ハンムラビ法典の前段となる他の法典たちについての覚書き:古代メソポタミアの判例集
ハンムラビ法典は、かつては世界最古の法典と呼ばれていたが、より古いものが見つかって、今は「ほぼ完全に残っているものとしては世界最古の」、という書き方に変わっている。
その前段となる法典について覚書をしておきたい。
なお、これらはlaw of~ではなくCode (Collection of Laws) of ~という英語で検索すると全文訳が出て来やすい。
ウルナンム法典(紀元前2100年頃)
ウル第三王朝の王ウルナンムの時代に作られたもの。現在イスタンブールの考古学博物館に収蔵されている。
シュメール語で書かれており、ウル以外にもニップルなど周辺都市で断片が見つかっていることから、そもそも法典を粘土版に刻んだのは「どこでも公平に同じ判決が下せるように」という意図があったからと思われる。
リピト・イシュタル法典(紀元前1900年頃)
イシンの王リピト・イシュタルの時代に作られたもの。
これもシュメーメル語で、現在ルーブル美術館にある。経緯はお察しください。
エシュヌンナ法典(年代不明)
ここからアッカド語が使用される。エシュヌンナ市で見つかったが断片で王の名前は書かれていないためその名前がついていない。
具体的な年代が出て来ないが、この都市が力を持つのがウル第三王朝の衰退語で、イシン王朝よりはあとになるので三番目の古さと位置づけられている。
ハンムラビ法典にも登場する市民の階級、「ムシュケーヌム」と「アウィールム」はこの法典から登場する。
なお、見つかっているものが断片になってるため、一部の断片はより新しい時代のものではないかという説もある。
そしてハンムラビ法典(紀元前1800年頃~1750年頃)へと続く。
ハンムラビ法典とよく似たフォーマットで、「もしxxが●●するならば」という言い回しは出てくるし、有力な神々の名前を書き並べて箔をつけているところもそっくりだ。
最初に決め事を文章にしようと思いついたのがウル第三王朝だったかは定かではないが、ハンムラビ法典が前身となる他の法典を参考に、その後継者として作られたことは間違いないと言えるだろう。
*****
おまけ
メソポタミア=シュメール ではない。シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニア、違いをまとめた。
https://55096962.seesaa.net/article/201506article_12.html
年表とかは↑みてください
その前段となる法典について覚書をしておきたい。
なお、これらはlaw of~ではなくCode (Collection of Laws) of ~という英語で検索すると全文訳が出て来やすい。
ウルナンム法典(紀元前2100年頃)
ウル第三王朝の王ウルナンムの時代に作られたもの。現在イスタンブールの考古学博物館に収蔵されている。
シュメール語で書かれており、ウル以外にもニップルなど周辺都市で断片が見つかっていることから、そもそも法典を粘土版に刻んだのは「どこでも公平に同じ判決が下せるように」という意図があったからと思われる。
リピト・イシュタル法典(紀元前1900年頃)
イシンの王リピト・イシュタルの時代に作られたもの。
これもシュメーメル語で、現在ルーブル美術館にある。経緯はお察しください。
エシュヌンナ法典(年代不明)
ここからアッカド語が使用される。エシュヌンナ市で見つかったが断片で王の名前は書かれていないためその名前がついていない。
具体的な年代が出て来ないが、この都市が力を持つのがウル第三王朝の衰退語で、イシン王朝よりはあとになるので三番目の古さと位置づけられている。
ハンムラビ法典にも登場する市民の階級、「ムシュケーヌム」と「アウィールム」はこの法典から登場する。
なお、見つかっているものが断片になってるため、一部の断片はより新しい時代のものではないかという説もある。
そしてハンムラビ法典(紀元前1800年頃~1750年頃)へと続く。
ハンムラビ法典とよく似たフォーマットで、「もしxxが●●するならば」という言い回しは出てくるし、有力な神々の名前を書き並べて箔をつけているところもそっくりだ。
最初に決め事を文章にしようと思いついたのがウル第三王朝だったかは定かではないが、ハンムラビ法典が前身となる他の法典を参考に、その後継者として作られたことは間違いないと言えるだろう。
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おまけ
メソポタミア=シュメール ではない。シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニア、違いをまとめた。
https://55096962.seesaa.net/article/201506article_12.html
年表とかは↑みてください