エジプト人はなぜゾウやキリンを神格化しなかったのか。「珍しい動物は神格化しない」というルール
古代エジプトでは、様々な動物が神格化されている。動物の頭を持つ神、または動物を神聖な動物とする神は多い。
ただ、ヒエログリフに登場するくらいメジャーでありながら、決して神格化されなかった動物もいる。たとえばゾウやキリンなど。
これらの動物が近くにいたことは確実で、壁画や小物の意匠などでは登場しているのだが、神と結び付けられることがない。なぜ神格化しなかったのかと疑問を抱かれることも多い。
だが、神格化された動物の法則を見ていくと、だいたいの事情は察しが付く。
神となる動物=身近にいる動物 である。そもそも、古代エジプトの神は地元密着型で土地神がほとんどだ。都市や村落のシンボルは守護神のシンボルでもある。
だから、たまにしか見かけない珍しい動物は「よそ者」であり、基本的に神にはなれない。
ゾウやキリンは、ナイル川沿いには住んでいない。
王朝時代以降は、アスワン以南のヌビアまで出かけないと見られない、珍しい輸入品の一種だったはずだ。これでは守護神になれない。
ヒョウやヘビクイワシ、ウミガメなども壁画に登場はするが神になっていないのはそういうことだと思う。
では身近にいなかったはずのライオンがなぜ神になれたのか、だが、ライオンは貴人のペットとして飼育されていたから例外的に身近だったのだと思われる。
数は少ないが、飼育されていたと思われる個体が埋葬されていた事例が、近年いくつか報告されている。
ツタンカーメン王の乳母の墓とライオンの遺骸、古代エジプト人はライオンをミイラにしたか
https://55096962.seesaa.net/article/201607article_18.html
そしてここで見えてくる神格化の別の条件が、「突出したユニークな能力」「人間との共存可能性」である。
まずは「突出したユニークな能力」について。
神格化しようにも、それに値する神秘的/驚異的な能力を認められる動物でなければ神になりようがない。そもそも動物が神となったのは、「ハヤブサの飛翔」「狒々の器用さと賢さ、太陽に向かう姿の神秘さ」「ウサギの俊敏さと聴力」「山羊の生命力」のように、人間よりも優れている能力があるゆえんだった。動物たちが生来持つ力に憧れたからなのだ。
ライオンには威厳と力強さがある。戦いの神の化身とされたのはふさわしい。
だが、ゾウやキリンならどの能力を崇めることが出来るだろう? ゾウは確かに力強いが、ライオン(の群れ)を前にしたら逃げてしまうのでは? キリンは背が高いけれど、それだけだと「珍獣」で終わってしまう。ヒョウは走るのが早いがスタミナに欠け、足の速さではガゼルやウサギにバッティングし、力強さではライオンとバッティングするので神にしづらい。
次に「人間との共存可能性」について。
ペットにするにしても、ペットにできる動物と、できない動物がいる。また、人間の生存圏に紛れ込むことが許されない動物がいる。
たとえばゾウなどはその代表格で、アフリカゾウは人に慣れにくく、アジアゾウに比べると使役が難しい。ペットとして飼えるサイズ/生態でもない。そして現代インドの例を見るまでもなく、農地を荒らしてしまうため、基本的に害獣として追い払われる運命にある。
これは、カバやワニなど基本的に害獣のはずの動物が、古代エジプトでは神格化されていることと矛盾しない。なぜなら、カバは「メスだけ」が神格化され、ワニは「主に広々とした干拓地であるファイユーム地方でだけ」神として崇められていたからだ。
メスのカバの母性は評価されたが、オスのカバはただうるさい乱暴者で決して神にはなれなかった。
ワニがたくさん住んでいるかわり人間とワニの生息域の間に距離のあるファイユームでは、水の守護者であるワニが干拓地の豊穣を約束する守護神として崇められた。
これをゾウやキリンに当てはめてみると、まず農地を荒らしに来るゾウはどう条件付けをしても崇める対象にはなりづらく、同様に果樹園を荒らしかねないキリンは人間からしたら迷惑しかない存在になってしまう。
つまり、これら3つの神格化の条件を満たした動物が、神になりえる可能性を持っていた。
現代人が「どうしてあの目立つ動物が神の中にいないのか」と思う時、逆に、自分ならその動物にどんな効能や加護を求めるのかと考えてみてほしいのだ。そして古代エジプトの民が基本的に農耕民であり、地元蜜着型で生活していたことも思い出してほしい。
ただ単に神々しいとか、立派だとかいうだけでは、農民が神として崇めるにはインパクトがない。
そしてよそ者は土地の守護者にはなれない。
