「リビアのピラミッド」はエジプトからの影響か。→メロエからの影響では?

リビアにあるピラミッド型の墓の並ぶネクロポリスに、エジプトからの影響があるかもしれない。という話を見かけたので、ちょっと調べてみた。
まずリビアのピラミッドと呼ばれているものは、紀元前2世紀半ばにサハラ砂漠で台頭したガラマンテス人(Garamante)の王国で作られたものになる。ヘロドトスの記述で有名な部族だが、過酷な砂漠に都を作っていたこともあり、あまり研究が進んでいない。

わりと最近の記事だと、こんなものがある。

ガラマンテスの要塞を発見、リビア
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5205/

彼らは紀元7世紀頃に姿を消す。アラブ人との戦いに敗れた結果、という説もあれば、彼らの使っていた灌漑システムで地下水を使い果たしてしまったため、という説もある。

で、彼らの作ってた墳墓というのが、これである。
※「Hattia Pyramids」とかで検索すると写真はいろいろ出てくる。トリポリのはるか南のほうに位置する遺跡

https://www.heritagedaily.com/2023/04/the-pyramid-tombs-of-libya/146849

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まあ見ての通り、全然ピラミッド型じゃないので、これをピラミッドと呼ぶのはけっこう辛い。というか現地の学者が「これはエジプトから伝わったピラミッドの末裔」て言ってるようなので、その意見を通した政治的な命名だと思う。

日本のエジプト学者でも、この小ぶりなピラミッドを「私人墓の入り口に見られる小型ピラミッドの系統かも」と言ってる人はいたのだが、もしそれを参考にしたのだとしたら、天頂部分は尖らせるはずである。わざわざ平らに作る意味がない。そして私人墓はナイル渓谷の奥まったところにあるため、たまたま通りかかった旅人が見かけて感銘を受けるのはちょっと無理がある。しかもこのピラミッドが作られていたのは新王国時代なので、ガラマンテス人が王国を作る1000年も前にはもう廃れている。時代的にも遠い。

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それよりもはるかに時代が近く、砂漠の民がアクセスしやすい場所に、よく似たピラミッドがあるのだ。
ヌビア(スーダン北部)にある、ピラミッド群である。これらのピラミッドは紀元前9世紀頃から紀元後3世紀頃にかけて作られている。
そして側面には窓のようなものがあり、盗掘を受けたり崩れたりで上部の尖った部分がなくなって、リビアのピラミッドと良く似た形状になっているものが多い。
さらに言えば川沿いの開けた場所にあるため、遠くからでも、ぷらっと来た旅人でも見かけることが出来る。

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そもそもを言えば、エジプトの私人墓は「下の岩盤に掘ったトンネルが墓本体、墓の上にピラッドのオブジエを載せている」という構造であり、ヌビアのピラミッドは「ピラミッド自体が墓と一体化している」なのでピラミッドの使い方が違う。ピラミッド自体を墓とする使い方をしていたなら、リビアのピラミッドはヌビアの系統だ。

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だから自分は、リビアのピラミッドがエジプトのピラミッドの影響を「間接的に」受けているという意見には同意するが、直接のつながりがあるという考えには頷けない。時代が離れすぎており、使い方や形状も差異が目立つ。

古代エジプトのピラミッド(紀元前2500~1100年あたり)→ ヌビアのピラミッド群(紀元前9世紀~後3世紀) →ガラマンティス人のモニュメント墓(紀元前2世紀~)

という流れであれば、可能性としては妥当だと思われる。