戦う王の記録: カメス王第二ステラから

少し前に、ファラオは実際に戦場に出たのか という話をした。実際に戦場に出ていたと思われる、数少ないファラオの一人が、ヒクソスを放逐した時代の王であるカメス。戦死したと思われる壮絶な姿のミイラで知られる、セケエンラー・タア王の次の代の王で、兄弟の関係と考えられている。

そのカメス王の残した戦争記録のステラがある。Kamose's stela あたりで探せば訳文も出てくる有名なものなので、ここでは簡単に内容のおさらいに留める。

第一ステラは戦いの開始前、「エジプトの北にアジア人の王がおり、南にはヌビアの王がいる。」と不満を漏らし、かつてのエジプト国土が三分割されている状況は良くないと再統一を決意する内容。

第二ステラは北のヒクソス王朝の本拠地であるアヴァリスを目指して進軍した様子が書かれている。ただし、アヴァリスまでは攻め込めず、その手前まで、ある程度北の国境線を押し上げたところまでで止まっているようだ。

2e-stele-Kamose.jpg

この記録からして、王はある程度まで戦場に出ていたらしいことが伺える。
「ある程度まで」と書いたのは、

・全部の戦場に出たか分からないから
・手柄のすべてが本人のものかわからないから

である。
戦勝ステラとして建てた以上、そこに記された内容はすべて王権にとって都合のよい内容であり、事実ではない。逆に言えば、そこに書かれているのは、起きた出来事のうち「宣伝したかった内容」と理解できる。

たとえば、第一のステラで「アジア人(ヒクソス)の王とヒヌビアの王がいる」、すなわち国家が分離しており危機的な状況にあったことは事実。しかし、その状況を打破すべく、真っ先に立ち上がったのが王本人だったかどうかは分からない。

いやさすがに、先代のセケエンラー王がむごたらしく死んでる状況で、敵討ちを考えなかったはずはないのだが、そもそも軍事行動を起こしているのが治世三年ごろで、即位してすぐではないあたり、何か迷ってるところ家臣か王妃あたりに後ろからケツ叩かれて出陣したんじゃないかなーって気もちょっと、するんである。まあ結果的になかなかいい戦果だったみたいなので、宣伝碑文建てたんでしょうけど。

第二ステラでは王の快進撃が書かれている。ただ、快進撃してアヴァリスに迫った割に、途中のメンフィスなどの重要な街の話が出てこないため、「ほんとに快進撃した? 途中の街も全部攻略した?」と、後世の学者に疑問を呈される結果となってしまった。
名前の出てくる街は本当に攻略してヒクソス王朝から取り戻せたのだろうが、名前出てこなかった街は諦めたか、後方守備隊に任せてスルーした可能性はある。

というより、王が攻略したことになっている街も、王自身が攻略したのか、配下の将軍などが出陣したのかまでは分からない。
古代エジプトの戦勝記録は、書いてある内容を文字通り解釈していいか微妙なことが多い。

たださすがに、国土が危機的な状況で、王が全く戦場に出なかったということはありえない。しかもこの時の本拠地はテーベ、ヒクソス王朝の領土とは目と鼻の先である。アジアに遠征するのとは話が違う。自ら出なければ、とうてい再統一は成し遂げられなかったと考える。
なので私としては、カメスも「自ら戦う王」の一人だったと考えたい。

そして彼の甥(おそらくセケエンラーの息子)とされている次のイアフメス王、第18王朝の開祖である彼もまた、戦う王の一人だったはずだ。
イアフメスの時代に、ようやくヒクソス王朝の首都アヴァリスは攻略され、上下エジプトは再統一される。古代エジプトの黄金時代である新王国時代の始まりである。

しかし、第18王朝といえば、アクエンアテンやツタンカーメンなど、自ら戦場に出ていなさそうな王たちも多い。
バリバリ武闘派だったご先祖の時代から、どのくらいの世代でお坊っちゃま王が誕生するのか。ここがちょっと面白いのである。

イアフメス ←開祖、ヒクソス王朝を倒して国土再統一
アメンヘテプ1世 ←遠征を繰り返している
トトメス1世 ←ガチ軍人
トトメス2世 ←治世が短いので分からん、王子時代に遠征してるかも
トトメス3世 ←ガチ軍人
ハトシェプスト(女王) ←遠征してない
アメンヘテプ2世 ←ガチ軍人
トトメス4世 ←遠征してない可能性あり
アメンヘテプ3世 ←遠征してない可能性高い
アクエンアテン ←遠征してない
スメンクカーラー ←遠征してない
ツタンカーメン ←遠征してない
--- ここで直系断絶 ------

女性のハトシェプストを除くと、どうもトトメス4世あたりから軍事活動をしていない。そしてこの時期はエジプトの国土拡張も打ち止めになっている。要するに遠征先が無くなったとか、大規模な軍事活動の必要が薄れた時代になったのだと思う。
開祖からトトメス4世の治世まではおよそ百数十年。王自ら軍を率いて戦死するほどの国家存亡の危機から、王が前線で戦わなくてもよい時代になるまではそのくらい。戦功を誇る碑文のあり方も、このへんで切り替わっていると思うのだ。