伝統とは何かを考えさせられる…「アンデス奇祭紀行」

古本屋に寄って適当に漁ってて見つけた本。今から20年以上前に出た本のようなので、本に書かれている祭りが今も変わらずやっているかというとそうではない気もするのだが、クスコに移住した著者が変わった祭りの噂を聞きつけては現地に飛んでその祭りを体験するという、なかなかアグレッシブな内容になっている。民俗学というよりは現地観光ガイドに近いような感じのエッセイになっている。

アンデス奇祭紀行 - 鈴木智子
アンデス奇祭紀行 - 鈴木智子

アンデスは、かつてインカ帝国の栄えた場所であり、今そこに住む人たちは、スペイン人移住者との混血もありつつほとんどが古来からの現地民の末裔である。宗教はカトリックになったが、そのカトリックは現地宗教と融合した独特のもので、たとえば「地震から街を守ってくれた黒いキリスト」がいたり、独自の「聖人」たちがいたり。最後の晩餐の絵でテーブルの上に載っているのは、テンジクネズミ(クイ)になっている。

(そのへんの話は、以前自分がペルーに行った時の記録にも書いたので参考までに。)
https://55096962.seesaa.net/article/201308article_6.html

で、そんな状況なので、とにかく変わった祭りがある。
クリスマスである12/25に殴り合いのケンカをしてたりするのである。わけがわからない。

だが本を読み進めていくと、その「ケンカ」は、実は中南米にはるか昔からある、伝統的な倫理観や価値観、宗教観に根ざしていると気づくことになる。
ケンカ祭りの決闘は、かつてマヤ文明で「花の戦争」と言われた、都市の代表者同士、または選ばれた貴族たちが、所属都市の威信をかけて戦ったスポーツ的な決闘によく似ている。死者が出ることさえある、恐ろしい「石投げ祭り」で戦士たちが血を流すことは、大地の神パチャママへの最高の捧げ物でもあるというが、これはアステカ人が生贄を繰り返していた理由でもあり、太陽の活力を保つために血を捧げた考え方に通じている。

だから、クリスマスが大事な日なら、その日には生贄を捧げる大事な行為は必要だ。太陽の光が弱まる冬に血を流すことにも、かつては別の意味があったのかもしれない。
実は昔からの生き方や考え方が、カトリックの教義というガワを被って別ものになっている。

また、最近出来たという祭りも出てきた。キリストに扮する神父をローマ人兵士役の若者たちがひっぱたき、ゴルゴダの丘に連れていき、死んだあと復活するまでを劇として演じるというもの。アンデスの山奥にいきなり出現するゴルゴタの丘とローマ兵はなかなかシュールだ。
その祭りは神父さんが始めたものらしいのだが、果たして今もやっているのだろうか。伝統に根ざさない新しい祭りは、風習として100年後も継承されることがあるのかは気になった。

以前どこかでも書いた気がするが、伝統とは、昔から「変わらない」もののことではない。
時代にあわせて「変わりゆく」ものこそ生きた伝統なのだ。
日本で今知られている伝統芸能だって、過去のいつかの時代に新しく生まれたもので、その当時から現在までに全く変わっていないなどということはない。うちの田舎でやってる阿波踊りも、時代ごとに鳴り物のトレンドや踊り子の踊り方が変わっている。

枠にはめて、保存対象となった時点で伝統は死ぬ。その意味で、この本に出てきたアンデスの祭りは、「生きた」「変化しつつある」祭りだ。だからこそ、10年後にまた同じ祭りに出会えるかは分からない。全く別ものに変化している可能性すらある。
そこが面白いのだと思う。