古代の海岸線はどこにあったのか、アレキサンドリアの「失われた港」の海底調査から
地中海に面したアレキサンドリアの町には、かつて海に向けた二つの港があった。大港と西港、またはグレート・イースタンとエウノトスと呼ばれる。地図で見ると以下のような感じだ。

これらの港の中間について、丹念に海底を調べてみたという論文があった。ここらへんはヘプタスディオン堤があったとされる場所。
内容的には「ふーん」という感じなのだが、当たり前ながら港が健在だった時代にはだいぶ海岸線を加工していたらしい。具体的に言うと港として機能させるために護岸工事を行い、桟橋を作り、大きな船も接岸できるようにしていた。
それらは現在ではすべて海の底に沈んでいる。
Marine geophysical surveys and interpretations on the ancient Eunostos harbor Area, Mediterranean Coast, Egypt
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S111006212300003X#b0075

港がなぜ水没したのかは、たとえば365年のクレタ地震のような巨大な地震による津波である。地中海で定期的に起きていた津波によってアレキサンドリアは何度も冠水しており、ファロスの灯台も地震によって倒壊している。また、津波は他の海岸沿いの都市にも致命的な被害を与えており、街自体が完全に水没して失われた場所もある。
「失われた都市」カノポス、(ヘラクレイオン/メノウティス)の水没時期と状況の謎
https://55096962.seesaa.net/article/201805article_13.html
カノポスは、現在の海岸線から2.5キロも先に沈んでいる。アレキサンドリアの港は、現在の貝過眼線から800mほどなので、まだマシなほうかもしれない。
さて、ここで気になるのが「そんなに津波食らって海岸線が削れるなら、そもそもエジプトの海岸線は年々後退しているのでは?」というところだ。チリに行ったとき、海岸線が度重なる津波によって断崖絶壁と化しているのを見た。エジプトではそうなっていないのはなぜなのか。
答えは、「削れる以上の土砂をナイル川が運んでくる」。
こちらは、冒頭の論文からリンクされていたサイトのアレキサンドリア港に関する情報のページだが、ここから辿っていくと、ナイルデルタが過去6,500年ほどの間にどの程度変化してきたかが分かるようになっている。
https://www.ancientportsantiques.com/a-few-ports/alexandria/

見ると分かるが、昔に比べて海から後退しているところと、海に向かって前進しているところがある。これはナイル川がどこを流れていたかによる。ナイルの支流は、時代ごとに少しずつ流れを変えているのだ。たとえばロゼッタの部分が出っ張っているのは、ここに流量の多い支流があるから。東デルタが前進しているのも同様の理由だろう。
逆に大きく後退しているカノボスのあたりは、上流の流れが変わるなどして、支流にたどり着く水/土砂が減って海の侵食の勢いに負けるようになったのだ。
というわけで、エジプトの海岸線の集落遺跡の調査は、こういう時代ごとに変化を見ておかないと、全く頓珍漢な場所を調査することにしかねない。地形調査から入るのは定石になっている。考古学といいつつ地理の知識も必要になってくるのは、面白い。

これらの港の中間について、丹念に海底を調べてみたという論文があった。ここらへんはヘプタスディオン堤があったとされる場所。
内容的には「ふーん」という感じなのだが、当たり前ながら港が健在だった時代にはだいぶ海岸線を加工していたらしい。具体的に言うと港として機能させるために護岸工事を行い、桟橋を作り、大きな船も接岸できるようにしていた。
それらは現在ではすべて海の底に沈んでいる。
Marine geophysical surveys and interpretations on the ancient Eunostos harbor Area, Mediterranean Coast, Egypt
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S111006212300003X#b0075

港がなぜ水没したのかは、たとえば365年のクレタ地震のような巨大な地震による津波である。地中海で定期的に起きていた津波によってアレキサンドリアは何度も冠水しており、ファロスの灯台も地震によって倒壊している。また、津波は他の海岸沿いの都市にも致命的な被害を与えており、街自体が完全に水没して失われた場所もある。
「失われた都市」カノポス、(ヘラクレイオン/メノウティス)の水没時期と状況の謎
https://55096962.seesaa.net/article/201805article_13.html
カノポスは、現在の海岸線から2.5キロも先に沈んでいる。アレキサンドリアの港は、現在の貝過眼線から800mほどなので、まだマシなほうかもしれない。
さて、ここで気になるのが「そんなに津波食らって海岸線が削れるなら、そもそもエジプトの海岸線は年々後退しているのでは?」というところだ。チリに行ったとき、海岸線が度重なる津波によって断崖絶壁と化しているのを見た。エジプトではそうなっていないのはなぜなのか。
答えは、「削れる以上の土砂をナイル川が運んでくる」。
こちらは、冒頭の論文からリンクされていたサイトのアレキサンドリア港に関する情報のページだが、ここから辿っていくと、ナイルデルタが過去6,500年ほどの間にどの程度変化してきたかが分かるようになっている。
https://www.ancientportsantiques.com/a-few-ports/alexandria/

見ると分かるが、昔に比べて海から後退しているところと、海に向かって前進しているところがある。これはナイル川がどこを流れていたかによる。ナイルの支流は、時代ごとに少しずつ流れを変えているのだ。たとえばロゼッタの部分が出っ張っているのは、ここに流量の多い支流があるから。東デルタが前進しているのも同様の理由だろう。
逆に大きく後退しているカノボスのあたりは、上流の流れが変わるなどして、支流にたどり着く水/土砂が減って海の侵食の勢いに負けるようになったのだ。
というわけで、エジプトの海岸線の集落遺跡の調査は、こういう時代ごとに変化を見ておかないと、全く頓珍漢な場所を調査することにしかねない。地形調査から入るのは定石になっている。考古学といいつつ地理の知識も必要になってくるのは、面白い。