アーサー王伝説の北欧版「フェロー諸島のバラッド」と何故か登場するフン族の王について
アーサー王伝説は、各国語で様々に語られたバリエーションがある。どれが原典に近いとかいうことはない。共通のキャラクターや大雑把な下敷きを共有した作品群だ。そのうちの一つが、「フェロー諸島のバラッド」。フェロー諸島は大西洋に浮かぶ島で、ノルウェーとアイスランドの中間にある。ただし所属はデンマーク。
この絶海の孤島に近いような場所にアーサー王伝説のバリエーションが存在する。
文書として記録されたのは18世紀後半以降だが、「バラッド」の名の通り、それまでは口伝として歌われ続けていた。
フェロー諸島のアーサー王物語: バラッド『ヘリントの息子ウィヴィント』をめぐって - 林邦彦
参考:フェロー諸島についてのデンマーク大使館公式情報
https://japan.um.dk/ja/info-about-denmark/the-faroe-islands
フェロー諸島でのアーサー王伝説のもとネタは、13世紀頃にフランス語から北欧後に翻訳された作品群とされる。
語られ始めたのも、おそらくその頃だ。
参考:主要なアーサー王伝説作品群
http://www.moonover.jp/2goukan/arthur/chronology.htm
フェロー諸島は北欧語圏なので、このリストで右端が「ノルウェー語」とか「アイスランド語」になっているバージョンが作られた頃に伝説が入ってきたと思われる。
で、その中の「ヘリントの息子ウィヴィンド」という作品についてである。
このバラッドは第一世代ヘリント、第二世代ウィヴィンド、第三世代ヴァリアンという三世代に渡る英雄たちの物語になっている。第1世代のヘリントが求婚に行くのは、アーサー王を元にしたと思われるハシュタン王の妹姫。しかしこの姫君には、ヘリントより前に別の求婚者がいた。
フン族の王、ヨアチマンである。
ここが面白いところで、「何でフン族…? w」という感じなんである。
フン族といえば、ニーベルンゲン伝説に登場するフン族の王アッティラだが、北欧には、アーサー王伝説と一緒にニーベルンゲン伝説も確実に入っている。北欧バージョンのニーベルンゲン伝説は、主に「詩のエッダ」に収録されている。
ということは、「フン族という強くて野蛮で風貌が異様な民族がいた」という情報だけは伝わっていて、それが取り入れられたのだと思う。
実際、物語の中で表現されるフン族の王は、一目見た姫君が卒倒するほど醜いか、「肌が黒くて異様」と表現されるか、「体が大きい、椅子に座ると壊れてしまう」など巨人族のような表現をされている。
フン族がヨーロッパを席巻したのは5世紀頃。その当時にローマの歴史家が(ほぼ悪口で)書いた著作でも、フン族は「異様な外見」(おそらくアジア系)とされているので、それが後世の作品群に取り込まれる過程で形を変えて、単に「醜い」だったり、巨人族のように「体が大きくて力強い」だったりに変わったのだろう。
ただ気になるのは、なぜフン族はこうも物語の元ネタとして愛されたのか、というところだ。
同じアジア系騎馬民族で、遠征過程で多くの虐殺行為行ったモンゴルなどは、文学作品に取り入れられた形跡がない。フン族のように「荒野で悪魔と交わって生まれた」みたいな伝説が付与されてもいない。
おそらくだが、原因の一つは、モンゴルが攻めてきた時に矢面に立っていたのがイスラーム圏で、フン族ほどのインパクトが無かったからではないかと思う。フン族が攻めてきた時には黒海付近、東地中海沿岸はぜんぶローマで、矢面に立つのがローマ。モンゴルが来た頃には東ローマしかなく、黒海沿岸も東地中海の南岸もイスラーム世界になっている。
モンゴルは確かに進路上の勢力に大打撃を与えたのだけれど、大帝国を揺るがす蛮族ども、というポジションではない。また本拠地が遠いので、フン族のように近くに居座って長期的な脅威となっていたわけでもない。
もう一つは、歴史書への書かれ方だ。たとえばヴァンダル族は実際にはそこまで蛮族ではなかったのだが、ローマ市を焼いたことで歴史家に散々蛮族だと書かれまくってイメージが定着した。モンゴルについてヨーロッパの歴史家がどう書いているかちゃんと調べたわけではないのだが、フン族やヴァンダル族のように「悪魔! 蛮族! あいつらやべえ!」と、物語の作者が取り込みやすい、分かりやすい悪役にされていなかったのでは。と思う。
あとは、やはり時代が新しすぎるってことかな…
アーサー王は、伝説の中でも「遠い昔にいた王」ということになっている。ヴァンダル族もフン族も5世紀ごろなので、13世紀以降のアーサー王伝説が多く書かれていた時代からは「昔」になる。モンゴルだと13世紀頃なので、作者たちにとっては「最近」過ぎたのかもしれない。
ただ、フン族は醜いことになっているが、別にアジア人全般を醜いと認識していたわけでなさそうなのは面白いところだ。
