古代エジプトのファラオたちは実際に戦場に出たのかどうか。もうひとつの可能性「魂だけ出陣してた」?

古代エジプトのファラオたちは、儀式用品や神殿の壁画などに華々しい戦場の手柄を刻みつけた。古くはナルメル王のパレットの裏側から、有名なものでは新王国時代のメディネト・ハブの大壁画まで。それ以外にも、記念ステラなどで戦功を誇っているものは多数ある。

だが、それらは実際に戦場に出て手柄を立てた(そして少々話を盛った)のか、実は戦場に出かけてすらいないのか。
確実に戦場に出ただろうと思われるのは、ミイラの傷から戦死したとされているセケエンラー・タア王や、トトメス3世などごく一部のファラオたちだけだ。それ以外の王たちは、戦傷を負ってはいないし、場合によってはミイラから、酷い肥満や生来の虚弱体質だったことが明らかになっている。

ツタンカーメン王の墓の副葬品から弓や鎧、戦車が出てきたことから、かの王が戦場に出た経験があるのではという議論がなされたこともあるが、実戦ではなく儀式や模擬戦の際に使った可能性のほうが高い。
このように、「実際に戦場に出たのかどうか」は人によって解釈が異なり、逆に言えば証拠がなさすぎて実態が見えないところではある。

ただ、一つの手がかりがある。「ヨッパ略奪の物語」という新王国時代の文学作品で、シリアの都市ヨッパをエジプト軍が攻める際の病死やで、実際には王から預かった王笏だけ持っていったにも関わらず、まるで王自身がその場にいて奇跡を起こしたかのような書かれ方をしているのである。
王笏というのは、王の霊/精力("カー"と呼ばれる)が宿る神器の一つだ。そしてこれは、王の似姿として作られた像にも宿る。

もしかして、実際に戦場にいった/いかないではなく、「体ごと行った」か「分霊だけ行った」の二択なのでは…?



ここで少し説明を入れておくと、古代エジプトの宗教観では、人は「肉体」のほかに魂と訳される「バー」、霊とか精力と訳される「カー」を持つことになっている。
正確には他に「影」や「アク」もあるが、日本で言う「魂」「魄」に対応するセットはこの2つだ。で、魂は死者の書などでは鳥の姿で描かれ、死後の世界と地上を飛び回ることが出来る。カーのほうは墓にとどまり、子孫に代々伝えられていく。
ややこしいが、「カー」という名前の神もいる。普遍的な聖霊のような扱いだ。

Ka_Statue_of_horawibra.jpg

「カー」は文脈によっては活力と訳されることもあり、「xxのカーに力を与える」という言い回しは、xxにやる気を起こさせるという意味になる。「カーに力を奪う」はやる気を無くさせるということ。王は神の子というタテマエが在るので、王のカーは祖神から受け継いだものになり、そのカーの宿った神器は神の分身を戦場に持ち込んで加護を願うと言うような意味合いになる。

で、王からしたら、自分の一部を戦場に送っているので「戦場に出て兵たちと戦った」ことになるし、「戦争に勝ったのはワシの加護があったからやな!」ということになるので、全部自分の手柄として記録できる。嘘ではないが特殊な解釈による婉曲表現、とでも言うべきか。

なので、王が実際に戦場に出たかどうか、という意味では、記録されているものはすべて「行った」のだと思う。戦功をゼロから捏造することはキビシイ。知恵の神トトのしもべを名乗り、真実を書くことを宣言している書紀たちも、さすがにそれは職業倫理に反したと思う。
ただ、多くの王たちは「体ごと」行ったわけではなく、「分霊であるカーの一部を同行させた」、現代人から見るとツッコミどころがあるにせよ、古代人的にはそれでアリだったのではないかと思うのだ。