ナイル上流、古代の制水設備について。(アマラ・ウェストの調査より)
わりと面白い着眼点だなーと思った論文見つけたのでメモがわりに。
アスワンからナイル上流、ヌビア地域の古代の制水設備(ダムではなくgroyne)についての調査。ナイル川沿いに古代の石積みが残っていて、ナイルの増水時期に流れてくるナイルシルトをとどめるなど、灌漑に使われていたファラオ時代の遺構のようだという話。
Three thousand years of river channel engineering in the Nile Valley
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/gea.21965

メインとなっているのは、新王国時代に作られた入植地/ヌビア統制センターのアマラ・ウェスト(Amara West)。
他の地域も同様の設備が残ってないかナイル川沿いを調べてはいるのだが、第一急湍から第二急湍あたりはアスワン・ハイ・ダムが出来て水没してしまっているのでもう調べようがなく、場所によっては現代の農地開拓で上書きされてしまっているのでいつ作られたものなのかの判別がつかない。
アマラ・ウェスト周辺が調べやすかったのは、ナイルの流れが古代と現代で変わってしまった場所で、遺跡の残っているのが旧河川沿いだから、ということのようだ。流れが変わった時期が分かれば、それ以降には作られていないと分かる。
参考:アマラ・ウェスト
https://discoversudan.de/en/travel/sudan/locations/amara-west
・作られたのは紀元前1300年ごろ、セティ1世の時代
・紀元前1000年ごろに放棄
川の流れに垂直に作られているたくさんの石積みは、流れを制御して耕作地に導いたり、水とともに流れてくるシルトをとどめたりする以外にも、いけすのように使われたものなど別の用途があるものも一部ありそうだとのこと。現代の流れから離れた所にあるものは、古代にそこを川が流れていたか、古代には氾濫原の一部だった場所と考えられている。
ちなみにスーダンでも、現代では上流にメロエ・ダムが出来ているので、ナイル川の流量は減っている。

これらはナイルの増水を利用した、自然灌漑の設備になる。
以前、中世エジプトの灌漑事情を調べた時に、エジプトでは「ジスル」という土手を作って水の流れを制御していた、というのを読んだのだが、それに近いシステムがヌビアでもあったということかもしれない。
中世エジプトにおける灌漑の実情と納税について。「中世エジプトの土地制度とナイル灌漑」
https://55096962.seesaa.net/article/202006article_11.html
ただ、第一急湍より南にあるエジプトとは違い、ヌビア川では急流が多く、ナイルの流れがより早い。ナイルデルタのように平らな土地が広く開けているわけではなく、川に面した平らな土地は狭い。
となれば、大した高さもない石積みでは、水やシルトを留めるのはそう簡単ではなかったと思う。灌漑できた面積も下エジプトのような開けた土地よりは狭くなる。
それと。アマラ・ウェストの例のように、川の流れが変わってしまっている箇所が複数出てくるのも気になった。頻繁に川が流れを変えてしまうと、灌漑できる土地も範囲が変わる。人間は川の流れを追いかけて移住していかなくてはならない。
同じナイルに面していながら、エジプト川は豊富な耕作地を得られて、ヌビア側はそれほどでもなかったのは、もしかしてそのあたりも関係しているのでは…と思った。
だってヌビアはナイルの上流なわけで、流れてくる土や栄養分を貯めようとするなら上流のほうが有利なはずだからね。
あとは、実際に栽培していた作物。
現代だと乾燥に強い作物がよそから入ってきているようだが、フォラオ時代はどうだったのか。
アマラ・ウェストのあたりだとスイカを植えていたという話も出てきたが、スイカはもともと乾燥に強い沙漠の植物。
だが、もしエンマー小麦などナイル下流のエジプトと同じ作物を育てていたのなら、確かに水利設備は必須だ。上流に位置するぶん、ナイルの増水の季節が1-2ヶ月ズレてしまうからだ。そのあたりの農業サイクルと絡めると、この水利設備が必要とされた理由がより分かりやすくなるかもしれない。
以上、断片的な思いつきも含むが、ヌビアでも人の手で水を制御して農耕を有利にしようとする試みがあったのは面白かった。
ちょっと今のスーダンは紛争とかで追加調査は難しそうだけど、この地域あんまり調査されてないところなので、いつか続きの研究が出てくることを願いたい。
アスワンからナイル上流、ヌビア地域の古代の制水設備(ダムではなくgroyne)についての調査。ナイル川沿いに古代の石積みが残っていて、ナイルの増水時期に流れてくるナイルシルトをとどめるなど、灌漑に使われていたファラオ時代の遺構のようだという話。
Three thousand years of river channel engineering in the Nile Valley
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/gea.21965

