専門家がまじめに反論本を出した「土偶を読む」、なぜ売れたのかさっぱり分からない内容だった

少し前に、「土偶を読むを読む」という本が話題になっていた。
「土偶を読む」という本が出て絶賛されたが、その内容があまりにデタラメだというので本職の考古学者が反論本を出したのだ、
で、なんか内輪モメでもやってんのかぁーん? みたいな感じで眺めていたのだが、たまたま図書館にあったのでついでに読んでみたら、思ってたのと全然違ってた。

反論の元になった「土偶を読む」、学術書や考古学本ではなく、昔なつかしのダメなオカルト本テンプレだったのだ。

↓これが問題の本
土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎 - 竹倉 史人
土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎 - 竹倉 史人

↓こっちが反論本
土偶を読むを読む - 望月昭秀, 小久保拓也, 佐々木由香, 山科哲, 山田康弘, 金子昭彦, 菅豊, 白鳥兄弟, 松井実, 吉田泰幸
土偶を読むを読む - 望月昭秀, 小久保拓也, 佐々木由香, 山科哲, 山田康弘, 金子昭彦, 菅豊, 白鳥兄弟, 松井実, 吉田泰幸


「土偶を読む」については、正直、めくった時点で「これは…w」と思ってしまった。
土偶はクリやトチなど当時食べられていたものに似ている、だから植物を象った植物儀礼のもので人間ではない、という感じの話が続き、土偶の写真と植物(トチの実とかクリとか)が並べられ、似ている! 似ている! とずーっと続くのだが、そもそもあんまり似てないものも多いし、論拠も薄く、しかも写真が説に合うように選定されている。
データも恣意的になっている。

どう見たって人間の形をしている土偶を相手に、「似てる」だけで植物や海産物を当てはめて、それに合わせて都合のいい根拠だけ並べていくのだから、典型的なオカルトのテンプレ(それも一昔前の。マヤの石棺の蓋が宇宙飛行士に似てる! とか言ってた時代の)である。
あと、エジプトでいえば、もう20年以上前にあった「ピラミッドとオリオン・ミステリー」とか。専門家は事実を黙殺している! などと息巻くところまでテンプレ的なオカルト本のままだ。

ただ、オリオン・ミステリーを世間に知らしめたグラハム・ハンコックは、それなりに資料は集めていたし、フットワークも軽かった。少なくとも知識はあった。
今回の本は、縄文あんまり知らない私でもツッコめるレベルの間違いがすぐ見つかる程度だったのでちょっとね…。

今の時代に、これはキツい。
SNSのある時代なんだからそりゃ総ツッコミですよ。なんかちょろちょろ批判してる人がいるなーと思ってたんだけど、その理由が分かった。
そりゃダメ出しされるわ。



逆に、これだけ分かりやすくダメな書き方・構成をしている本なのに、何故これを肩書のある人が推したのか、NHKまで加担したのかは、さっぱり分からない。


発想自体はまぁ面白いといえば面白いが、説の組み立て方がダメなので、私は初っ端でだいぶ読むのがキツくなってしまった。正直に言えば、学術的に見るものは皆無だ。
そんな本でも宣伝されまくって売れてしまえば、放置は出来ないだろう。あまりにあまりな内容なので、これを初心者が最初に読むのは危険だ。これをきちんと読み込んで反論本を出した専門家の人たちはえらい。苦行に耐えただろうことは想像がつく。

それが「土偶を読むを読む」のほうで、冒頭の1/3くらいで丁寧にどこが間違っているのかなど丁寧に検証している。
さすがにマジメに書くのが辛かったのか、口調はバード川上風にユーモアを加えている。
そして後半では土偶マニア育成のためのテキストや学者たちの座談会が収録されている。

この反論本を読んでみたとき、自分は、ちょっと悲しくなった。
元の「土偶を読む」のほうには、本の1/3で反論が終わる程度の内容しかないのだな…と。
そもそもの「似てる」とした根拠がほぼそれしかなく、使われているデータもデータというほどの質・量が無いのでしょうがないのだが、たとえば「黒いアテナ」という本が出た時の批判・反論は、電話帳かという分厚さになり、さらにその批判に対して出された「『黒いアテナ』批判に答える」が漬物石レベルだった。
それらと比べると…。

元の本の著者が持ってるデータ量と、専門家が使えるデータ量に差がありすぎて、議論にすらならないのだ。専門家の意見や定説に挑む場合は、それなりの質・量のデータを揃えないと、そりゃ返り討ちになるに決まっている。
土偶と植物の類似を語るにしても、もうちょっと練り上げようはあっただろうに。



取りあえず気になるのは、この明らかに根拠の薄い説を唱える奇抜な内容の本を一般人がどの程度信じたのか、ということだ。
本屋で平積みにされてる話題の本だし、考古学に興味あるからちょっと読んでみようかなー、程度の軽い気持ちで手にして読み流しただけなのか。それとも、がっつり「そうなんだ!!」と納得したのか。

前者の人はたぶん細かい内容まで覚えてないだろうからいいとして、後者ならわりと問題だ。
さすがに、多くの人は読んでるうちに「??」とはなったとは信じたい。縄文時代に興味なくたって、本物の土偶くらい見たことがあるだろう。本物はなくても、レプリカくらいなら。うちにも四体ほどレプリカがいる。

もしならなかった人が多いんだとしたら、たぶん専門家の発信が足りていない。それに自国の歴史に無関心という問題も見えてくる。
それはそれで、本への反論とは別に対応が必要なのでは、と思う。