ウルの都はなぜ沈んだか/古代メソポタミアの洪水伝説に海面上昇が関係していた可能性が提起される

メソポタミアの古代都市ウルの築かれた土地は、かつて洪水によって一度完全に水没したことが知られている。
これは「ウーリーの発掘穴」「洪水穴」などの日本語名で知られる、ウーリー卿の発掘調査によって、都市遺構の下に分厚い堆積層が見つかっていることが証拠になる。6mもの堆積層の上に、紀元前3000年~の都市遺構が載っているのだ。

woolleys_trench_sketch.jpg

これらは、氾濫しやすいティグリス川、ユーフラテス川による大きな洪水に起因する堆積層というのが通説だ。
それに対し、「海岸線の変化も関係しているのでは」という論文を見つけた。

The Flooding of Ur in Mesopotamia in New Perspectives
https://www.scirp.org/html/3-1140038_52979.htm

同じペルシャ湾で、カタールの地形を調べ、紀元前5000年以前には海水面が0.3m高かった可能性が高く、もしペルシャ湾全体でこの水位上昇があったとしたら、ウルのあたりも水没していたのでは、というのだ。

3-1140038x8.png

3-1140038x6.png

ちなみにウルは、古代メソポタミアの都市の中でもティグリス・ユーフラテス川の下流に位置し、かなり海に近い低地にある。
海水面の上昇の影響を直接受けなくても、高潮をくらいやすかった時期くらいはあるかもしれない。なかなかおもしろい始点だなと思った。

1280px-Umma2350.svg.png

ただ、この説には決定的な弱点がある。
ウルの洪水堆積層から、海産物がでていないこと。高潮にしろ海面上昇にしろ、それが原因なら巻き込まれた海水性の貝とかがでてこないと決定的な証拠にはならない。まあ調べてないから見つかってないだけという可能性もあるけれど。

あと、ウル以外にキシュなどもっと上流の遺跡の下からも別の年代とされる洪水層が見つかっているので、海面上昇だけだと説明をつけるのは難しいかなと思う。やはりメソポタミアの古代都市の下に眠る洪水堆積層は、川の氾濫によるものと見做すのが妥当だろう、現時点では。

ただ、この論文が面白いなと思ったのは、古代メソポタミア文明の時代を通じて、海岸線がその時々で変化していた可能性を示唆しているところだ。シュメール人が最初の都市を築いたときの海岸線と現代の海岸線はかなり違っている。川によって陸地が前進した部分もあれば、侵食されて後退した部分もあるだろう。そして、海だけではなく、川の流れも時代によって場所を変えていたはずなのだ。

メソポタミア本に出てくるのは、現代の河川に沿った地図だけだから、「古代人の見てた風景はそれじゃない」と思い出させてくれるのはだいじなんことだと思う。