バクトリアで見つかっていた「未知の文字体系の碑文」、クシャン朝の独自文字とほぼ確定される

うろうろしていたら偶然見つけた面白そうな論文。
1950年代以降、バクトリア(現在のカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンからアフガニスタン南部にかけて)で見つかっていた、未知の文字で書かれた碑文が、最近見つかった碑文を手がかりに解読できそう、という話である。

↓石碑の見つかっている場所
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これらのほとんどは2-3世紀に作られており、当時ここを拠点としていたクシャン朝のものと見られるという。
この論文では、併記されていたバクトリア語(ギリシャ文字を使って記載、解読済)を手がかりとして、解読内容の提案をしているが、読み方はともかく内容的にはほぼ分かっていて、クシャン朝のものという推測は当たっていそうだ。

A Partial Decipherment of the Unknown Kushan Script*
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/1467-968X.12269

この文字が今まで解読されなかったのは、この地域で使われていた言語が様々にあり、どの言語を記載しているものか分からなかったからだ。
これはインダス文字が、(文字だとしたら)インドに多数あるどの言語の先祖を書き表したものなのかがわからないためアタリのつけようもない、ということと通じている。ただ、内容さえ分かれば、音を当てはめるなどしてアタリをつけることは出来る。その意味でバクトリア語併記の碑文の発見は大きかったのだろう。

ちなみにこの文字は、アラム文字を元にして考案されたものではないかという。
言われてみるとたしかに、面影はある…気がするのだが、まっすぐ書かずにうにょうにょしているので、ぱっと見、全然読める気がしない(笑)

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※これが↓アラム文字
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表現されている言語は、イラン語系統で未知の言語(地域言語の一種、または既知の言語の前段など)と考えられている。
この文字や、文字が表現している言語については、これから名前がつくのだろう。


これらの碑文がクシャン朝絶頂期に作られていたということは、帝国が独自の文字体系を生み出し、一時的にせよ広く使っていたことを意味するのだろう。そして、その後は受け継がれることなく途切れてしまったわけだ。
文字の最後の継承者は何を思っていただろう。
なんとなく、西夏文字をテーマにした作品「シュトヘル」を思い出す。あれは文字を途切れさせないために奮闘する話で、継承には成功する結末だったが、世の中には継承に失敗してしまった文字もたくさんあったに違いない。

まだ同定されていない部分も多いようだが、ひとまず、この読みづらそうな文字を頑張って解読して道筋をつけた学者さんたちには、お疲れ様と言っておきたい。