一神教の神は全部同じ、という建前と信者の現実。「ヤハウェ≒アッラー」
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、近い地域で発生した排他的な一神教である。建前上、これらの崇める神は同じ、ということになっている。モーセもイエスも預言者の一人であるが、神から受けた啓示を正しく広めることが出来なかったため、教えが歪んで伝わってしまったのだというのがイスラームの言い分である。
そのため、イスラム教を創始したムハンマドは、「最後の予言者」とも呼ばれる。
イスラームの教えが最終究極であり、他の預言者たちになし得なかった、唯一神の望む教えを広めたものだという立場である。
しかし、ユダヤ教/キリスト教の神はヤハウェで、イスラム教の神はアッラーである。
そもそも発祥も違う。
ヤハウェの起源はおそらく砂漠の嵐の神だろうとされ、だから同じ嵐の神であるバアルとの主神争いの神話が多いのだと言されている。つまり当初は多神教の中の一柱に過ぎなかった。
イスラム教の神アッラーも、ムハンマドの属する部族の守護神であり、かつてはアッラートという女性格の妻と三人の娘たちが設定されていた。
つまり両者とも、当初は排他的な一神教ではなく、主要な一柱だけを崇め、他の神格を取り込んでいくというスタイルだった。これはたとえばエジプトでいえばアメン=ラー神に他の多くの神格を取り込んでいた時代が近い考え方になるかと思う。
しかし唯一絶対神まで上り詰めてしまうと話が変わってくる。他の神は「そもそも存在しない」。存在しないからには、両者は同じでなけばならない。
もともとの起源が別の神を同じだといいはるわけだから、これはなんとも面倒くさい。
旧約聖書(ユダヤ教)→新約聖書(キリスト教)→コーラン(イスラム教)と経典が変わっていくにつれ、神の性格も変わっていくが、それもそのはず、本来は別物だった神を、同じ唯一神なのだから別名だと同一視したから性格の差異が出てしまうのだ。
ややこしいが、こうなってしまった理由ははっきりしている。
後発のイスラム教が、創始にあたり既に布教されていたユダヤ教/キリスト教のフォーマットに相乗りしたからだ。
イスラム教創始以前のアラビア半島には、既に一神教の下地があった。
この二つの先行する宗教に加えて、独自の、部族神のみ崇めるという「多神教だが神々の中から一柱だけ選んで重視する」というやり方だ。
しかし、その独自一神教だけ全く新しく単品で広めるのは難しい。先行宗教の威を借りる、ではないが、使い勝手のよい部分をチョイスして取り込むほうがやりやすい。
コーランに旧約聖書の一部が取り込まれているのは、創世神話など「一神教」としての建前に必要な箇所を選んで相乗りするためだったのだと思う。(これで元ユダヤ教徒やキリスト教徒だった人たちも改宗させやすくなったと思われる)
つまりはイスラーム視点だと「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は同じ」と主張することには得がある。
だが、神話の相乗りで信者を奪われているユダヤ教え、キリスト教の側からすると、後発のイスラム教の神を同じものと主張することには得があるように見えない。
彼らの側の主張ってどうなってるんだろう…?
というわけで、前置きが長くなったが、キリスト教徒はアッラーとヤハウェを同一視するのか? どう思っているのか? というのをフト疑問に思ったのだった。で、ググってみたら一発目にけっこういい文書が見つかった。
Is Allah of Islam the same as Yahweh of Christianity?
https://www.ciu.edu/allah-islam-same-yahweh-christianity
結論から言うと、「そう主張されているが、同じな訳がない。だって全然別モノじゃん…」という主張になっていた。
まあそうですよね。
ちなみにキリスト教では三位一体や神の子による原罪の払拭は教義の中心を占める部分だが、イスラーム的にはこれは最悪の罪になるらしい。そもそも絶対の唯一神を、三位一体という形で有耶無耶な多神教まがいにしてしまったことが許されない、という。これは言い分もよく分かる。結果的に神ではなくキリストやマリアを崇めてしまっているので排他的な一神教の理想から外れてしまっているのは確かだ。
それからユダヤ教徒がどう思っているのか。
ユダヤ教については、ヘブライ語がさっぱりわからないのでとりあえず片っ端から翻訳かけてみたのだが、キリスト教は普通にユダヤ教から派生したもので同じ神であると考えているようだ。歴史経緯としては正しい。
というかイスラエルでもけっこうクリスマスが浸透していて、キリスト教化していると保守的な人たちからは叩かれているらしい。
またイスラム教に対しても、「神にはいろんな名前がある、ときにはアッラーと名乗ったんだろう」という感じでアッラーを神の別名とみなす意見が主流に思えた。確かに、ヤハウェ意外にもエホバやアドナイといった別名が聖典に出てくるわけだし、別名の一つとみなすのは理解できる。
つまり整理すると、
ユダヤ教から見たキリスト教、イスラム教の神→同一
キリスト教から見たユダヤ教、イスラム教の神→ユダヤ教は同じだけどイスラム教のは同一といい難い
イスラム教から見たユダヤ教、キリスト教の神→同一
という認識になる。
結構面白い結果になった。
※人によって考え方が異なる可能性あり。検索でざっと見ただいたいの感触
「アッラーがイエスの父なわけないだろ」というキリスト教徒の視点や、「神はその時々で名乗り変えるから、ムハンマドと出会った時と釈迦と出会った時で名前が違うのは当たり前」というユダヤ教/イスラム教の視点は、実に興味深い。
