由がわからんぞって感じ。後世には岩掘って家を作っているわけだし、その選択肢より快適な家が出来ないと、わざわざ家を作る意味がないのでは。
なんかもうちょっと工夫ほしいなあ、って感じの復元だった。
この遺跡はアナトリア周辺で撮れた黒曜石なども出土しているようなのだが、近い時代のアナトリアの遺跡だと壁に漆喰を塗っていたところがあったはず。この地域だと漆喰よりは泥を塗りそうな気もするが、泥塗りで固めるとどうなるんだろう。もしかしたら、昔の日本家屋の土壁のように冷却効果が出るのでは? とも思った。
なお、この遺跡に行ってみようと思った理由の一つは、各種資料を見ても「何でここに人が住んだのか」と「何でペトラから外れた場所掘ろうと思ったのか」がよくわからんかったからだ。
行ってみたらすぐ理由わかったわ…。
後ろが枯れ川になってる。
そう、ここ「水辺に面した高台」という、初期の人類が居住しやすいベストプレイスだったのだ。
それ資料に書いといてくれよ!!! てか地形図に入れといてほしい。「川が隣です」って。現代の気候だと雨が降ったときしか流れない川だとしても…。
(こういうのわりと重要。インドの遺跡でも、雨季に行かないと真の姿がわからん遺跡って見た覚えがある。学者は発掘しやすい乾季に行ってるから川の位置に気づいてなかった、とか)
これは、ここ掘るわ。うん。
周囲見渡すと住みやすいのここしかないので、このへんで石器落ちてたらそらここ掘るわ。
で、遺跡の横にある謎の道が雨降ったときには川が出現する場所だと気がつくと、手前にあるこの浅い谷も「枯れ川の流れが集中して、雨季になると濁流が下るから抉れたんだな」って分かる。この谷みたいなのはリトル・ペトラのすぐ側を通過している。雨が降ると風景が一変するんだなってことはすぐに見当がつく。
ここに行くまでに、ヨルダン北部から遺跡巡りをしつつ、水の利用方法や、沙漠の国で雨が降るとどうなるかを学んできた。
「この国では川は雨が降ったあとにしか出現しない」「沙漠では水は地面に吸い込まれず流れ去る」といった知識が無ければ、この地面が凹んでるとこが何なのか分からなかったかもしれない。
中の人は、沙漠の国で雨が降ったとき洪水に遭いやすい場所の見分け方スキル(Lv.1)を取得した。
そして、沙漠の国でなぜ人が棲めるのか、なぜ人が文明を築けたか、という謎に、自分なりの答えも出せたのだった。
結論から言うと、――沙漠には、以外と水がある。
日本のように、常に流れ続ける川はほとんど無い。降雨も限られている。
しかし、その雨は地面に染み込まないがゆえに、人工的な手法で貯めることは容易だった。
日本の治水は、雨が振りすぎて洪水が起きることを防ぐイメージであることが多いが、沙漠の治水は、季節ものである降水をいかに制御し、利用できる形に持っていくかというイメージになっている。そして、地下水などにアクセスできる場所を見つけて、その知識を共有することが、コミュニティの生成にも繋がる。
治水さえ出来れば、そして知識を共有出来れば、沙漠でも人は棲める。そう、他の動物はほとんど住めないが、知恵持つ「人間ならば」棲むことが出来る。
これが沙漠に人が住んだ理由の一つなのだと思う。天敵となる大型の動物は住めないし、知識のない外部の敵も簡単には入り込めない安全圏だから…。
今回は、沙漠の居住環境に対する知見をたくさん得ることが出来た。非常に有意義な旅が出来たと思う。
まとめ読みはこちら
旅の最初に、首都アンマンでアイン・ガザルの像を見たが、それが作られた時代に近い遺跡なので外せなかったのだ。
概要は英語版Wikipediaにあるが、先土器新石器時代Bの頃から農耕・牧畜で暮らしていた人々の集落がある。
ここも保護区の一部であり、近所の住民以外は車を使えない。(なので住民が自家用車にハイカーを乗せて小遣い稼ぎをしているのだが)
リトル・ペトラの入り口から徒歩で行くルートが最短で、リトル・ペトラ入り口のゲートから左手に曲がり、車止めのバーをくぐって歩いていくと10分ほどで到着する。こんな感じの道だ。
ここも途中の岩に遺跡が作られているのだが、地元民がヤギとかヒツジを放牧していて家畜小屋状態になっている。
遺跡は、居住されていた年代の長さのわりにあまり深い場所にはない。右側の掘ってないところとの差を参照。
現代では乾燥気候で植生が失われているため、雨が降る旅に土砂が流出して丘がすり減ってる可能性はある。
外側のほうに古い時代の、日本で言う縄文時代の高床式のような丸い基礎を持つ家があり、中心に近い部分に大きめの四角い基盤を持つ家がある。最大人口は150人から250人程度と見積もられているので、「少し大きめの村」くらいの人口規模か。おそらく、この丘の周辺にも関連する遺跡は隠れているのだろうが、まだあまり発掘されていないようだ。
