古代エジプト・中王国時代のミニチュア来世、メケトラーの遺物一覧
メケトラーとは、古代エジプトの中王国時代、第11王朝~第12王朝にかけて王家に仕えた高官である。
分裂していた国土を再統一したとされるメンチュヘテプ2世から、第12王朝最初のアメンエムハト1世までの間に生きていたとされ、かなりの激動の時代だったと思われる。ちなみに第12王朝は王位簒奪王朝だったとされる。その時代に高官だったなら、彼も王位簒奪に一枚噛んでた可能性はある。
という歴史の話はさておき、このメケトラーという人物の墓がけっこう面白い。というか、中王国時代の代表的な美術が彼の墓から出ているので、たぶん多くの人は気づかずに一度は見ていると思う。その美術とは、中王国時代に特有の「理想の来世ミニチュア」である。


たとえば、こういうかんじの「船を漕いでる人たちのミニチュア」とか、ビールづくり、粉挽き、ガチョウや穀物の束を抱えている人や小さな箱庭、自宅など。
生活風景をミニチュアに落とし込んだものを墓に入れて、幸せな日常を来世に持っていこうとするのは、中王国時代に特有のもので、他の時代ではあまり見られない。前の時代になる古王国時代だと、壁画に日常を描くことはあっても、使用人まで形にする風習はなく、彫像として入れるのは本人の像だけだった。
で、この彫像なのだが、「偶然見つかった」というエピソードがある。
メケトラーの墓、TT280は略奪を受けていて、棺やめぼしい副葬品などはほとんど失われていたという。最初に発掘したのは複数の大富豪たちで、お宝探し的なものだったようなのだが、それらは不首尾に終わっている。
その後、メトロポリタン博物館が丁寧に学術的な発掘をした際に見つかったのが、これらの遺物だったのだ。
そのため、一部の発掘品は現在もメトロポリタンにあり、残りがカイロ博物館に収蔵されている。
リスト↓
https://mk-tomb-models.net/BURIALS/Qurneh_TT280_Meketre.html
で、「前に宝探しの連中入ってるのにそんなに見つからんもんなんかぁ~?? ん~?」てなったので、ちょっと墓の構造とかを調べてみた。
そしたら理由が分かった。

上が横からの断面図、下が真上からの見取り図。
なんか廊下の中途半端な場所に穴があって、そこにぎっちり収められてる。
画像を探してみたらこんな感じで、うーんこれはわからんかなぁ…と納得した。
https://egyptophile.blogspot.com/2016/03/la-tombe-de-meketre-une-grande.html

棺の中身は主人で、模型になっているのは使用人たちだから、これらのミニチュアは、棺の周りに並べるというよりは別室に置かれていることが一般的だと思う。
ということは、別室にあること自体は問題ないのだが、その別室をがっちり作らずに物置小屋みたいな雑な作りにしていたのが、うまく遺物が残るのに功を奏したということだろうか。遺物が残るかどうか、研究者に見つけてもらえるかどうかは、本当に運のめぐり合わせみたいなものなのだなあ、と改めて思った。
今、これらの遺物を、きれいな状態で、どこの墓から見つかったかの情報つきで見ることが出来るのは、そういうわけだ。
メケトラー本人の遺体はとうの昔に失われてしまったけれど、彼の名前は、印象的な遺物とともに今も生きている。
分裂していた国土を再統一したとされるメンチュヘテプ2世から、第12王朝最初のアメンエムハト1世までの間に生きていたとされ、かなりの激動の時代だったと思われる。ちなみに第12王朝は王位簒奪王朝だったとされる。その時代に高官だったなら、彼も王位簒奪に一枚噛んでた可能性はある。
という歴史の話はさておき、このメケトラーという人物の墓がけっこう面白い。というか、中王国時代の代表的な美術が彼の墓から出ているので、たぶん多くの人は気づかずに一度は見ていると思う。その美術とは、中王国時代に特有の「理想の来世ミニチュア」である。


たとえば、こういうかんじの「船を漕いでる人たちのミニチュア」とか、ビールづくり、粉挽き、ガチョウや穀物の束を抱えている人や小さな箱庭、自宅など。
生活風景をミニチュアに落とし込んだものを墓に入れて、幸せな日常を来世に持っていこうとするのは、中王国時代に特有のもので、他の時代ではあまり見られない。前の時代になる古王国時代だと、壁画に日常を描くことはあっても、使用人まで形にする風習はなく、彫像として入れるのは本人の像だけだった。
で、この彫像なのだが、「偶然見つかった」というエピソードがある。
メケトラーの墓、TT280は略奪を受けていて、棺やめぼしい副葬品などはほとんど失われていたという。最初に発掘したのは複数の大富豪たちで、お宝探し的なものだったようなのだが、それらは不首尾に終わっている。
その後、メトロポリタン博物館が丁寧に学術的な発掘をした際に見つかったのが、これらの遺物だったのだ。
そのため、一部の発掘品は現在もメトロポリタンにあり、残りがカイロ博物館に収蔵されている。
リスト↓
https://mk-tomb-models.net/BURIALS/Qurneh_TT280_Meketre.html
で、「前に宝探しの連中入ってるのにそんなに見つからんもんなんかぁ~?? ん~?」てなったので、ちょっと墓の構造とかを調べてみた。
そしたら理由が分かった。

上が横からの断面図、下が真上からの見取り図。
なんか廊下の中途半端な場所に穴があって、そこにぎっちり収められてる。
画像を探してみたらこんな感じで、うーんこれはわからんかなぁ…と納得した。
https://egyptophile.blogspot.com/2016/03/la-tombe-de-meketre-une-grande.html

棺の中身は主人で、模型になっているのは使用人たちだから、これらのミニチュアは、棺の周りに並べるというよりは別室に置かれていることが一般的だと思う。
ということは、別室にあること自体は問題ないのだが、その別室をがっちり作らずに物置小屋みたいな雑な作りにしていたのが、うまく遺物が残るのに功を奏したということだろうか。遺物が残るかどうか、研究者に見つけてもらえるかどうかは、本当に運のめぐり合わせみたいなものなのだなあ、と改めて思った。
今、これらの遺物を、きれいな状態で、どこの墓から見つかったかの情報つきで見ることが出来るのは、そういうわけだ。
メケトラー本人の遺体はとうの昔に失われてしまったけれど、彼の名前は、印象的な遺物とともに今も生きている。