メインとなっているのは、新王国時代に作られた入植地/ヌビア統制センターのアマラ・ウェスト(Amara West)。
他の地域も同様の設備が残ってないかナイル川沿いを調べてはいるのだが、第一急湍から第二急湍あたりはアスワン・ハイ・ダムが出来て水没してしまっているのでもう調べようがなく、場所によっては現代の農地開拓で上書きされてしまっているのでいつ作られたものなのかの判別がつかない。
アマラ・ウェスト周辺が調べやすかったのは、ナイルの流れが古代と現代で変わってしまった場所で、遺跡の残っているのが旧河川沿いだから、ということのようだ。流れが変わった時期が分かれば、それ以降には作られていないと分かる。
参考:アマラ・ウェスト
https://discoversudan.de/en/travel/sudan/locations/amara-west
・作られたのは紀元前1300年ごろ、セティ1世の時代
・紀元前1000年ごろに放棄
川の流れに垂直に作られているたくさんの石積みは、流れを制御して耕作地に導いたり、水とともに流れてくるシルトをとどめたりする以外にも、いけすのように使われたものなど別の用途があるものも一部ありそうだとのこと。現代の流れから離れた所にあるものは、古代にそこを川が流れていたか、古代には氾濫原の一部だった場所と考えられている。
ちなみにスーダンでも、現代では上流にメロエ・ダムが出来ているので、ナイル川の流量は減っている。

これらはナイルの増水を利用した、自然灌漑の設備になる。
以前、中世エジプトの灌漑事情を調べた時に、エジプトでは「ジスル」という土手を作って水の流れを制御していた、というのを読んだのだが、それに近いシステムがヌビアでもあったということかもしれない。
中世エジプトにおける灌漑の実情と納税について。「中世エジプトの土地制度とナイル灌漑」
https://55096962.seesaa.net/article/202006article_11.html
ただ、第一急湍より南にあるエジプトとは違い、ヌビア川では急流が多く、ナイルの流れがより早い。ナイルデルタのように平らな土地が広く開けているわけではなく、川に面した平らな土地は狭い。
となれば、大した高さもない石積みでは、水やシルトを留めるのはそう簡単ではなかったと思う。灌漑できた面積も下エジプトのような開けた土地よりは狭くなる。
それと。アマラ・ウェストの例のように、川の流れが変わってしまっている箇所が複数出てくるのも気になった。頻繁に川が流れを変えてしまうと、灌漑できる土地も範囲が変わる。人間は川の流れを追いかけて移住していかなくてはならない。
同じナイルに面していながら、エジプト川は豊富な耕作地を得られて、ヌビア側はそれほどでもなかったのは、もしかしてそのあたりも関係しているのでは…と思った。
だってヌビアはナイルの上流なわけで、流れてくる土や栄養分を貯めようとするなら上流のほうが有利なはずだからね。
あとは、実際に栽培していた作物。
現代だと乾燥に強い作物がよそから入ってきているようだが、フォラオ時代はどうだったのか。
アマラ・ウェストのあたりだとスイカを植えていたという話も出てきたが、スイカはもともと乾燥に強い沙漠の植物。
だが、もしエンマー小麦などナイル下流のエジプトと同じ作物を育てていたのなら、確かに水利設備は必須だ。上流に位置するぶん、ナイルの増水の季節が1-2ヶ月ズレてしまうからだ。そのあたりの農業サイクルと絡めると、この水利設備が必要とされた理由がより分かりやすくなるかもしれない。
以上、断片的な思いつきも含むが、ヌビアでも人の手で水を制御して農耕を有利にしようとする試みがあったのは面白かった。
ちょっと今のスーダンは紛争とかで追加調査は難しそうだけど、この地域あんまり調査されてないところなので、いつか続きの研究が出てくることを願いたい。