「文字が生まれる理由」、いつかエチオピアで見た文字と現在のゲエズ文字について
文字というのは、必ず目的を持って作られる。端的に言えば「どういう言語を表現するか」である。文字は言語を書き記すために意図的に作られるものなので、表現すべき言語が決まっていない状態で作られた文字は存在しない。そこからいくと、新たな文字体系が作られるという状況は、表現したい言語が増えたと理解できる。
しかしながら、言語と文字は一対一の関係ではない。世界中に存在する言語の数だけ文字があるわけではない。
例えばアルファベットは英語以外にもフランス語やイタリア語のような類似語全般に使われ、フィリピン語や日本語のローマ字表記にも使われる。
古代で言えば、楔形文字がシュメール語にもアッカド語にも、フリ語やヒッタイト語にも転用されていた。
文字を転用すれば、全く新しく作る必要はない。自国語を表すのに文字数が足りないとか、表現しづらい発音があるとかであれば、文字数を増やすという方法もある。
日本もそうで、中国から導入した漢字をもとに、ひらがな・カタカナを作り出して日本語に対応させた。とはいえ、その文字の系譜は最古の文字体系である楔形文字やヒエログリフの系譜ほど複雑ではない。
のちにアルファベットへと繋がる文字の系統樹は、こんな感じになっている。

(※出典元「イスラーム成立前の諸宗教」国書刊行会)
この中で、いちばん右にある南アラビア文字の系統樹で生き残っているのは、エチオピア文字だけだ。
だが、エチオピアはアフリカ東部。南アラビア文字がアフリカに渡って、なぜそれだけ生き残ったのかという部分と、なぜエチオピアは流用ではなくわざわざ独自の文字を作ったのかという部分が気になっていた。
それも系統樹と遺物の分布を眺めていたらだいたいわかってきた。
まずひとつの理由は、やはり自国語に特化した文字が欲しかったのだろう、ということ。
エチオピア文字はいわゆるゲエズ語で、この文字の考案された当時にエチオピア北部で栄えたとされるアクスム王国で使われていたゲエズ語を記すために作られたものである。ゲエズ語は南アラビアの言語と直接繋がりがないため、南アラビア文字で書き記すには色々不都合があったのだろうと思う。
次の理由が、独自の文字を持つというのが国家アイデンティティに繋がっていた可能性。
ゲエズ文字が考案された頃は王国として勢いがあり、ナイルの下流では堂々たる文化を誇るエジプトが栄えていた。対抗意識はあったと思う。
また、アクスム王国が衰退し、ゲエズ語が日常語としては死語となり、文字としての命脈も尽きるはずだったのが現代まで生き残れたのは、ほそぼそと教会内で生き残っていたこの文字を国家戦略としてすくい上げた王たちがいたからである。
実際、アフリカの国々の中で独自の文字を持っている国はほぼ無く、書き文字にはアルファベットが使われていることが多い。そんな中、エチオピアはどこへいっても自国のゲエズ文字が踊っている。その御蔭で、彼らは歴史ある文字を自国独自のものとして誇ることが出来るのだ。
そして三つ目の理由が、エチオピアが書き文字を欲した理由が「紙に書くため」だったことにある。
そもそも南アラビア文字は「岩に刻む」という運用が主要な使い方で、形もずいぶんとカクカクしている。だがゲエズ文字はエチオピア正教の教会典礼用の文字として生まれ、典礼に使われる聖書や各種写本、壁画の装飾などに使われることが想定されていた。ナイル川の源流はエチオピア北部にあり、エチオピアはパピルス紙文化圏でもある。
つまりは、カクカクした直線の文字では典礼用書物の装飾に美しくはなく、紙に書くにも書きづらいため、形を変える必要があったということだ。
この第三の理由が、ゲエズ語がほぼ死語となってもなお、教会の中でほそぼそと生き残り続けた理由でもある。日常の話し言葉には使わなくとも、典礼用語や祈りの文句としては生き残り続けた。これは古代エジプト語の子孫であるコプト語と同じ生き残り方である。
エチオピアに行った時、古い遺物ではカクカクした南アラビア文字を見たし、石に刻まれたハサー文字らしきものも見かけた。
それとゲエズ文字は全然違うので、なんでわざわざ新しい文字を作ったんだろうな、と当時は思っていたが、まあ紙に書くことを考えればそりゃあ石用の文字ではだめだろうな、と納得した。
楔形文字が直接の子孫を残せなかったのと同じことだ。
粘土板に書くことを想定して直線のみで構成された楔形文字は、パピルス紙、羊皮紙が出回る世界では使えないのだ。
というわけで、文字が新たに作られる理由としては以下が考えられる。
①既存の文字では表現しづらい言語がある
②国威発揚に独自文化がほしい
③筆記具の種類に合わせたい
逆にいえば、既存の文字で表現できる言語、特に文字という文化で国威云々は考えていない文化圏、紙に書くことに特化した文字が既に存在する、など①~③の条件をどれも満たなさい場合は、新たな文字を作り出さず、既存の文字を使い回すだけでよい。