アーサー王伝説と並ぶシャルルマーニュ伝説では、シャルルマーニュの甥オルランドゥが、中国の王女で美女のアンジェリカに一目惚れする物語がある。中国が実際にどこにあるか認識していたかも怪しいのだが、地理や民族・人種の認識は必ずしも現実のそれとリンクしていなかったんだろうなと思う。
この絶海の孤島に近いような場所にアーサー王伝説のバリエーションが存在する。
文書として記録されたのは18世紀後半以降だが、「バラッド」の名の通り、それまでは口伝として歌われ続けていた。
フェロー諸島のアーサー王物語: バラッド『ヘリントの息子ウィヴィント』をめぐって - 林邦彦
参考:フェロー諸島についてのデンマーク大使館公式情報
https://japan.um.dk/ja/info-about-denmark/the-faroe-islands
フェロー諸島でのアーサー王伝説のもとネタは、13世紀頃にフランス語から北欧後に翻訳された作品群とされる。
語られ始めたのも、おそらくその頃だ。
参考:主要なアーサー王伝説作品群
http://www.moonover.jp/2goukan/arthur/chronology.htm
フェロー諸島は北欧語圏なので、このリストで右端が「ノルウェー語」とか「アイスランド語」になっているバージョンが作られた頃に伝説が入ってきたと思われる。
で、その中の「ヘリントの息子ウィヴィンド」という作品についてである。
このバラッドは第一世代ヘリント、第二世代ウィヴィンド、第三世代ヴァリアンという三世代に渡る英雄たちの物語になっている。第1世代のヘリントが求婚に行くのは、アーサー王を元にしたと思われるハシュタン王の妹姫。しかしこの姫君には、ヘリントより前に別の求婚者がいた。
フン族の王、ヨアチマンである。
ここが面白いところで、「何でフン族…? w」という感じなんである。
フン族といえば、ニーベルンゲン伝説に登場するフン族の王アッティラだが、北欧には、アーサー王伝説と一緒にニーベルンゲン伝説も確実に入っている。北欧バージョンのニーベルンゲン伝説は、主に「詩のエッダ」に収録されている。
ということは、「フン族という強くて野蛮で風貌が異様な民族がいた」という情報だけは伝わっていて、それが取り入れられたのだと思う。
実際、物語の中で表現されるフン族の王は、一目見た姫君が卒倒するほど醜いか、「肌が黒くて異様」と表現されるか、「体が大きい、椅子に座ると壊れてしまう」など巨人族のような表現をされている。
フン族がヨーロッパを席巻したのは5世紀頃。その当時にローマの歴史家が(ほぼ悪口で)書いた著作でも、フン族は「異様な外見」(おそらくアジア系)とされているので、それが後世の作品群に取り込まれる過程で形を変えて、単に「醜い」だったり、巨人族のように「体が大きくて力強い」だったりに変わったのだろう。
ただ気になるのは、なぜフン族はこうも物語の元ネタとして愛されたのか、というところだ。
同じアジア系騎馬民族で、遠征過程で多くの虐殺行為行ったモンゴルなどは、文学作品に取り入れられた形跡がない。フン族のように「荒野で悪魔と交わって生まれた」みたいな伝説が付与されてもいない。
おそらくだが、原因の一つは、モンゴルが攻めてきた時に矢面に立っていたのがイスラーム圏で、フン族ほどのインパクトが無かったからではないかと思う。フン族が攻めてきた時には黒海付近、東地中海沿岸はぜんぶローマで、矢面に立つのがローマ。モンゴルが来た頃には東ローマしかなく、黒海沿岸も東地中海の南岸もイスラーム世界になっている。
モンゴルは確かに進路上の勢力に大打撃を与えたのだけれど、大帝国を揺るがす蛮族ども、というポジションではない。また本拠地が遠いので、フン族のように近くに居座って長期的な脅威となっていたわけでもない。
もう一つは、歴史書への書かれ方だ。たとえばヴァンダル族は実際にはそこまで蛮族ではなかったのだが、ローマ市を焼いたことで歴史家に散々蛮族だと書かれまくってイメージが定着した。モンゴルについてヨーロッパの歴史家がどう書いているかちゃんと調べたわけではないのだが、フン族やヴァンダル族のように「悪魔! 蛮族! あいつらやべえ!」と、物語の作者が取り込みやすい、分かりやすい悪役にされていなかったのでは。と思う。
あとは、やはり時代が新しすぎるってことかな…
アーサー王は、伝説の中でも「遠い昔にいた王」ということになっている。ヴァンダル族もフン族も5世紀ごろなので、13世紀以降のアーサー王伝説が多く書かれていた時代からは「昔」になる。モンゴルだと13世紀頃なので、作者たちにとっては「最近」過ぎたのかもしれない。
ただ、フン族は醜いことになっているが、別にアジア人全般を醜いと認識していたわけでなさそうなのは面白いところだ。
アーサー王伝説と並ぶシャルルマーニュ伝説では、シャルルマーニュの甥オルランドゥが、中国の王女で美女のアンジェリカに一目惚れする物語がある。中国が実際にどこにあるか認識していたかも怪しいのだが、地理や民族・人種の認識は必ずしも現実のそれとリンクしていなかったんだろうなと思う。