シリア国立博物館とラメセス2世時代の収蔵品、行けない場所のこと
ふとしたことで、ヒッタイトとエジプトが結んだ和平条約の時代に関係する石碑がシリアにあることを知った。
この和平条約はラメセス2世の時代にエジプトとヒッタイトが現在のシリア付近で激突したのちに結ばれたもので、年表でざっくり書くと、こんな感じになる。
ヒッタイト・エジプト間友好条約の結ばれた時代の年表を書いてみた
https://55096962.seesaa.net/article/201610article_3.html
エジプト側はラメセス2世が長命でずーっと王位にあるが、ヒッタイト側は実際に干戈を交えたムワタリ王ではなく、その2代あとのハットゥシリ3世の時代に和平を結んでいるのがミソだ。
で、和平条約の中でヒッタイト側は、王女をラメセス2世に嫁がせている。その花嫁は、シリアを通って送られた。
※当時はまだシリア地域はいくつもの小国に分かれているが、「ウピ」という地名で出てくる

(出典元: 古代オリエント事典/岩波書店)
ヒッタイト、シリア、エジプトの位置を見ると、陸路でヒッタイトからエジプトに向かうにはシリア周辺を通るしかないことがわかる。
で、この時代の碑文で、ダマスクス南のキスウェで発掘された石碑に、ダマスクスの主神だった嵐の神ハダドを「ウピに出現した太陽神ラーの子孫、セト」として、エジプトの嵐の神と同一視して、ウピをエジプト国土の一部とみなしているように読めるものがあるという。
この石碑はローマ人の墓地に再利用されていたのが発見されたものらしいのだが、シリアの国立博物館にあるという。それで、シリアってそもそも博物館どんなだったけ? と思って調べてみたわけだ。
公式のホームページを見ると、時代ごとに展示を分けているらしい。
エジプトに関連するのは2つめのセクション、Bronze and Iron ageだと思うが、ここのGalleryを見てもメソポタミア関連の遺物が多くてあまりエジプト風のものは出てこない。ただ、興味深いものは沢山ある。マニア心がうずく。
https://virtual-museum-syria.org/damascus/
ただ残念ながらシリアは、現在でも全土が「レベル4 退避勧告」になっている。ISの脅威は薄れたが、相変わらず政府軍、反政府軍の対立が収まっておらず、とても外国人観光客の行ける場所ではない。
いつか行ける日がくるのかどうか。そもそも行けたとして、戦争でかつての世界遺産などはほとんど破壊されている。
ホームページを一通り眺めたあと、悲しい顔でそっとタブを閉じるしかないのであった。
この和平条約はラメセス2世の時代にエジプトとヒッタイトが現在のシリア付近で激突したのちに結ばれたもので、年表でざっくり書くと、こんな感じになる。
ヒッタイト・エジプト間友好条約の結ばれた時代の年表を書いてみた
https://55096962.seesaa.net/article/201610article_3.html
エジプト側はラメセス2世が長命でずーっと王位にあるが、ヒッタイト側は実際に干戈を交えたムワタリ王ではなく、その2代あとのハットゥシリ3世の時代に和平を結んでいるのがミソだ。
で、和平条約の中でヒッタイト側は、王女をラメセス2世に嫁がせている。その花嫁は、シリアを通って送られた。
※当時はまだシリア地域はいくつもの小国に分かれているが、「ウピ」という地名で出てくる
(出典元: 古代オリエント事典/岩波書店)
ヒッタイト、シリア、エジプトの位置を見ると、陸路でヒッタイトからエジプトに向かうにはシリア周辺を通るしかないことがわかる。
で、この時代の碑文で、ダマスクス南のキスウェで発掘された石碑に、ダマスクスの主神だった嵐の神ハダドを「ウピに出現した太陽神ラーの子孫、セト」として、エジプトの嵐の神と同一視して、ウピをエジプト国土の一部とみなしているように読めるものがあるという。
この石碑はローマ人の墓地に再利用されていたのが発見されたものらしいのだが、シリアの国立博物館にあるという。それで、シリアってそもそも博物館どんなだったけ? と思って調べてみたわけだ。
公式のホームページを見ると、時代ごとに展示を分けているらしい。
エジプトに関連するのは2つめのセクション、Bronze and Iron ageだと思うが、ここのGalleryを見てもメソポタミア関連の遺物が多くてあまりエジプト風のものは出てこない。ただ、興味深いものは沢山ある。マニア心がうずく。
https://virtual-museum-syria.org/damascus/
ただ残念ながらシリアは、現在でも全土が「レベル4 退避勧告」になっている。ISの脅威は薄れたが、相変わらず政府軍、反政府軍の対立が収まっておらず、とても外国人観光客の行ける場所ではない。
いつか行ける日がくるのかどうか。そもそも行けたとして、戦争でかつての世界遺産などはほとんど破壊されている。
ホームページを一通り眺めたあと、悲しい顔でそっとタブを閉じるしかないのであった。