ゲームのやりこみ要素をやらなくなった理由/人はゲームに何を求めるのか

今年の春に発売され、めちゃくちゃ売れて「GDPの伸びに貢献したかも」とまで言われたゲーム、「ゼルダの伝説 ティアーズ・オブ・ザ・キングダム」。中の人もプレイしていたのだが、祠全部開けてメイン装備と馬の強化してチャレンジを全部終わらせるだけで普通に150時間を越えた。
しかしそれでもまだコンプしておらず、コログは500匹くらいだし、強モンスター討伐数は1/3くらいだし、ミニゲームはほとんどクリアできておらず、カバンダや洞窟すら全員見つけられていない。地下闘技場はスルーである。つまり、フルコンプしようとすると更に時間がかかる。ボリュームがハンパないのである。

https://www.nintendo.co.jp/zelda/totk/index.html
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だが、ほとんどの要素は、フルコンプする気が起きない…。
ミニゲームはまあいいとして、コログ集めはどうあがいても完遂出来る気がしない。強モンスターも探すのが面倒だ。
そして、いくつかのイベントが起きたりアイテムがもらえたりするイベントは、フルコンプの先に何が起きるのかをすでに知ってしまっているる。

たとえば、カバンダを全員見つけるともらえる報酬や、最後の一人を見つけた時のイベントなどは、探せばそのへんにコンプした人の上げている情報が落ちている。洞窟をすべて回ってマヨイの落とし物を集めきったあとのイベントも同じくだ。
昔だと、このへんは攻略本で文字情報まではあっても、実際に見るには自分でやるしかなかった。今は、攻略情報はあるものの、あえてそれを自分で時間をかけてなぞらなくても、他の人の体験を共有してもらえるので、好奇心は満たせてしまうのだ。

もちろん、自分でコンプすることを楽しみとする人はネタバレを避けるだろう。しかしチマチマした収集系のコンテンツをコンプする作業が面倒で、そのあと何が起きるのかを知りたいだけの私のような人間からすると、手間が省けてラッキーくらいの感覚になる。


という具合に、最近とみに、ゲームの中でも”作業"と感じる部分は面倒に感じるようになった。これは年齢的なものなのか、インターネットを通じてネタバレが簡単に手に入る時代になったからなのか。

というわけでちょっと検討してみたのだが、どうやら自分は後者のようだ。
思い出してみると、動画などが出回らない時代でも、やりこみ要素的なものはだいたいスルーしていたからだ。例外的にやったのは、幻想水滸伝Ⅱの「冒頭のイベント戦闘で108回戦うとオープニング映像に色がつく」くらいか。ゲームをすること自体は好きだったが、とにかく作業に感じられるものや、くまなく探索しないといけないものが苦手だった。その意味では、面倒くさいことを代わりにやって動画でアップしてくれる人はありがたい存在だ。ぶっちゃけ他人がやってくれなければ一生見なかったと思う。

今の時代は、映像が手軽に手に入り、他人がやった体験が簡単に共有される。
やりこみ要素だけではない。闘技場で強敵と戦うとか、条件の厳しいレアエンドを発生させるとか、確率でしか見られないイベントを起こすとか、そういうものも全て、他人の経験を共有してもらえる。自分で成し遂げた、という達成感は得られないかもしれないが、逆に言えば、ゲームにあまり達成感を求めていない場合は問題がない。

たかがゲームなのだが、ゲームをプレイすることに何を求めているのかは人によるのだと改めて実感する。

自分はおそらく好奇心優先で、その世界がどうプロミングされているのか、ストーリーや登場人物はどういうものなのかといったことを知りたくてプレイしているのだ。異世界をちょっと覗きにいっている感覚とでも言うべきか。なのでゲームの雰囲気とか世界観を重視していて、気に入ったゲームサントラはすぐに買う。やりこみ要素は、それによってキャラの隠された素性が明らかになるとか、世界の秘密が明かされるとか系ならやるが、それ以外は特にやりたくない。そしてやりこみ要素でも、あまりに面倒くさかったり、動画で答えが出てる場合には手を出さない。

その意味で、この攻略情報や動画のあふれる時代は自分にとっては生きやすい。ネタバレを気にしなくて済むうえに、面倒くさく感じる部分は自分でやらなくて済む。
「ティアーズ・オブ・ザ・キングダム」の場合、ゲームを作る側も、多くの人はコンプしないことを前提にしていると感じる。というか、優先度の高い祠をコンプするだけでも100時間に達するゲームなので、それ以外の要素は一部の「やりこまないと気がすまない」という人向けではないだろうか。
自分としては、ストーリーを進めるために"作業"の必要なゲームが嫌いなので、「コンプしてもしなくても大差ない」、「メイン要素を選んでプレイしてもいい」、そういう作りのゲームが増えるといいなと思っている。