「カナン人」とは何者か。出てくる文脈によって意味がだいぶ違う件について
最近、何冊か読んだ本の中で「カナン人」という言葉が出てきてたのだが、どうも本ごとに意味合いが違うっぽく、だんだん混乱してきたので少しまとめておきたい。
まず大前提として、カナン人、という言葉は、実は出てくる文脈によって少しずつ意味合いが違っている。
これは「カナン」という言葉が、地名/民族名/文化名それぞれに使われているから。同じく意味合いが様々になる言葉に「シュメール」があるが、これも、シュメールという言葉が、地名(メソポタミア南部)、民族名(シュメール人)、時代・文化名(紀元前2000年以前)など複数の意味を持つからだ。
だがシュメールはアッカドに吸収されて民族としても文化としても消えたのに対し、カナンはそうではなかった。だからややこしい。
さらに「カナン」の場合、以下のように「歴史・考古学」と「聖書学」で意味が分かれてしまう。
●歴史・考古学
地名として →現在のレバノンからパレスティナ南部
民族名として →上記地域の住人。カナン人の言葉は便宜上、カナン語と呼ばれる
文化名として →上記地域の文化。エジプトによるカナン制圧後は廃れるとされる
●聖書学(聖書に出てくる内容)
ノアの息子ハムの息子、つまり孫にあたる人物名として「カナン」があり、その子孫がカナン人とされている。
神がイスラエルに与えたという約束の地の名称として「カナンの地」が出てくるが、つまりイスラエル人は他所からやってきてカナン人の土地に住み着いたことになっている。
聖書における地名として → イスラエルを中心として神が約束した土地
聖書における民族名として →イスラエル入植前に上記に居た先住民全般
簡単にまとめてみたが、ニュアンスの違いが分かるだろうか。
具体的に言うならば、古代エジプトが「支配した」と碑文に書いている「カナン人」は、旧約聖書で神が滅ぼしていいと言った「カナン人」とは別物の可能性がある。
地域はだいたい重なっているのだが、エジプトの文書に登場する紀元前1500年と、旧約聖書成立の時代とでカナン地方の文化がかなり変わっているうえに、紀元前1200年頃には「海の民」と呼ばれる多種多様な民族集団の襲来と定住が成されている。民族構成もかなり変化していたと予想できる。
なので、どういう文脈で「カナン」という言葉が使われているのか知らないと、そもそもの意味を取り違える。
この「歴史・考古学」と「聖書」の2つをごっちゃにすると、整合性が取れなくなるのだが、まさに日本語のWikipediaがそれをやってる状態だった。「広義ではノアの孫カナンから生じた民を指している」とか書いちゃっているのだが、それは聖書の話であって、そもそもノア自体が実在人物ではなく、カナン人という言葉が初登場するのは聖書の伝承が書かれるより軽く千年は昔の話なので同じものではないのだ。
あの記事だけ読んだ人は意味わからんだろうなあ…。
で、もう一つ重要なのが、「カナン人」は確固たるアイデンティティを持つ民族名というよりは、「カナン地方にその時々で住んでた人たちの通称」みたいなものだと思ったほうがいい。
オリエント事典に以下のように「時によって何を指すのかが異なる」と載ってるのは、まさに「その時々で指してる対象が違う」からだ。
わかりやすいところの例で言うと…
・前18世紀のマリ文書に登場する「カナン人」はおそらくアモリ人の一派で、レヴァントに住んでいた
・前16世紀ごろにエジプトに王朝を築いたヒクソス人は、カナン地方と深いつながりを持っていた。つまり「カナン人」の中にヒクソスも入ってた可能性がある
・前13世紀のアマルナ文書には具体的なカナン人の都市一覧が出てくるのでそこの都市民のことだろうなと分かるが、マリ文書には都市名が出てこないので、その時代に言ってたカナン人と同じかどうか分からない
・カナン人の宗教に関する文書は少し北のウガリットから多数出ているが、都市国家ウガリットの民族との関係が不明
・聖書の記述とは裏腹にイスラエルの文化はほぼカナン文化の踏襲なので、よそから移民が来たとしても少数派。イスラエル人とカナン人は民族としては合体している
・前6世紀、ギリシャ人はフェニキア人を別名として「カナン人」と呼んでいた
これらを詳しく見ていくと、「アモリ人とカナン人ってどう違うの?」とか「確かにヒクソスはカナン方面から来てるけど、関連ってどこまで証明できるの?」とか、「カナンに住んでたからってフェニキア人もカナン人に入るの?」とか、なんだか分からなくなってしまう。というか、そもそも古代人自身も、時代によって「カナン人」という言葉から想起する顔ぶれが変わっていたのではないかと思う。
結局、「カナン人」はカナン地方という土地の概念がまず前提としてあり、その辺りに住んでる人たちを指す言葉だったのではないかと思う。
つまりは、「あのへんの辺境にいる連中」みたいなアバウトな概念だ。自分はそう理解した。
従って、繰り返しとなるが、歴史・地理的な使い方をするならば、「カナン人」という言葉が指す内容は、時代や場面によって異なる。
マリ文書に出てくる「カナン人」は確かにいたし、アマルナ文書に出てくるエジプトの支配地域の「カナン人の都市」は実際に存在した。カナン文化とかカナン時代という区分もある。ただ、言葉の中身が場面ごとに違うということ。
