古代エジプト第0王朝(王朝黎明期)と、ナルメル王は実際には「統一王」では無かったという話

第0王朝とは、最初の統一王朝である第一王朝誕生以前の黎明期を差している。ここは日本で言うヤマト政権の誕生以前、首長国家とでも言うべき地域ごとの小国が連立していた時代になる。
アビドスとか、ヒエラコンポリスとか、メンフィスとか、ナカダとか、都市を中心とした一定の範囲で別れた勢力が存在していた。これはざっくり言うと、各地域の土器の様式が統一されていないとか、各地域ごとに別々の王名が出土する時代である。

そこから統一王朝へと向かっていくのだが、まあいきなりエジプト全土の統一は出来ない。
そして、一般向けの本では「初代の統一王ナルメル」と書かれていることの多いナルメル王も、実際には上下エジプトのすべての勢力を統一出来たわけではなく、同時代に並行して存在する、「王」を名乗る地方有力者がいた。

それを図にしたものがこれだ。(出典元「エジプト初期国家社会の支配戦略と統治原理 」)
まずこちらが地域で出土する王名を示したもの、上部についているⅢA-BとかⅢCというのは時代区分で、左がより古く、右がそれより少し新しい時代。ナカダⅢ期になると王名の出土する地域が少し減っていて、統合が進んだ感じはある。ただ、この時代でも有力地域の統一はされていない。
ナカダⅢ期の初頭はナルメルのいた時代なので、同時期に「自分は王やで」と名乗っている他の王がいたことになる。

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面白いのはこちらの王名例で、かわいい鳥さんみたいに見えるのがホルス名のホルス、つまり鷹の文字である。
別々の地域でもホルスだけついてるので、「王名にホルスのマークをつける」というルールは特定の王家の系統/地域に限らないようなのだ。

逆に言えば、「ホルスを信仰する一族がエジプトを統一した」ではなく、「ホルスは王の化身という宗教が先にエジプト統一をして、その枠組みの中で誰がホルスを名乗るか争ってる」という感じ。宗教統一が先で王権による軍事統一があと、ということではないかと思うのだが、そうだとしたらなかなかに興味深い。何でホルスそんなに人気になったんだろう、みたいな。

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ただ、これらの王名にどれだけの「実態」があったかがわからない。

残っている王名は一人の人間の改名した前後ではないのか。(実際に王が改名している事例はある。有名所だとツタンカーメン)
本当に地方の小国家の王と名のれるだけの実力があり、王名を僭称していただけではないのか。
王名としてのブツは残ってるけどすぐに倒されて活動例がないという可能性もある。

そういう意味では、自分で作っといてなんだが、初期王朝あたりのエジプト年表の「黎明期」部分はだいぶ雑とも言える。さすがに全部は拾えないので、主要な本に乗ってる王名だけ載せている。しかもそれらの王は時代の前後や誰が誰の後継者なのかもはっきりしない。ちなみに、スコルピオンという名の王が最近の研究ではどうやら二人いたとなっているらしいと気づいたのも、それを調べた時だった。

黎明期年表
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/index-reimei.htm

日本でもヤマト政権誕生前夜は記録が少なく色んな説が飛び交っているが、それは古代エジプトにおいても同じ。
まとまった歴史記録や王家の系統表が作られるのも同じく王権が確立されてしばらく経ってからのことになる。

だが、よくわからないからこそ妙に惹かれるという時代もあると思うのだ。