ファラオはなにゆえファラオたるか。「神王」の生まれた理由とは何か
…ということを、つらつらと考えていた。
ただの人間が、「神」とまで崇め奉られるわけである。ただ単に見た目が変わってたとか、頭が良かったとか、強かったとか、それだけでは成り立たない。そんなものは個人の業績であって、「王家」という血脈の生まれる理由にはならない。
ファラオは王家に生まれたからファラオなのである。古代エジプトの王家は、とにかく血統にこだわっていた。神の子孫であるというその血統、始まりは一体なんだったのか。
古代エジプトの歴史は長く、三千年ほど続く。
伝説上の初代王メン/メニは、まだ神ではない。初期王朝から第三王朝はじめくらいまでのエジプトは、まだ上下エジプトの統一がゆるく、反乱も起きているし、王はホルスとセトのどちらを主神にするか決めかねている。王が神そのものとして表現されるようになるのは、王権が確立してからのことだ。
王権の確立後に訪れるのが古王国時代。ピラミッド建設などを盛んに行っていたおよそ400年は、王たちが「現人神」に近い扱いを受けていた時代だった。
ギザに建つ巨大なピラミッドに象徴されるように、王は巨大な権力と財力を牛耳じる存在だった。そして、多数の労働者たちを養えたということは、その時代は恵まれた、気候的に豊かな時代で、余剰作物があり、来年の蓄えにも困っていなかったと言える。
この時代、王たちはなぜ神にも等しい存在だったのか、を考えてみたい。
すでに一つの理由は出ている。
気候が恵まれていたから、つまり天候が味方して、神意によって気候が安定していると見なされていたからだろう。逆に言えば、ナイルの増水が起きないなどの異常な天候があれば、王が神意に背いたとか、力を失ったと見なされても不思議ではなかった。古代世界にはよくある話である。
しかしそれだけではない。
古王国時代の官僚制度を見てみると、宰相などの重要な役職の多くは王族が占めている。要地の監督官に王子が就任していたり、要職の人物は王女を妻に迎えて王家の一員になっていたりする。
彼らが牛耳っていたのは、「知識」だったはずなのだ。
知識とは、天候や季節の移り変わりを読み解く力、文字を操る能力、計算、モニュメントの建造技術など。天候について言えば、毎年のナイルの増水の始まりを、星の観察によって言い当てることは、カレンダーのない時代の人々にとっては天啓を受けているように見えたかもしれない。
ということは、王家とは、一般人から見ると神業と思えた「特殊な知識」を囲い込んでいた一族が発端なのではないだろうか。
それらの知識は、のちに一般化されるにつれて王族ではない一般人や神官たちにも広がり、そのぶん王家の神秘的な権威は薄れていく。中王国時代以降、王が神ではなく「神の子」や「神に仕える神官の筆頭」と格下げになっていくのも、そのあたりが関係していると思う。
その知恵の一部、たとえば文字や数学の基本的な概念は、メソポタミアから伝来したという説もある。外来の知識を取り込んで昇華し、その知識を独占しながら豊かな時代に印象的なモニュメントを築き、自らの業績を高らかに誇った。神王の実態とは、そんなところなのかもしれない。
ただの人間が、「神」とまで崇め奉られるわけである。ただ単に見た目が変わってたとか、頭が良かったとか、強かったとか、それだけでは成り立たない。そんなものは個人の業績であって、「王家」という血脈の生まれる理由にはならない。
ファラオは王家に生まれたからファラオなのである。古代エジプトの王家は、とにかく血統にこだわっていた。神の子孫であるというその血統、始まりは一体なんだったのか。
古代エジプトの歴史は長く、三千年ほど続く。
伝説上の初代王メン/メニは、まだ神ではない。初期王朝から第三王朝はじめくらいまでのエジプトは、まだ上下エジプトの統一がゆるく、反乱も起きているし、王はホルスとセトのどちらを主神にするか決めかねている。王が神そのものとして表現されるようになるのは、王権が確立してからのことだ。
王権の確立後に訪れるのが古王国時代。ピラミッド建設などを盛んに行っていたおよそ400年は、王たちが「現人神」に近い扱いを受けていた時代だった。
ギザに建つ巨大なピラミッドに象徴されるように、王は巨大な権力と財力を牛耳じる存在だった。そして、多数の労働者たちを養えたということは、その時代は恵まれた、気候的に豊かな時代で、余剰作物があり、来年の蓄えにも困っていなかったと言える。
この時代、王たちはなぜ神にも等しい存在だったのか、を考えてみたい。
すでに一つの理由は出ている。
気候が恵まれていたから、つまり天候が味方して、神意によって気候が安定していると見なされていたからだろう。逆に言えば、ナイルの増水が起きないなどの異常な天候があれば、王が神意に背いたとか、力を失ったと見なされても不思議ではなかった。古代世界にはよくある話である。
しかしそれだけではない。
古王国時代の官僚制度を見てみると、宰相などの重要な役職の多くは王族が占めている。要地の監督官に王子が就任していたり、要職の人物は王女を妻に迎えて王家の一員になっていたりする。
彼らが牛耳っていたのは、「知識」だったはずなのだ。
知識とは、天候や季節の移り変わりを読み解く力、文字を操る能力、計算、モニュメントの建造技術など。天候について言えば、毎年のナイルの増水の始まりを、星の観察によって言い当てることは、カレンダーのない時代の人々にとっては天啓を受けているように見えたかもしれない。
ということは、王家とは、一般人から見ると神業と思えた「特殊な知識」を囲い込んでいた一族が発端なのではないだろうか。
それらの知識は、のちに一般化されるにつれて王族ではない一般人や神官たちにも広がり、そのぶん王家の神秘的な権威は薄れていく。中王国時代以降、王が神ではなく「神の子」や「神に仕える神官の筆頭」と格下げになっていくのも、そのあたりが関係していると思う。
その知恵の一部、たとえば文字や数学の基本的な概念は、メソポタミアから伝来したという説もある。外来の知識を取り込んで昇華し、その知識を独占しながら豊かな時代に印象的なモニュメントを築き、自らの業績を高らかに誇った。神王の実態とは、そんなところなのかもしれない。