文字を新たに考案するのもけっこうたいへんだし、それを広めて定着させるには権力の後ろ盾も必要になる。やはりそれなりの理由があって、それなりの規模で活動するからこそ文字体系というものは生まれるのだなと思う。
しかしながら、言語と文字は一対一の関係ではない。世界中に存在する言語の数だけ文字があるわけではない。
例えばアルファベットは英語以外にもフランス語やイタリア語のような類似語全般に使われ、フィリピン語や日本語のローマ字表記にも使われる。
古代で言えば、楔形文字がシュメール語にもアッカド語にも、フリ語やヒッタイト語にも転用されていた。
文字を転用すれば、全く新しく作る必要はない。自国語を表すのに文字数が足りないとか、表現しづらい発音があるとかであれば、文字数を増やすという方法もある。
日本もそうで、中国から導入した漢字をもとに、ひらがな・カタカナを作り出して日本語に対応させた。とはいえ、その文字の系譜は最古の文字体系である楔形文字やヒエログリフの系譜ほど複雑ではない。
のちにアルファベットへと繋がる文字の系統樹は、こんな感じになっている。
(※出典元「イスラーム成立前の諸宗教」国書刊行会)
この中で、いちばん右にある南アラビア文字の系統樹で生き残っているのは、エチオピア文字だけだ。
だが、エチオピアはアフリカ東部。南アラビア文字がアフリカに渡って、なぜそれだけ生き残ったのかという部分と、なぜエチオピアは流用ではなくわざわざ独自の文字を作ったのかという部分が気になっていた。
それも系統樹と遺物の分布を眺めていたらだいたいわかってきた。
まずひとつの理由は、やはり自国語に特化した文字が欲しかったのだろう、ということ。
エチオピア文字はいわゆるゲエズ語で、この文字の考案された当時にエチオピア北部で栄えたとされるアクスム王国で使われていたゲエズ語を記すために作られたものである。ゲエズ語は南アラビアの言語と直接繋がりがないため、南アラビア文字で書き記すには色々不都合があったのだろうと思う。
次の理由が、独自の文字を持つというのが国家アイデンティティに繋がっていた可能性。
ゲエズ文字が考案された頃は王国として勢いがあり、ナイルの下流では堂々たる文化を誇るエジプトが栄えていた。対抗意識はあったと思う。
また、アクスム王国が衰退し、ゲエズ語が日常語としては死語となり、文字としての命脈も尽きるはずだったのが現代まで生き残れたのは、ほそぼそと教会内で生き残っていたこの文字を国家戦略としてすくい上げた王たちがいたからである。
実際、アフリカの国々の中で独自の文字を持っている国はほぼ無く、書き文字にはアルファベットが使われていることが多い。そんな中、エチオピアはどこへいっても自国のゲエズ文字が踊っている。その御蔭で、彼らは歴史ある文字を自国独自のものとして誇ることが出来るのだ。
そして三つ目の理由が、エチオピアが書き文字を欲した理由が「紙に書くため」だったことにある。
そもそも南アラビア文字は「岩に刻む」という運用が主要な使い方で、形もずいぶんとカクカクしている。だがゲエズ文字はエチオピア正教の教会典礼用の文字として生まれ、典礼に使われる聖書や各種写本、壁画の装飾などに使われることが想定されていた。ナイル川の源流はエチオピア北部にあり、エチオピアはパピルス紙文化圏でもある。
つまりは、カクカクした直線の文字では典礼用書物の装飾に美しくはなく、紙に書くにも書きづらいため、形を変える必要があったということだ。
この第三の理由が、ゲエズ語がほぼ死語となってもなお、教会の中でほそぼそと生き残り続けた理由でもある。日常の話し言葉には使わなくとも、典礼用語や祈りの文句としては生き残り続けた。これは古代エジプト語の子孫であるコプト語と同じ生き残り方である。
エチオピアに行った時、古い遺物ではカクカクした南アラビア文字を見たし、石に刻まれたハサー文字らしきものも見かけた。
それとゲエズ文字は全然違うので、なんでわざわざ新しい文字を作ったんだろうな、と当時は思っていたが、まあ紙に書くことを考えればそりゃあ石用の文字ではだめだろうな、と納得した。
楔形文字が直接の子孫を残せなかったのと同じことだ。
粘土板に書くことを想定して直線のみで構成された楔形文字は、パピルス紙、羊皮紙が出回る世界では使えないのだ。
というわけで、文字が新たに作られる理由としては以下が考えられる。
①既存の文字では表現しづらい言語がある
②国威発揚に独自文化がほしい
③筆記具の種類に合わせたい
逆にいえば、既存の文字で表現できる言語、特に文字という文化で国威云々は考えていない文化圏、紙に書くことに特化した文字が既に存在する、など①~③の条件をどれも満たなさい場合は、新たな文字を作り出さず、既存の文字を使い回すだけでよい。
文字を新たに考案するのもけっこうたいへんだし、それを広めて定着させるには権力の後ろ盾も必要になる。やはりそれなりの理由があって、それなりの規模で活動するからこそ文字体系というものは生まれるのだなと思う。