「古代エジプト帝国」は何故生まれたのか、それは地政学上の必然だった
古代エジプトは、ナイル川沿いに興った国だ。基本的な国土はその3000年の歴史を通じて殆ど変わらず、川沿い+オアシス。プトレマイオス朝になると海沿いも開拓されていくが、首都は常にナイルのもとにあった。
しかし、そのエジプトが海外に手を伸ばし、小国家を属国として取り込んで国土を拡大していた時期がある。新王国時代だ。
ナイル川沿いに展開している、文化もアイデンティテイも多少の差異はあれどほぼ均一な「王国」とは違い、「帝国」とは、異民族や異文化、異国を併合した集合体のことだ。
したがって、この時代のエジプトは、「エジプト帝国」と呼ばれる。
だが、なぜエジプトはこの時代だけ「帝国」となっていたのか。なぜ国土を拡大していったのか。
まあ一つには国が豊かでイケイケドンドン(死語)な感じのときに、軍事的なやる気のあるファラオがたったのもあるが、もう一つの理由は、支配しなければ敵地になるため仕方なく だった可能性があると思う。
エジプト帝国の版図を見てみよう。
赤い丸を付けたシリア・パレスティナあたりの土地は小国家群だ。アクエンアテンの時代に首都だったアマルナからは、この土地に存在した国々からエジプト王への文書が多数見つかっている。しかし、この地域の王/首長たちは、常にエジプトに従っていたわけではない。ヒッタイトが台頭していた時代はヒッタイトについていたり、ミタンニが台頭した時代にはミタンニに靡いたりと、いつ裏切るか分からないし、敵側についた場合は敵対行動を取ってくる可能性もあった。
つまり、この赤丸の「属国」領域は、力や権威、朝貢関係で抑えておかなければ国の安全保障に関わる地域だった。
そして同時に、この地域は、周辺に大国が発生したさいに緩衝地域となる宿命にあった。
要は取り合いである。ここを取られるとエジプトに直接攻め込まれてしまうので、友好国/属国にしておいて、戦争はここで起きたほうがいい。
実際、エジプトの国力が衰えていた末期王朝時代には、緩衝地帯の都市国家をすべて取られ、この地域を平定したアッシリアがエジプトに攻め込んで一時的に支配している。
赤い色のアッシリアが衰退したあとは、その向こう側にいる薄緑色で表現されたペルシアが出張ってきてここを支配する。そしてエジプトを支配する。シリア・パレスティナ地域は常に大国に支配され続けていて気の毒ではあるが、紀元前2000年以降、常に大国のはざまにあり続けたことからすると必然でもあった。
というわけで、エジプトが帝国と呼ばれた時代は、他の国を牽制するためにも、緩衝地帯を設けるためにも、帝国にならざるを得なかった時代ーーそして、実際に帝国と「なれた」時代でもあったと思うのだ。
逆にいえば、エジプトが帝国でなくなったのは、帝国であり続ける「支配力を失っていたから」とも言える。
なお、「帝国」というとゲームやアニメなどの影響で悪いイメージが多い感じだが、古代の帝国は悪いことばかりではない。でかい国の下についていると、ザコ敵が寄ってこないのだ。
ザコ敵とは、盗賊とか、蛮族とかである。
税金を取って支配するにしても兵力は送り込むので、小国家が自国だけで防衛する必要はなくなり、蛮族ヒャッハー的なものから開放されて治安は良くなる。友好国であれば交易路は保証される。ただ、いざ隣の大国との戦争になったらまっさきに矢面に立たされるため、情勢を読む目が必要になってきる。
宗主国の国力が衰えてきたら早めに損切りして寝返らないと国が滅びてしまう。ころころ陣営を変えるのは、小国のさだめとも言える。
歴史はマンガや小説とは違う。支大義名分よりも、「生き残ったものこそ正義」という事情が見えてくる。(とはいえだいたいの国は滅びてしまうのだが…。エジプトも古代の王国としては滅びているわけだし)
しかし、そのエジプトが海外に手を伸ばし、小国家を属国として取り込んで国土を拡大していた時期がある。新王国時代だ。
ナイル川沿いに展開している、文化もアイデンティテイも多少の差異はあれどほぼ均一な「王国」とは違い、「帝国」とは、異民族や異文化、異国を併合した集合体のことだ。
したがって、この時代のエジプトは、「エジプト帝国」と呼ばれる。
だが、なぜエジプトはこの時代だけ「帝国」となっていたのか。なぜ国土を拡大していったのか。
まあ一つには国が豊かでイケイケドンドン(死語)な感じのときに、軍事的なやる気のあるファラオがたったのもあるが、もう一つの理由は、支配しなければ敵地になるため仕方なく だった可能性があると思う。
エジプト帝国の版図を見てみよう。
赤い丸を付けたシリア・パレスティナあたりの土地は小国家群だ。アクエンアテンの時代に首都だったアマルナからは、この土地に存在した国々からエジプト王への文書が多数見つかっている。しかし、この地域の王/首長たちは、常にエジプトに従っていたわけではない。ヒッタイトが台頭していた時代はヒッタイトについていたり、ミタンニが台頭した時代にはミタンニに靡いたりと、いつ裏切るか分からないし、敵側についた場合は敵対行動を取ってくる可能性もあった。
つまり、この赤丸の「属国」領域は、力や権威、朝貢関係で抑えておかなければ国の安全保障に関わる地域だった。
そして同時に、この地域は、周辺に大国が発生したさいに緩衝地域となる宿命にあった。
要は取り合いである。ここを取られるとエジプトに直接攻め込まれてしまうので、友好国/属国にしておいて、戦争はここで起きたほうがいい。
実際、エジプトの国力が衰えていた末期王朝時代には、緩衝地帯の都市国家をすべて取られ、この地域を平定したアッシリアがエジプトに攻め込んで一時的に支配している。
赤い色のアッシリアが衰退したあとは、その向こう側にいる薄緑色で表現されたペルシアが出張ってきてここを支配する。そしてエジプトを支配する。シリア・パレスティナ地域は常に大国に支配され続けていて気の毒ではあるが、紀元前2000年以降、常に大国のはざまにあり続けたことからすると必然でもあった。
というわけで、エジプトが帝国と呼ばれた時代は、他の国を牽制するためにも、緩衝地帯を設けるためにも、帝国にならざるを得なかった時代ーーそして、実際に帝国と「なれた」時代でもあったと思うのだ。
逆にいえば、エジプトが帝国でなくなったのは、帝国であり続ける「支配力を失っていたから」とも言える。
なお、「帝国」というとゲームやアニメなどの影響で悪いイメージが多い感じだが、古代の帝国は悪いことばかりではない。でかい国の下についていると、ザコ敵が寄ってこないのだ。
ザコ敵とは、盗賊とか、蛮族とかである。
税金を取って支配するにしても兵力は送り込むので、小国家が自国だけで防衛する必要はなくなり、蛮族ヒャッハー的なものから開放されて治安は良くなる。友好国であれば交易路は保証される。ただ、いざ隣の大国との戦争になったらまっさきに矢面に立たされるため、情勢を読む目が必要になってきる。
宗主国の国力が衰えてきたら早めに損切りして寝返らないと国が滅びてしまう。ころころ陣営を変えるのは、小国のさだめとも言える。
歴史はマンガや小説とは違う。支大義名分よりも、「生き残ったものこそ正義」という事情が見えてくる。(とはいえだいたいの国は滅びてしまうのだが…。エジプトも古代の王国としては滅びているわけだし)