エジプトとイスラエルとパレスチナ…近代エジプトの歴史では外せない「中東戦争」

先日の衝突以来、イスラエル・パレスチナ問題のニュースが多くなっている。どちらを支援するか、という話はさておいて、ガザ地区に隣接するエジプトさんの動向が気になっている。

実は今年は、第四次中東戦争(エジプトでは「10月戦争」と呼ばれることが多い)から50周年で、ちょうど今、エジプトメディアで50周年の振り返り特集などをやっているのである。

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https://english.ahram.org.eg/Portal/31/October-War--Years.aspx

実はエジプトは、第一次から第四次までの中東戦争ではアラブの盟主として立ち回り、対イスラエル最大の敵として立ちはだかってきた。
それが、軍事的には敗北しつつ戦果としては大きなものを挙げることの出来た1973年の10月戦争を境に戦争からは手を引いて、欧米からの投資を取り付け経済的に発展する道を選ぶ。ただし、この道は、宿敵イスラエルに日和ったとして反発を招き、当時の大統領サダトの暗殺へと繋がる。
その後に就任したのが、「アラブの春」で失脚する独裁者、ムバーラク氏である。

いわば、対イスラエル戦争は近代エジプト史の中のターニングポイントであった。


というわけで、ここまでの流れをざっくりおさらいしておこう。

●1948年 イスラエル建国→第一次中東戦争

1947年、パレスチナを委任統治していたイギリスが手を引き、イスラエルとの分割統治が決められる。
とうぜん近隣アラブ諸国は反発し、翌年の建国宣言で火が付いて戦争勃発。アラブ諸国連合軍が優勢なはずだったのだが、足並み揃わず敗退。十字軍に対するイスラム勢の敗退とよく似た様相に。

●1956年 エジプトによるスエズ国有化→第二次中東戦争

イギリス・フランスが利権を持っていたスエズを、エジプトが国有化。当然、この二カ国は反発。
この時点でのエジプトはソ連寄りであったため、経済力をつけられると厄介。なのでイギリス・フランスが支援してイスラエルを焚き付けて戦争再開。エジプトはボコボコにされる。
しかしアメリカとソ連がこれに激怒、両者の仲介で戦争は終了。スエズ国有かも認められ、エジプトはイギリス・フランスを自国から追い払った英雄として中東世界で名を上げる。米露の意見が一致した珍しい機会であるとともに、英仏の嫌われっぷりが清々しい。

●1967年 イスラエルvsシリア→第三次中東戦争

1966年のイスラエルとシリアの衝突を切っ掛けに、他国も参戦しての第三次中東戦争勃発。エジプトはシリアと同盟して共同戦線を張る。
ヨルダン、サウジ、イラクなども参戦。ただ今回も勝てなかった。エジプトはシナイ半島まで取られる大敗北となる。

●1973年 第四次中東戦争

シナイ半島を取られたままだとせっかくのスエズ運河も安全に使えないし、取られたものを取り返すしかない。
というわけで再びシリアと組んでの第四次中東戦争。だがアメリカに支援されたイスラエルには勝てず一ヶ月たたないうちにボコボコに。この時もアメリカとロシアが介入し停戦。ここからアメリカ寄りの路線に転換しており、イスラエルと和平しシナイ半島も取り返す。ボコボコにされたものの、領土は取り戻せたことと、以降のアメリカからの支援を取り付けられたのでエジプトでは「勝利」と表現している。

なおエジプトはイスラエルと和平したことで周辺のアラブ諸国からは一時的に村八分にされ、アラブの盟主という肩書も失っているが、和平によって欧米からの投資や、観光客の呼び込みなど、のちの経済発展に繋がるパスも手に入れたため、選択肢としては悪くなかったのだと思う。

ただ、この和平は中東のパワーバランスを大きく変えた。
エジプトさんが対イスラエル戦争をしなくなったことで、もはやイスラエルを止められる者はいなくなった。東エルサレムやゴラン高原の強引な併合もこの和平後に行われている。以降、アメリカやイギリスといった大国の後ろ盾のもと、イスラエルは国際法違反をしようが何をしようが批判されないフリーパス状態を続けることになるのだ。


以上、中東戦争をざっくり「エジプトの対イスラエル戦争」という側面から書き出してみた。
エジプトがパレスチナ問題に深く関わる立場なのはだいたい分かるかと思う。原因を作ったのは皆大好きブリカスことイギリスさんとフランスさんなのだが、アメリカとロシアも因縁浅からぬ状態にある。大国の思惑によって翻弄されてきた近代の歴史の集大成が、いま起きている衝突なのだ。

これらの戦争に正義はない。ただお互いの大義があるだけなのだ。