ホモ・サピエンスとそれ以外のヒトが共存した時代:はざまの時代の遺物と、それは日本にもあるのかという話

人手が足りなくて複数PJ同時並行でアサインされてる中の人です、こんばんは。
うーん業務過多! しかも責任者ポジのやつが幾つかある。やれるだけやるけど金くれ、と言ったら本当に給料が上がってしまい引くに引けなくなった。そんな残暑の季節。

ただ、忙しさにかまけていると色んなものを忘れていってしまう。
読んだ本、思いついたアイデア、あとで調べようと思ったこと。日々の頭脳の営みは忙しい時ほど記録に残していかなければならない。なのでとりあえず書いておく。


**閑話休題**


さて、最近ちょろっと読んでた論文に、「ネアンデルタールの骨が多数見つかる場所から、解剖学的には現生人類に当たる骨も見つかっている。」という内容のものがあった。

Anatomically modern human in the Châtelperronian hominin collection from the Grotte du Renne (Arcy-sur-Cure, Northeast France)
https://www.nature.com/articles/s41598-023-39767-2?utm_medium=affiliate&utm_source=commission_junction&utm_campaign=CONR_PF018_ECOM_GL_PHSS_ALWYS_DEEPLINK&utm_content=textlink&utm_term=PID100052172&CJEVENT=7bd235f9413c11ee8141a7ca0a1cb826

フランスのシャテルペローニアンという洞窟から出ているものだそうで、ここにはシャテルペロン文化という独自性の高い石器文化が展開されていたようだ。ネアンデルタールのものかと思われていたが、ヨーロッパ渡ってきた最初期の現生人類が同時期に同じ場所に混じって住んでいたとなると、単独成立の文化ではなく文化の伝播があった可能性も出てくる。

ただ、論文の中でその根拠となっている現生人類の骨というのがあまりに小さく、しかも乳幼児の股関節部分の骨だけなので、「この一つでそこまで言えるのか…?」と心配になる。少なくとも、同様の懸念は専門家の中からも出ていて、別の地層から紛れ込んだ可能性はないのかという意見は見かけた。

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もっとも、デニソワ人だって最初は指先の骨だけだった。そこから、現代技術でDNAを解析して初めて、新種のヒト、しかも祖先の一部だと判明したわけである。
個人的には、この論文の内容はこれだけだと決定的にならないのでまだ様子見でいいかなーと思っているが、定説って新しい発見でけっこう書き換わるものなので、将来的にはシャテルペロン文化の担い手や説明文が変わってる可能性はあるなと思っている。


さて、このフランスの事例はともかくとして、我々の中にネアンデルタールやデニソワ人の遺伝子が紛れ込んでいる以上、どこかで必ず交流はあり、文化の伝播・共鳴も起きたはずだと思っている。具体的には、一方が他方を模倣するとか、より優れた技術を真似て獲得するか、互いを参照して一部を取り込むとかである。
その意味では、石器文化や住居の形態だけを見て、「これはクロマニヨン人の文化」「これはホモサピエンスが作ったもの」と、きっちり分類できるのかどうかはもはや怪しい。両者が入り混じっていた時代や、文化の伝播によってよく似たものを作る可能性があるからだ。

その意味で、我々の祖先とそれ以外のヒトが共存していた可能性のある時代の遺物は、実は判断がけっこう難しいと思う。
「遺跡からネアンデルタールの骨が出てくるから、この遺物はネアンデルタールのものだろう」などとは、もはや言えないからだ。近くにいた現生人類の模倣や、物々交換で譲りうけた可能性もある。

逆の視点で言えば、「この時代には現生人類しかいなかったから、この遺物は現生人類のものだろう」とか「この石器は高度な作りだから、現生人類のもののはずだ」というのも言えなくなる。それは、現生人類のほうが賢いのだからより高度なものをより早く開発できるはずだという思い込みを前提とした考えになる。

そして、この視点の先にあるものは、「そもそも世界のほかの場所ではどうだったのか。」であり、「例えば日本列島では、最初に到達したホモ・サピエンスの祖先たちは別種のヒトと出会っていないのか」である。



日本に最初にホモ・サピエンスが到達したのは、4万年前とされる。
しかし、それ以前の日本列島が無人だったのかどうか、実ははっきりしていない。

というか、「いただろう」とする学者さんはいるのだが常に慎重論で、かつて教科書にも載っていた明石原人は、実際にした現代人に近いとしてもはや原人とは呼ばれなくなってしまっている。

これに関係するのが、2000年に発覚した旧石器捏造事件(通称ゴッドハンド事件)なのは明らかだ。何十万年前という地層から石器を掘り出してみせ、その当時から日本列島にはヒトがいたのだと宣伝することで原人ブームを引き起こした。だが、実際にはそれらの石器は別の場所で掘り出した、全く別の時代の石器、中には縄文時代の石器まであった。

だが、日本の考古学者たちは石器の年代を正確に鑑定出来ず、「古い地層から出てきたんだから本当に古いんだろう」的な感じで勢いに流されてしまった。ーー長い間。

4万年より古い時代に日本列島に「旧人」がいたかどうか今なお慎重論が多いのは、この大失態により萎縮してしまったことが考えられる。そしてそもそも、古い地層から石器が出てきてもその時代が本当にあっているのか見分けがつかないというスキル不足もある。(何しろ縄文時代の石器にすら騙されていたくらいなので…)
しかし、探してみると、「旧人はいたはず」とかなり自信を持って書いている人もいた。
ゴッドハンド事件が明るみに出る前からいかさまを見抜いており、発覚後は矢継ぎ早に考古学会の批判本を出した竹岡俊樹氏である。

この時点で、「ま、まあ…あんたほどの実力者が言うんなら…」という顔になってしまった。(※ネットスラングなので「あんた」は別にタメ口ではない)

石器の鑑定をするスキルがある学者さんが言うなら、信ぴょう性はあると思う。ただ、残念ながらこれは日本の考古学会の主流ではない。そして他に旧人の可能性を研究している人はまだ見つけていない。
ヨーロッパと同じように、日本列島にもホモ・サピエンス以外の絶滅したヒト属がいて、初期には交流していたとすると、何が起きただろうか。遺伝子的な交流、物質文化の側面での共鳴作用、あるいは交流することなく敵視しあって一方がもう一方を滅ぼした可能性もある。

少なくとも、我々の祖先が無人の新天地たる日本列島に渡ってきた、と無意識に思い込むには根拠が足りないと思うのだ。
この島に住んだヒトの歴史の始まりを、我々はまだほとんど何も知らない。そう思っている。