ムハンマド以前のアラビア半島宗教事情「イスラーム成立前の諸宗教」

周知の通り、イスラム教は7世紀初頭にムハンマドによって創始された。それ以降、現在に至るまでアラビア半島はイスラム教世界となっている。
しかしもちろんムハンマド以前にも歴史はあり、何らかの宗教があった。

その情報があまり注目されてこなかったのは、わりと最近まで、イスラム教以前の歴史が「なかったこと」にされてきた事情がある。たとえばサウジアラビアが自国内に外国の学者を入れて古代遺跡の発掘に勤しむようになったのは、ここ10年以内の出来事である。
(余談だが、そのおかげで今まで知られていなかった地上絵の研究が進むようになった)

で、その「イスラーム以前」の情報が知りたいなと思っていたのだが、図書館でゴソゴソしてたらドンピシャな本を見つけてしまった。

イスラーム成立前の諸宗教 (イスラーム信仰叢書) - 徳永里砂, 水谷周, 徳永里砂
イスラーム成立前の諸宗教 (イスラーム信仰叢書) - 徳永里砂, 水谷周, 徳永里砂

元々のアラビア半島が多宗教なのも、部族によってはキリスト教が広まっていたのもうっすら知っていたのだが、全体の流れとしてはもう少し複雑だった。

まずアラビア半島では、元々、神像を刻むことは稀だったらしい。
多神教なので様々な神の名前が言及され、サバァやヒムヤルといった国家群がそれぞれに国家神を立てているものの、それらの神の姿がない。神殿はあるがそこに神像がないのが当たり前だったわけである。(※ただし、個人的には、これは「発見されていない」だけなのか「本当になかった」のか微妙だと思っている。メソポタミアでは多数の神像が作られたと記録されているにも関わらず、後世に再利用されたり壊されたりでほぼ現像しないからだ)

またアルファベットが伝わったことにより南アラビア文字が発達したが、それらは優雅な飾り文字として岩に刻まれた。
宗教的な禁忌も多く存在しており、そのうちいくらかはユダヤ教やキリスト教とも共通している。

のちのイスラームにおける「偶像がない」「文字装飾が発達している」といった特徴は、既に前段から存在したことになる。また、教義の中で禁止または推奨される風習にも前段があったと言える。

面白いのが一神教を受け入れる下地部分で、ユダヤ教やキリスト教が入ってきたから一神教になったのではなく、それ以前の三世紀頃から、特定の神(国家神)のみを崇拝する、広義の意味での一神教が始まっていたという。
(※広義の一神教にはいくつかの種類があり、たとえばメソポタミアでマルドゥク神が最高神となっていた時代に、他の神々をマルドゥクの別名として扱おうとしていたのも一神教と言える。これらの定義については「一神教の起源(講談社現代新書)」を参照)

また、キリスト教やユダヤ教自体も、交易路を通じて南アラビアに入ってきている。ヒムヤル王国については、ユダヤ教を国教とし、ユースフ・アスアルという王の時代にキリスト教徒の弾圧をやったらしい。時は523年、ローマのキリスト教弾圧から遅れること約2世紀。やった理由は、海を隔てたエチオピアにあるアクスム王国が東方正教系のキリスト教を信奉しており、対抗するためであったという。つまりは政治的な理由で、9世紀にハザール可汗国がユダヤ教を採用したケースとよく似ている。

しかしユダヤ教が主流になることはなく、6世紀末には南アラビアの主要地域はサーサーン朝ペルシアに併合される。
アラビア半島の中央部には相変わらずの多神教世界が残り、交易路に沿った南部や沿岸部ではユダヤ教、キリスト教、それ以外の(広義な意味での)一神教が入り交じる中、「最後の預言者」ムハンマドが現れる。

この本には出てこなかったが、そもそもアッラーの元の姿はムハンマドが所属した部族の守護神(部族にとっての最高神)だったのでは、という説もある。元々は排他的な一神教ではなく、多数の神の中で抜きん出た一柱だけを信仰する広義な意味での一神教だった可能性があると思っている。
そこから、地域特有の禁忌や、元々ある社会的な慣習(例えば妻帯や再婚ルールなど)を宗教の中に組み込んでいき、教義の形を作っていく。

元々の一神教という下地があっての発展だから、その意味で「最後の預言者」という表現は正しい。ユダヤ教やキリスト教のエッセンスを取り込みつつ、最後に成立させた宗教になるからだ。ただ、それは天の啓示という神話的な事象によるものではなく、段階を踏みつつ、その時代・その場所に及ぼされていた周辺文化の影響のもとに成立した、という話になる。

まあ読んでいくと「なるほどなあ」としか言えない。
アラブの民は多神教からいきなりアッラーだけを崇拝するようになったわけではなく、部族ごとにユダヤ教もキリスト教も自己オリジナルの一神教も色々やってて、交易商人なのでギリシャ・ローマの神もエジプトやメソポタミアの神もゾロアスター教も、ナバテア人の宗教もなんとなく知ってて、その中で自分たちに便利な宗教として一つを選んだ…。

ただその、「一つを選んで」統一されていくまでの速度が早すぎて、何があったよ? と言いたくならないでもないのだがw

とりあえず、イスラーム前夜の状況はだいたいわかったのでヨシ! 持ちこしの疑問はまたいつか。