古代メソポタミア人はなぜ、川の水位を測らなかったのか。→意味なかったからだと思う
古代エジプトには、ナイロメーターという階段状になったナイル川の水位を測る設備が作られていた。毎年起きるナイルの増水の際に、水量を測るためのものである。
水位の増加が適量なら豊作が見込めるが、多すぎれば村落が水没し、少なすぎれば収穫量が減ってしまう。ナイルの増水は、その年の麦の収穫量を占う重要な要素だった。そのため、ナイロメーターはナイルの上流から下流まで、多く作られていた。
だがこれ、同じく年ごとの川の増水があったメソポタミアでは、作られていた話を聞いたことがない。灌漑農法で水位の上昇を気にしていたはずなのに、なんでメソポタミアにはつくられなかったんだろう。と思ってちょっと調べてみたのだが、そもそもの前提条件となる地形がかなり異なっていた。
●メソポタミアの川は急すぎ
●大都市のある場所は平坦すぎ
メーターで水位測ってる場合じゃなかった。水位が堤防超えて上昇したらとにかく逃げろ。そういうことだ。
以前、以下の記事に書いたが、氾濫を起こすのはたいてい、流れが急なティグリス川のほうだった。
古代エジプトに「洪水」は無く、メソポタミアに「洪水」はあった
https://55096962.seesaa.net/article/200905article_29.html
こちらの川は、見てのとおり途中まで勾配が急で、そこからいきなり平坦になる。ここで水が川から溢れる。バグダッド以南の都市がよく水没していたのは、この断面図を見ると理由が一目瞭然なのだ。
この平坦な場所では、水位の上昇を測る意味がない。平坦すぎるので、堤防を越えたら街が水没。越えずに耐え切れたらセーフ。
川の下流の都市の周囲はほぼ「沼地」「湿地帯」で、階段状の計測器を置くような場所もない。
そして古代のメソポタミアが領域国家ではなく、都市国家の形態をとっていたのも大きいと思う。
古代エジプトはナイル上流のアスワンと下流のメンフィスが同じ国なので、アスワンの水位上昇の状況を下流のメンフィスに伝達することは出来たが、メソポタミアは上流の街と下流の街が全然別の政体なので伝達して連携とかが出来ない。
さらに、増水の起きるシーズンが収穫前であり、次の年の収穫量を占うとかいう意味もない。
メソポタミアの河川増水タイミングは、以前こちらの記事に図を載せた。
ハンムラビ法典「農作物全滅したらローン返済せんでええで」…なお(
https://55096962.seesaa.net/article/201607article_6.html
さらにさらに、どうもメソポタミアの増水量は、ナイルのものほど水量が安定しておらず、時期も毎年決まった時期にというほど安定していなかったらしい。百年に一度くらい大増水が起きて洪水堆積層を作ってるあたり不安定だったのは分かっていたが、計測しても「適量」という目安がないほどランダムなら、測る意味も薄れてしまう。
ここに至って、なんか悟った気持ちになってしまった。
ナイロメーターのような計測器がなかったのは、意味なかったからだ…。
時計というものは、時が一定の間隔で刻まれるから意味がある。
古代エジプト人にとってナイルの増水は一年の始まりを意味したが、メソポタミアの河川は、時を測るために使われるものではなく、古代エジプト人とは全く意味の違うイベントだったのだろう。
水位の増加が適量なら豊作が見込めるが、多すぎれば村落が水没し、少なすぎれば収穫量が減ってしまう。ナイルの増水は、その年の麦の収穫量を占う重要な要素だった。そのため、ナイロメーターはナイルの上流から下流まで、多く作られていた。
だがこれ、同じく年ごとの川の増水があったメソポタミアでは、作られていた話を聞いたことがない。灌漑農法で水位の上昇を気にしていたはずなのに、なんでメソポタミアにはつくられなかったんだろう。と思ってちょっと調べてみたのだが、そもそもの前提条件となる地形がかなり異なっていた。
●メソポタミアの川は急すぎ
●大都市のある場所は平坦すぎ
メーターで水位測ってる場合じゃなかった。水位が堤防超えて上昇したらとにかく逃げろ。そういうことだ。
以前、以下の記事に書いたが、氾濫を起こすのはたいてい、流れが急なティグリス川のほうだった。
古代エジプトに「洪水」は無く、メソポタミアに「洪水」はあった
https://55096962.seesaa.net/article/200905article_29.html
こちらの川は、見てのとおり途中まで勾配が急で、そこからいきなり平坦になる。ここで水が川から溢れる。バグダッド以南の都市がよく水没していたのは、この断面図を見ると理由が一目瞭然なのだ。
この平坦な場所では、水位の上昇を測る意味がない。平坦すぎるので、堤防を越えたら街が水没。越えずに耐え切れたらセーフ。
川の下流の都市の周囲はほぼ「沼地」「湿地帯」で、階段状の計測器を置くような場所もない。
そして古代のメソポタミアが領域国家ではなく、都市国家の形態をとっていたのも大きいと思う。
古代エジプトはナイル上流のアスワンと下流のメンフィスが同じ国なので、アスワンの水位上昇の状況を下流のメンフィスに伝達することは出来たが、メソポタミアは上流の街と下流の街が全然別の政体なので伝達して連携とかが出来ない。
さらに、増水の起きるシーズンが収穫前であり、次の年の収穫量を占うとかいう意味もない。
メソポタミアの河川増水タイミングは、以前こちらの記事に図を載せた。
ハンムラビ法典「農作物全滅したらローン返済せんでええで」…なお(
https://55096962.seesaa.net/article/201607article_6.html
さらにさらに、どうもメソポタミアの増水量は、ナイルのものほど水量が安定しておらず、時期も毎年決まった時期にというほど安定していなかったらしい。百年に一度くらい大増水が起きて洪水堆積層を作ってるあたり不安定だったのは分かっていたが、計測しても「適量」という目安がないほどランダムなら、測る意味も薄れてしまう。
ここに至って、なんか悟った気持ちになってしまった。
ナイロメーターのような計測器がなかったのは、意味なかったからだ…。
時計というものは、時が一定の間隔で刻まれるから意味がある。
古代エジプト人にとってナイルの増水は一年の始まりを意味したが、メソポタミアの河川は、時を測るために使われるものではなく、古代エジプト人とは全く意味の違うイベントだったのだろう。