そして、聖書の中の神話物語としての「カナン」は、歴史的な意味の「カナン」とは繋がらない。両者はごっちゃにしてはいけないのだ…。
まず大前提として、カナン人、という言葉は、実は出てくる文脈によって少しずつ意味合いが違っている。
これは「カナン」という言葉が、地名/民族名/文化名それぞれに使われているから。同じく意味合いが様々になる言葉に「シュメール」があるが、これも、シュメールという言葉が、地名(メソポタミア南部)、民族名(シュメール人)、時代・文化名(紀元前2000年以前)など複数の意味を持つからだ。
だがシュメールはアッカドに吸収されて民族としても文化としても消えたのに対し、カナンはそうではなかった。だからややこしい。
さらに「カナン」の場合、以下のように「歴史・考古学」と「聖書学」で意味が分かれてしまう。
●歴史・考古学
地名として →現在のレバノンからパレスティナ南部
民族名として →上記地域の住人。カナン人の言葉は便宜上、カナン語と呼ばれる
文化名として →上記地域の文化。エジプトによるカナン制圧後は廃れるとされる
●聖書学(聖書に出てくる内容)
ノアの息子ハムの息子、つまり孫にあたる人物名として「カナン」があり、その子孫がカナン人とされている。
神がイスラエルに与えたという約束の地の名称として「カナンの地」が出てくるが、つまりイスラエル人は他所からやってきてカナン人の土地に住み着いたことになっている。
聖書における地名として → イスラエルを中心として神が約束した土地
聖書における民族名として →イスラエル入植前に上記に居た先住民全般
簡単にまとめてみたが、ニュアンスの違いが分かるだろうか。
具体的に言うならば、古代エジプトが「支配した」と碑文に書いている「カナン人」は、旧約聖書で神が滅ぼしていいと言った「カナン人」とは別物の可能性がある。
地域はだいたい重なっているのだが、エジプトの文書に登場する紀元前1500年と、旧約聖書成立の時代とでカナン地方の文化がかなり変わっているうえに、紀元前1200年頃には「海の民」と呼ばれる多種多様な民族集団の襲来と定住が成されている。民族構成もかなり変化していたと予想できる。
なので、どういう文脈で「カナン」という言葉が使われているのか知らないと、そもそもの意味を取り違える。
この「歴史・考古学」と「聖書」の2つをごっちゃにすると、整合性が取れなくなるのだが、まさに日本語のWikipediaがそれをやってる状態だった。「広義ではノアの孫カナンから生じた民を指している」とか書いちゃっているのだが、それは聖書の話であって、そもそもノア自体が実在人物ではなく、カナン人という言葉が初登場するのは聖書の伝承が書かれるより軽く千年は昔の話なので同じものではないのだ。
あの記事だけ読んだ人は意味わからんだろうなあ…。
で、もう一つ重要なのが、「カナン人」は確固たるアイデンティティを持つ民族名というよりは、「カナン地方にその時々で住んでた人たちの通称」みたいなものだと思ったほうがいい。
オリエント事典に以下のように「時によって何を指すのかが異なる」と載ってるのは、まさに「その時々で指してる対象が違う」からだ。
わかりやすいところの例で言うと…
・前18世紀のマリ文書に登場する「カナン人」はおそらくアモリ人の一派で、レヴァントに住んでいた
・前16世紀ごろにエジプトに王朝を築いたヒクソス人は、カナン地方と深いつながりを持っていた。つまり「カナン人」の中にヒクソスも入ってた可能性がある
・前13世紀のアマルナ文書には具体的なカナン人の都市一覧が出てくるのでそこの都市民のことだろうなと分かるが、マリ文書には都市名が出てこないので、その時代に言ってたカナン人と同じかどうか分からない
・カナン人の宗教に関する文書は少し北のウガリットから多数出ているが、都市国家ウガリットの民族との関係が不明
・聖書の記述とは裏腹にイスラエルの文化はほぼカナン文化の踏襲なので、よそから移民が来たとしても少数派。イスラエル人とカナン人は民族としては合体している
・前6世紀、ギリシャ人はフェニキア人を別名として「カナン人」と呼んでいた
これらを詳しく見ていくと、「アモリ人とカナン人ってどう違うの?」とか「確かにヒクソスはカナン方面から来てるけど、関連ってどこまで証明できるの?」とか、「カナンに住んでたからってフェニキア人もカナン人に入るの?」とか、なんだか分からなくなってしまう。というか、そもそも古代人自身も、時代によって「カナン人」という言葉から想起する顔ぶれが変わっていたのではないかと思う。
結局、「カナン人」はカナン地方という土地の概念がまず前提としてあり、その辺りに住んでる人たちを指す言葉だったのではないかと思う。
つまりは、「あのへんの辺境にいる連中」みたいなアバウトな概念だ。自分はそう理解した。
従って、繰り返しとなるが、歴史・地理的な使い方をするならば、「カナン人」という言葉が指す内容は、時代や場面によって異なる。
マリ文書に出てくる「カナン人」は確かにいたし、アマルナ文書に出てくるエジプトの支配地域の「カナン人の都市」は実際に存在した。カナン文化とかカナン時代という区分もある。ただ、言葉の中身が場面ごとに違うということ。
そして、聖書の中の神話物語としての「カナン」は、歴史的な意味の「カナン」とは繋がらない。両者はごっちゃにしてはいけないのだ…。