悪党たちが歴史を作る「悪党たちの中華帝国」

本屋でタイトルと目があった瞬間「こwれwはw」みたいな感じでテンション上がってつい手にとってしまった、いつものアレである。
「悪党たちの中華帝国」、本の帯に「闇落ちした男たち」とあっていかにもウケ狙いだが、くやしいがストライクだった。少し前に出た「悪党たちの大英帝国」の姉妹版、というか一種のシリーズものなのだが、「悪党」の定義は全然違う。

「歴史記録で悪党とされた歴史のターニングポイントとなる人物」。
バカでは悪党になれない、と著者が書いているとおり、いずれも一方ならぬ優秀な人々なのだが、歴史上、「悪党」と誹られてきた。それを、なぜ記録者は彼らを「悪党」にしなければならなかったのか、という視点を入れて書いているのが面白い。

悪党たちの中華帝国 (新潮選書) - 岡本 隆司
悪党たちの中華帝国 (新潮選書) - 岡本 隆司

まず「中華」とは何か、という話だが、中国という国はずっと同じ範囲の領土を持っていたわけではない。王朝ごとに支配域は異なる。首都ですらも、北京だったり洛陽だったりと場所はまちまち。また三国志の時代のように、主要な国家が複数並立の時代もある。それでも、中華文化圏を漠然とまとめた「中華帝国」を便宜上、規定している。最初に範囲の定義から入るのは分かりやすい。

そして、中華帝国の歴史をいくつかに区分けし、それぞれの時代の代表的な「悪党」が紹介されていくのである。
その悪党っぷりが実に面白い。

中国の歴史はそれほど詳しくないので知ってる人はそれほど多くない。全く知らなかったけれど個人的に気に入ったのが「馮道(ふうどう)」という人物だ。乱世において、次々と変わる主君を鞍替えし続けて、時代の中を泳いでいった宰相である。
もちろん、忠義のために殉ずる侠気は人々に好かれるものだろう。しかし激動の時代に生き残ることもまた才能の一つだと思う。
後世には変節・無節操漢として批判されたが、単に利己のためにお追従で権力者に取り入ったわけではない。権力者に仕え、うまくコントロールしながら民を守った、とも評価されている。
現代でいえば、優秀な秘書官あたりだろうか。私には無い才能の持ち主なのは間違いない。

そしてもうひとり面白いなと思ったのが、李卓吾という人物だ。中国版ソクラテスとでも言うべき学者で、あまりにもストイックな物言いで知識人に多くの敵を作り、迫害され、最後は獄中で自害して果てた。著作は禁書とされたが、多くの人々が隠し持っていたために現代に残っている。
その思想はあまりに現代風すぎ、未来に生き過ぎていたのだと思う。また、国家や君主より民衆に肩入れしたのも、ある意味で中華帝国のあり方への挑戦になる。「人心を乱し公序良俗に反する悪党」と誹られたのは、当然といえば当然だった。

逆に言えば、彼らが「悪党」と呼ばれた理由、「悪党」でなければならなかった意味を考えると、中華帝国が求めていた「秩序」のあり方も見えてくる。

帝国とは、異質な民族・領域の集合体である。
ローマ帝国、モンゴル帝国、大英帝国などと同じく、中華帝国も文化や言語に差異のある各地方の集合体だ。私の好きな古代エジプトでさえも多数の植民地を抱えていた新王国時代には「帝国」だった。
その点、非支配地域が均一であることを目指した日本は、一時的に大日本帝国などと名乗っていたが、ついぞ帝国にはなれなかった。

異なる領域の集合体である帝国が、国家の体(てい)をなすために、統合されて在るために何を欲するのか。
悪党たちの歴史を通して見えるのは、現代まで続く「中華帝国」という集合体の変遷と紆余曲折の履歴書でもあるのだった。