エジプト史から見る「古代ギリシャ」はめっちゃ最近。ピラミッド作ってた時代にはギリシャ無いよ

エジプト・ギザにある大ピラミッドの周辺からは、オリーブの炭化した種が見つかっている。当時からオリーブやオリーブオイルが輸入されていたのではないかと考えられている。
だが、それを「ギリシャとの交易」と書いてしまうと不正確になる。なぜなら、ギザにピラミッドが作られていた紀元前2500年頃、ギリシャ文明はまだ存在しないからだ。

…というわけで、ここでは「ギリシャって東地中海世界では新参者だよ」「古代エジプト史から見たギリシャは紀元前1000年まで登場しないよ」という話をしておきたい。
古代エジプトやメソポタミアからの視点でいくと、古代ギリシャの登場は紀元前1000年ごろ、古代ローマの登場は紀元前500年ごろ、と覚えておくと、だいたい正しい。

ではそれ以前は? というと、ミケーネ文明(クレタ島)あたりになる。
また、現代のギリシャの国周辺が無人だったわけでもないので、ギリシア人がやってくる以前からいた人たちの文化はある。

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以下にざっとした年表を置いておく。
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★出典元「ギリシア文明とはなにか」(講談社)

これを時間軸を均等にして、少し情報を整理して作った年表が以下。
こうすると意味がよく分かると思うのだ。古代エジプトが古くから認識していた「北の海の向こうの文化圏」は、基本的にクレタ島/ミノア文明で、ギリシャ人は後発新参なのだ。ヘロドトスの「歴史」でもエジプト人がギリシャ人相手に歴史マウントを取っていた記述が出てくるが、せいぜい数百年ぶんしか無いギリシャと、その何千年も前から歴史を記録していたエジプトでは、実際に文化の厚みや歴史の格が違っていた。

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なので、ピラミッド作ってた時代の「ギリシャからの輸入」は、多くの人がイメージする、いわゆる古代ギリシャではなく、東地中海に浮かぶ島嶼地域のことだと思ったほうがいい。広義な意味でのギリシャ文化圏ではあるのだが、のちの植民地時代のギリシャとは別ものだ。


この前提が共通認識として無いと、話が初っ端から通じないことになるので、次回の説明の手間を省くために自分用に書いておくw
まあね、これギリシャからの視点しかない人だと意外と気づかんことかもしれん…。


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オマケとして、ヒッタイトを滅ぼしたとされる「海の民」諸部族の中に、のちのアカイア人と思われる民族名が見つかっている。
以下でさらりと触れたのだが、「海の民」という名称はエジプトの記録には実際に出てこなくて、その部分は多数の民族名が列記されている。

今更だけど「海の民」についてちょっとだけまとめておく。これは民族名ではないですよ。
https://55096962.seesaa.net/article/202011article_7.html

ミケーネ文明の衰退のち、ギリシャ人の植民地が作られ始めるまでの空白期間、目立つまとまりは作っていなくても、アカイア人やドーリス人は東地中海世界をウロウロしていたと思われる。そして一部はエジプトまで来て傭兵したり、住み着いたりもしていた。
つまり年表上は空白でも、別に関係が断絶していたわけではないと思われる。