なお、「アル・ベイダ」という名前は遺跡の固有名詞というより場所名であり、「ベイダ」は遺跡周辺の住所でもあるらしい。遺跡の位置を住民に尋ねると、「ベイダはここだよ??」みたいな返事が帰ってくるので、「新石器時代の遺跡のあるとこ」って聞かないとだめかもしれない。
ちなみにその近所の民は、そのへんで拾ったナトゥーフィアン石器を売りつけようとしてくる。
いやうん、たしかに遺跡の周りには自然に落ちてることはあるんだけどさ、売るんだw みたいな。
たぶん発掘されていないだけで、まだ他にも同時代の遺跡は周辺にたくさん隠れているんだろうな、と思った。
で、ここには先史時代の住居復元モデルがいくつか作られている。
人もいないのでワクワクしながら出入りしてみたのだが、正直びみょうだった。
何が微妙かというと、あんまり快適じゃないんである。
【復元1】
多少涼しいが、暗い。風通し悪くて、なんかヤギくさい。
【復元2】
あづい。
熱風がガンガン吹き付けるので家の中に居る意味がない。
そもそも何で入り口が南向きなのか…眩しい…。
日差しが強いせいもあり、復元1は中に入った瞬間は真っ暗で何も見えない。せめて明り取り窓はつけてほしい。
復元2は、これなら家立てるよりすぐ後ろにある岸壁掘ったほうが快適じゃない?? ってレベル。
今とは気候が違っていたとしても、これを手間ひまかけて家として作る理由がわからんぞって感じ。後世には岩掘って家を作っているわけだし、その選択肢より快適な家が出来ないと、わざわざ家を作る意味がないのでは。
なんかもうちょっと工夫ほしいなあ、って感じの復元だった。
この遺跡はアナトリア周辺で撮れた黒曜石なども出土しているようなのだが、近い時代のアナトリアの遺跡だと壁に漆喰を塗っていたところがあったはず。この地域だと漆喰よりは泥を塗りそうな気もするが、泥塗りで固めるとどうなるんだろう。もしかしたら、昔の日本家屋の土壁のように冷却効果が出るのでは? とも思った。
なお、この遺跡に行ってみようと思った理由の一つは、各種資料を見ても「何でここに人が住んだのか」と「何でペトラから外れた場所掘ろうと思ったのか」がよくわからんかったからだ。
行ってみたらすぐ理由わかったわ…。
後ろが枯れ川になってる。
そう、ここ「水辺に面した高台」という、初期の人類が居住しやすいベストプレイスだったのだ。
それ資料に書いといてくれよ!!! てか地形図に入れといてほしい。「川が隣です」って。現代の気候だと雨が降ったときしか流れない川だとしても…。
(こういうのわりと重要。インドの遺跡でも、雨季に行かないと真の姿がわからん遺跡って見た覚えがある。学者は発掘しやすい乾季に行ってるから川の位置に気づいてなかった、とか)
これは、ここ掘るわ。うん。
周囲見渡すと住みやすいのここしかないので、このへんで石器落ちてたらそらここ掘るわ。
で、遺跡の横にある謎の道が雨降ったときには川が出現する場所だと気がつくと、手前にあるこの浅い谷も「枯れ川の流れが集中して、雨季になると濁流が下るから抉れたんだな」って分かる。この谷みたいなのはリトル・ペトラのすぐ側を通過している。雨が降ると風景が一変するんだなってことはすぐに見当がつく。
ここに行くまでに、ヨルダン北部から遺跡巡りをしつつ、水の利用方法や、沙漠の国で雨が降るとどうなるかを学んできた。
「この国では川は雨が降ったあとにしか出現しない」「沙漠では水は地面に吸い込まれず流れ去る」といった知識が無ければ、この地面が凹んでるとこが何なのか分からなかったかもしれない。
中の人は、沙漠の国で雨が降ったとき洪水に遭いやすい場所の見分け方スキル(Lv.1)を取得した。
そして、沙漠の国でなぜ人が棲めるのか、なぜ人が文明を築けたか、という謎に、自分なりの答えも出せたのだった。
結論から言うと、――沙漠には、以外と水がある。
日本のように、常に流れ続ける川はほとんど無い。降雨も限られている。
しかし、その雨は地面に染み込まないがゆえに、人工的な手法で貯めることは容易だった。
日本の治水は、雨が振りすぎて洪水が起きることを防ぐイメージであることが多いが、沙漠の治水は、季節ものである降水をいかに制御し、利用できる形に持っていくかというイメージになっている。そして、地下水などにアクセスできる場所を見つけて、その知識を共有することが、コミュニティの生成にも繋がる。
治水さえ出来れば、そして知識を共有出来れば、沙漠でも人は棲める。そう、他の動物はほとんど住めないが、知恵持つ「人間ならば」棲むことが出来る。
これが沙漠に人が住んだ理由の一つなのだと思う。天敵となる大型の動物は住めないし、知識のない外部の敵も簡単には入り込めない安全圏だから…。
今回は、沙漠の居住環境に対する知見をたくさん得ることが出来た。非常に有意義な旅が出来たと思う。
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