ヨーロッパの奴隷貿易はヨーロッパの奴隷貿易はどこまでアフリカ史に影響したか。全然関係ない地域もあるよ

大航海時代、ヨーロッパ列強がアフリカで非人道的なことをやらかしたのは、多少歴史をかじってる人なら、ある程度は知っていると思う。
具体的には、植民地支配、奴隷交易など。
これは現代に至るまで尾を引く問題で、ヨーロッパ=白人=発展している、アフリカ=黒人=発展途上 という対立の図式にもなっている。

しかし、ことはそう単純ではない。

●ヨーロッパ列強の影響をさほど受けていない地域もある
●現代に至る発展途上や貧困の歴史の原因は必ずしもヨーロッパではない



一例を挙げると、グレート・ジンバウエ遺跡で有名なジンバブエだ。

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出典元:「グレートジンバブウェ―東南アフリカの歴史世界」(講談社)

この地域は、中世までは栄えており、遺跡に代表される「王国」が存在していた。しかしその後は急速に衰退し、小王国が並立する部族社会へと逆戻りしてしまう。
これを1700年代のポルトガルによる支配のせいにしてしまう現地知識人が多い、という話が掲載したスクショ部分なのだが、結論から言うと実際はそうは考えにくい。何故かというと、歴史を追っていくと、ポルトガルが東南アフリカに進出していた時期は短く、完全に支配できていたわけでもないからだ。

そもそもの原因は、金鉱の枯渇ではないかと著者は言う。ジンバブエに王国が栄えた時期は金の生産量が多く、王の権威は威信財によって支えられていた。それが金鉱が枯渇することにより失われ、歴史が逆行するように小国乱立の状態になる。つまりは、この地域固有の問題が社会構造に影響していたのだと思う。
それは、一言で原因を言い表すのが難しい現象だ。だからこそ、人は不正確でも簡単なほうの結論に飛びつきたくなるのだろうが。

このように、実際には国ごとに辿ってきた歴史も、関与したヨーロッパの国も、関与度も異なる。
アフリカ全土を「黒人」とまとめるのも乱暴ながら、単なる被害者に押し込めてしまうのも雑すぎるのだ。そもそも、大航海時代の負の遺産は確かに存在するだろうが、五百年近くも前の影響を今まで引きずっているのなら、それはそれで問題がある。時間はあったのに立て直せなかったのか? とツッコみたくもなる。

ジンバブエだけではない。他の国の知識人でも、同じように「ヨーロッパの責任」を口にする人に会ったことがある。
しかし、それは単に被害者の顔で言い訳をしているだけではないのかと首を傾げた。ただ、これはその国の歴史の研究があまり研究されていないからでもあると思う。
我々が日本の歴史を学ぶなら、日本語で書かれた歴史書を読むと思う。もし自国語の読みやすい歴史書がないか、出てはいるけどプロバガンダまみれで偏った内容になっていたりしたら、「正しい歴史とはなにか」とか「公正な第三者目線の歴史とはどうあるべきか」みたいなところからスタートになってしまう。

そしてこれは、最近までヨーロッパ目線でしか歴史書が出されていなかったこと、その中で大航海時代の蛮行が過小評価されがちだったことと裏表の事象である。ヨーロッパの大学に出るか、外国語を学んだアフリカ人が、他人目線で都合良く書かれた自国の歴史を読んだ時にどう思ったか。


地理的にも心情的にも遠いアジア人、ことに日本人は、こうしたすれ違いの事情や背景を意識しないことが多い。
ただ、片っ端から「ヨーロッパのせい」「大航海時代に酷いことをされたせい」という型にはめた論調を放置するのは。史実と歴史研究の敗北になる。
そして、加害者と被害者という図式に当てはめて、無関係なアジア人として大上段に構えて一方を批判して一方を援護したりすると、さらに恥ずかしいことになる。

「黒人」は常に被害者だったわけではないし、常に弱い立場だったわけでもない。
(そもそもアフリカ全般をそう呼ぶこと自体が雑すぎるのだが…)
実際に非人道的な扱いを受けた歴史はあるにせよ、どこまでがその影響範囲なのかは見極めておくべきだと思う。


ちなみに、ここでは大航海時代の話だけを中心に話しているので、より近代の出稼ぎ労働者などの話は考慮に入れていない。
西アフリカだけでも地域ごとに事情は様々で、現在進行系でヨーロッパの事情に左右されている地域として西サハラやマリがある。またモロッコも特殊な事情を抱えている。
そのへんは個別に調べてみると面白いかもしれない。


以上、近頃の黒人復権運動などを見て思ったことである。

肌の色だけで歴史上の立場が決まるほど、世の中は単純じゃないんだけどね…と。
歴史をよく知りもしないで人権とか語るのは、ぶっちゃけ何も考えてないのと同じことなので、語るなら勉強していきましょうねということで。