ヒクソス王朝のスカラベは字がお下手。第二中間期の「ヒクソス・スカラベ」について
ヒクソス・スカラベとは、ヒクソス人王朝のあった第二中間期に大量に作られた「ヒエログリフがヘタ」なスカラベである。
というかその存在を自分はつい先日ようやく認識したところなのだが、ただ「ヘタ」なだけではなく、元の意味を理解せずに神の意匠を模様として使っているなど、独特な形状をしている。見るとすぐに分かるので事例を出してみる。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/544426
第15王朝のヒクソス王、「キアン」のカルトゥーシュがある。が、文字がすっごいヘタクソでカルトゥーシュも潰れている。王名によく添えられるアンクと三角パンはいいとして、「ラーの息子」を意味する部分は「息子」のガチョウだけしかない。あと周りのうねうねしているやつは多分メヘンである。
他の事例としては、こういう感じ。キプロス島やクレタ島で出土するエジプト風の遺物に似た雰囲気で、個々の意意味は理解しておらず、形だけ似せたなという感じ。ロータスまで謎のグルグルになっているのはセンスが面白い。
おそらく、第14~第15王朝のアジア方面から来た支配者たち(あるいは「王を名乗った人たち」)は、文字そのものに意味をもたせるというよりは、「これ何かありがたい護符らしいよ! このマーク書いとくといいことあるらしいよ!」みたいなご利益グッズとしてスカラベ作ってたんだと思う。でも律儀にスカラベの形だけは踏襲しているところは面白い。「なんでフンコロガシ…?」とは疑問に思わなかったのだろうか。
ただ、このスカラベ、実は第15王朝だけでなく、その前の「パレスティナ人王朝」と呼ばれる第14王朝でも作られていた。
これは第14王朝のシェシ王のものだが、同じく字がヘタで、ヒクソス・スカラベの分類に入れられている。第14王朝も、後半部分の支配者たちは実はヒクソスと名乗っていないだけで同系の部族だったのでは、という説があるが、このスカラベの様式の共通点もその根拠の一つとなっている。
https://collections.mfa.org/objects/136212/scarab-for-the-hyksos-ruler-maaib-re-sheshi;jsessionid=7527C5D8C33C9415AF5A65EC964E77C1
ここから出てくる問題点は、「じゃあパレスティナ人とヒクソス人の違いは何なのか」という点だ。
ヒクソス人はアジア方面から東デルタに侵入したことになっているが、その方向にはシナイ半島とパレスティナがある。ヒクソスの故郷=パレスティナかその周辺 であるはずなのだ。
ヒクソスと名乗りだす以前の部族名が分からないだけで、実際にはほぼ同一、もしくは同系だった可能性は高い。
ちなみに、これらのヒクソス・スカラベはオークションサイトで大量に売りに出されているのだが、実はエジプト外で見つかったものが多いのだという。主な発掘地であるTell el-Ajjulはこのへん。ガザ地区じゃん…という感じだが、お察しの通り、このへんの政情不安のある地域から出土するのがオークションに流れている理由の一つだと思う。また、資料でもエジプト出土ではなくイスラエル出土となっている品が多い。
パレスティナ付近からヒクソス・スカラベがたくさん出ていることからも、人の行き来が頻繁だった、つまり同族だった可能性が示唆されてい
る。
というわけで、「カナン人」という言葉同様に、「ヒクソス人」という言葉に対しても、実は我々が知ってることは意外と少ない。
古代人の書いた部族名や民族名、言葉としては有名でも、よくよく調べてみると実態については曖昧なことが多いのだよなと思う次第。
というかその存在を自分はつい先日ようやく認識したところなのだが、ただ「ヘタ」なだけではなく、元の意味を理解せずに神の意匠を模様として使っているなど、独特な形状をしている。見るとすぐに分かるので事例を出してみる。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/544426
第15王朝のヒクソス王、「キアン」のカルトゥーシュがある。が、文字がすっごいヘタクソでカルトゥーシュも潰れている。王名によく添えられるアンクと三角パンはいいとして、「ラーの息子」を意味する部分は「息子」のガチョウだけしかない。あと周りのうねうねしているやつは多分メヘンである。
他の事例としては、こういう感じ。キプロス島やクレタ島で出土するエジプト風の遺物に似た雰囲気で、個々の意意味は理解しておらず、形だけ似せたなという感じ。ロータスまで謎のグルグルになっているのはセンスが面白い。
おそらく、第14~第15王朝のアジア方面から来た支配者たち(あるいは「王を名乗った人たち」)は、文字そのものに意味をもたせるというよりは、「これ何かありがたい護符らしいよ! このマーク書いとくといいことあるらしいよ!」みたいなご利益グッズとしてスカラベ作ってたんだと思う。でも律儀にスカラベの形だけは踏襲しているところは面白い。「なんでフンコロガシ…?」とは疑問に思わなかったのだろうか。
ただ、このスカラベ、実は第15王朝だけでなく、その前の「パレスティナ人王朝」と呼ばれる第14王朝でも作られていた。
これは第14王朝のシェシ王のものだが、同じく字がヘタで、ヒクソス・スカラベの分類に入れられている。第14王朝も、後半部分の支配者たちは実はヒクソスと名乗っていないだけで同系の部族だったのでは、という説があるが、このスカラベの様式の共通点もその根拠の一つとなっている。
https://collections.mfa.org/objects/136212/scarab-for-the-hyksos-ruler-maaib-re-sheshi;jsessionid=7527C5D8C33C9415AF5A65EC964E77C1
ここから出てくる問題点は、「じゃあパレスティナ人とヒクソス人の違いは何なのか」という点だ。
ヒクソス人はアジア方面から東デルタに侵入したことになっているが、その方向にはシナイ半島とパレスティナがある。ヒクソスの故郷=パレスティナかその周辺 であるはずなのだ。
ヒクソスと名乗りだす以前の部族名が分からないだけで、実際にはほぼ同一、もしくは同系だった可能性は高い。
ちなみに、これらのヒクソス・スカラベはオークションサイトで大量に売りに出されているのだが、実はエジプト外で見つかったものが多いのだという。主な発掘地であるTell el-Ajjulはこのへん。ガザ地区じゃん…という感じだが、お察しの通り、このへんの政情不安のある地域から出土するのがオークションに流れている理由の一つだと思う。また、資料でもエジプト出土ではなくイスラエル出土となっている品が多い。
パレスティナ付近からヒクソス・スカラベがたくさん出ていることからも、人の行き来が頻繁だった、つまり同族だった可能性が示唆されてい
る。
というわけで、「カナン人」という言葉同様に、「ヒクソス人」という言葉に対しても、実は我々が知ってることは意外と少ない。
古代人の書いた部族名や民族名、言葉としては有名でも、よくよく調べてみると実態については曖昧なことが多いのだよなと思う次第。