そうして見ると、やはり、今知られている古代エジプトの神聖動物ラインナップは、とても理にかなった、理性的に選ばれた動物たちだと思うのだ。
#フンコロガシですらも
ただ、ヒエログリフに登場するくらいメジャーでありながら、決して神格化されなかった動物もいる。たとえばゾウやキリンなど。
これらの動物が近くにいたことは確実で、壁画や小物の意匠などでは登場しているのだが、神と結び付けられることがない。なぜ神格化しなかったのかと疑問を抱かれることも多い。
だが、神格化された動物の法則を見ていくと、だいたいの事情は察しが付く。
神となる動物=身近にいる動物 である。そもそも、古代エジプトの神は地元密着型で土地神がほとんどだ。都市や村落のシンボルは守護神のシンボルでもある。
だから、たまにしか見かけない珍しい動物は「よそ者」であり、基本的に神にはなれない。
ゾウやキリンは、ナイル川沿いには住んでいない。
王朝時代以降は、アスワン以南のヌビアまで出かけないと見られない、珍しい輸入品の一種だったはずだ。これでは守護神になれない。
ヒョウやヘビクイワシ、ウミガメなども壁画に登場はするが神になっていないのはそういうことだと思う。
では身近にいなかったはずのライオンがなぜ神になれたのか、だが、ライオンは貴人のペットとして飼育されていたから例外的に身近だったのだと思われる。
数は少ないが、飼育されていたと思われる個体が埋葬されていた事例が、近年いくつか報告されている。
ツタンカーメン王の乳母の墓とライオンの遺骸、古代エジプト人はライオンをミイラにしたか
https://55096962.seesaa.net/article/201607article_18.html
そしてここで見えてくる神格化の別の条件が、「突出したユニークな能力」「人間との共存可能性」である。
まずは「突出したユニークな能力」について。
神格化しようにも、それに値する神秘的/驚異的な能力を認められる動物でなければ神になりようがない。そもそも動物が神となったのは、「ハヤブサの飛翔」「狒々の器用さと賢さ、太陽に向かう姿の神秘さ」「ウサギの俊敏さと聴力」「山羊の生命力」のように、人間よりも優れている能力があるゆえんだった。動物たちが生来持つ力に憧れたからなのだ。
ライオンには威厳と力強さがある。戦いの神の化身とされたのはふさわしい。
だが、ゾウやキリンならどの能力を崇めることが出来るだろう? ゾウは確かに力強いが、ライオン(の群れ)を前にしたら逃げてしまうのでは? キリンは背が高いけれど、それだけだと「珍獣」で終わってしまう。ヒョウは走るのが早いがスタミナに欠け、足の速さではガゼルやウサギにバッティングし、力強さではライオンとバッティングするので神にしづらい。
次に「人間との共存可能性」について。
ペットにするにしても、ペットにできる動物と、できない動物がいる。また、人間の生存圏に紛れ込むことが許されない動物がいる。
たとえばゾウなどはその代表格で、アフリカゾウは人に慣れにくく、アジアゾウに比べると使役が難しい。ペットとして飼えるサイズ/生態でもない。そして現代インドの例を見るまでもなく、農地を荒らしてしまうため、基本的に害獣として追い払われる運命にある。
これは、カバやワニなど基本的に害獣のはずの動物が、古代エジプトでは神格化されていることと矛盾しない。なぜなら、カバは「メスだけ」が神格化され、ワニは「主に広々とした干拓地であるファイユーム地方でだけ」神として崇められていたからだ。
メスのカバの母性は評価されたが、オスのカバはただうるさい乱暴者で決して神にはなれなかった。
ワニがたくさん住んでいるかわり人間とワニの生息域の間に距離のあるファイユームでは、水の守護者であるワニが干拓地の豊穣を約束する守護神として崇められた。
これをゾウやキリンに当てはめてみると、まず農地を荒らしに来るゾウはどう条件付けをしても崇める対象にはなりづらく、同様に果樹園を荒らしかねないキリンは人間からしたら迷惑しかない存在になってしまう。
つまり、これら3つの神格化の条件を満たした動物が、神になりえる可能性を持っていた。
現代人が「どうしてあの目立つ動物が神の中にいないのか」と思う時、逆に、自分ならその動物にどんな効能や加護を求めるのかと考えてみてほしいのだ。そして古代エジプトの民が基本的に農耕民であり、地元蜜着型で生活していたことも思い出してほしい。
ただ単に神々しいとか、立派だとかいうだけでは、農民が神として崇めるにはインパクトがない。
そしてよそ者は土地の守護者にはなれない。
そうして見ると、やはり、今知られている古代エジプトの神聖動物ラインナップは、とても理にかなった、理性的に選ばれた動物たちだと思うのだ。
#フンコロガシですらも