あとコーランには旧約聖書の神話が取り込まれているせいもあってか、ユダヤ教とイスラム教の視点は意外と近い部分がありそうな気がする。
まあこのへんは、宗教の専門家の人がたぶんどっか詳しく説明してくれてると思うから、こんど探してみようと思う。
そのため、イスラム教を創始したムハンマドは、「最後の予言者」とも呼ばれる。
イスラームの教えが最終究極であり、他の預言者たちになし得なかった、唯一神の望む教えを広めたものだという立場である。
しかし、ユダヤ教/キリスト教の神はヤハウェで、イスラム教の神はアッラーである。
そもそも発祥も違う。
ヤハウェの起源はおそらく砂漠の嵐の神だろうとされ、だから同じ嵐の神であるバアルとの主神争いの神話が多いのだと言されている。つまり当初は多神教の中の一柱に過ぎなかった。
イスラム教の神アッラーも、ムハンマドの属する部族の守護神であり、かつてはアッラートという女性格の妻と三人の娘たちが設定されていた。
つまり両者とも、当初は排他的な一神教ではなく、主要な一柱だけを崇め、他の神格を取り込んでいくというスタイルだった。これはたとえばエジプトでいえばアメン=ラー神に他の多くの神格を取り込んでいた時代が近い考え方になるかと思う。
しかし唯一絶対神まで上り詰めてしまうと話が変わってくる。他の神は「そもそも存在しない」。存在しないからには、両者は同じでなけばならない。
もともとの起源が別の神を同じだといいはるわけだから、これはなんとも面倒くさい。
旧約聖書(ユダヤ教)→新約聖書(キリスト教)→コーラン(イスラム教)と経典が変わっていくにつれ、神の性格も変わっていくが、それもそのはず、本来は別物だった神を、同じ唯一神なのだから別名だと同一視したから性格の差異が出てしまうのだ。
ややこしいが、こうなってしまった理由ははっきりしている。
後発のイスラム教が、創始にあたり既に布教されていたユダヤ教/キリスト教のフォーマットに相乗りしたからだ。
イスラム教創始以前のアラビア半島には、既に一神教の下地があった。
この二つの先行する宗教に加えて、独自の、部族神のみ崇めるという「多神教だが神々の中から一柱だけ選んで重視する」というやり方だ。
しかし、その独自一神教だけ全く新しく単品で広めるのは難しい。先行宗教の威を借りる、ではないが、使い勝手のよい部分をチョイスして取り込むほうがやりやすい。
コーランに旧約聖書の一部が取り込まれているのは、創世神話など「一神教」としての建前に必要な箇所を選んで相乗りするためだったのだと思う。(これで元ユダヤ教徒やキリスト教徒だった人たちも改宗させやすくなったと思われる)
つまりはイスラーム視点だと「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は同じ」と主張することには得がある。
だが、神話の相乗りで信者を奪われているユダヤ教え、キリスト教の側からすると、後発のイスラム教の神を同じものと主張することには得があるように見えない。
彼らの側の主張ってどうなってるんだろう…?
というわけで、前置きが長くなったが、キリスト教徒はアッラーとヤハウェを同一視するのか? どう思っているのか? というのをフト疑問に思ったのだった。で、ググってみたら一発目にけっこういい文書が見つかった。
Is Allah of Islam the same as Yahweh of Christianity?
https://www.ciu.edu/allah-islam-same-yahweh-christianity
結論から言うと、「そう主張されているが、同じな訳がない。だって全然別モノじゃん…」という主張になっていた。
まあそうですよね。
ちなみにキリスト教では三位一体や神の子による原罪の払拭は教義の中心を占める部分だが、イスラーム的にはこれは最悪の罪になるらしい。そもそも絶対の唯一神を、三位一体という形で有耶無耶な多神教まがいにしてしまったことが許されない、という。これは言い分もよく分かる。結果的に神ではなくキリストやマリアを崇めてしまっているので排他的な一神教の理想から外れてしまっているのは確かだ。
それからユダヤ教徒がどう思っているのか。
ユダヤ教については、ヘブライ語がさっぱりわからないのでとりあえず片っ端から翻訳かけてみたのだが、キリスト教は普通にユダヤ教から派生したもので同じ神であると考えているようだ。歴史経緯としては正しい。
というかイスラエルでもけっこうクリスマスが浸透していて、キリスト教化していると保守的な人たちからは叩かれているらしい。
またイスラム教に対しても、「神にはいろんな名前がある、ときにはアッラーと名乗ったんだろう」という感じでアッラーを神の別名とみなす意見が主流に思えた。確かに、ヤハウェ意外にもエホバやアドナイといった別名が聖典に出てくるわけだし、別名の一つとみなすのは理解できる。
つまり整理すると、
ユダヤ教から見たキリスト教、イスラム教の神→同一
キリスト教から見たユダヤ教、イスラム教の神→ユダヤ教は同じだけどイスラム教のは同一といい難い
イスラム教から見たユダヤ教、キリスト教の神→同一
という認識になる。
結構面白い結果になった。
※人によって考え方が異なる可能性あり。検索でざっと見ただいたいの感触
「アッラーがイエスの父なわけないだろ」というキリスト教徒の視点や、「神はその時々で名乗り変えるから、ムハンマドと出会った時と釈迦と出会った時で名前が違うのは当たり前」というユダヤ教/イスラム教の視点は、実に興味深い。
あとコーランには旧約聖書の神話が取り込まれているせいもあってか、ユダヤ教とイスラム教の視点は意外と近い部分がありそうな気がする。
まあこのへんは、宗教の専門家の人がたぶんどっか詳しく説明してくれてると思うから、こんど探してみようと思う。