歴史家は未来を読むのが苦手。あとがきで未来の話はしないほうがいいと思う次第
たまたま読んでいた歴史本のあとがきで、「アメリカ大統領選はヒラリーの演説がすごかった」と書いているものがあった。日付は2016年。「女性大統領率いる、これまでにない時代が来るのでは」そう期待した著者の思いとは裏腹に、その選挙に勝ったのはトランプ氏であった。
ある意味では「これまでにない時代」の到来ではあったが、残念ながら著者の期待した方向とはほぼ真逆の方向である。そして、それ以外にも中東情勢などの部分も全く検討違いの方向へ動いてしまっていた。
本編がユーラシア大陸の帝国史について幅広く語り、口調も堂々たるものだっただけに、2016年のあとがきの大外しっぷりにはちょっと笑ってしまった。
ただ、これは、この本の著者の識が足りないとか、先見の明がないとかいう話なのではない。
そもそも、歴史の知識から未来は読めないのである。
以前、A・J・トインビーの本を読んだときにも同じことを書いた。トィンビーは「知の巨人」と呼ばれたほどの学者で、文明史を学ぶ以上は必ず一度は通る人である。だが、そんな人でも将来に関する読みは片っ端から外している。
五十年前のアフリカ・中東旅行記「ナイルとニジェールの間に」
https://55096962.seesaa.net/article/201407article_2.html
一つには、これら知識のある学者さんたちは、世の中の人たちがみんな頭いい前提で物事を考えがち、という弱点が在る。
皆が理性で動けばそりゃ人と人との衝突も派閥問題も起きない。だが現実にはそうではない。感情で動くし、非合理的な選択もする。
頭のよろしい学者様が集まっておられるはずの学会での醜い言い争いだの上下関係のなんちゃらだのがザラにあることを思い起こすだけでも、「そんなきれいな結論は出ない」「無駄な争いほど無駄に終わらない」といったことが分かると思う。
そしてもう一つの大きな原因として、歴史学者は現実を理解するのが苦手なのに、そのことを自覚していないのではないかと思うのだ。
「現在」は過去の歴史から読み解くことが出来る。たとえばイスラエルとガザが揉めてる理由は、歴史を紐解いていけば分かる。しかし、それで理解出来た「現在」は、実は現在の一部でしかない。
たとえば、この地域におけるアメリカの軍事プレゼンスが10年前と比べて下がっていること、イランと中東諸国やロシア・北朝鮮といったいわゆるレッドチームとの関連性がここ数年で強まっていること、そもそもシリアの安定化については欧米諸国が大失敗しておきながら今も完全に手を引けないグダグタ感が続いていることなど、まだ”歴史"になっていない現在進行形の情報がある。それが未来に直接的に繋がる。
”歴史" とは、言ってみればもはや動かしようのない、固定化された記録である。
しかし「現在」は、今なお流動的で、答えの出ていない現象になる。
そして「未来」は、まさにその流動的な、現在進行中の歴史をベースに作られるものなのだ。
冒頭のアメリカ大統領線の話に戻るならば、2016年の時点で、アメリカには「ポリコレ疲れ」や「世論の分断」という兆しが進行中であったと考えられる。それはまだ、"歴史" として固定化されていない、世間を見回した時に何となく感じる程度の情報に過ぎなかった。結果としてそれが表出したのがトランプ勝利という結果だった。当時、知識人も政治経済の研究者も、「何でこうなった?!」と大騒ぎしていたのを愉快な記憶とともに覚えている。
だが、何でも何も、表面に出てこない民衆の心の機微から分岐することがあるのは歴史上のあるあるパターンなので不思議ではない。
SNS上でトランプを支持している人なども見たことがない、と騒いでいる人もいたが、表立って支持すると集中砲火を食らって批判されてレッテルを貼られるから隠していた人も多かったのだろう。まさにそれが「ポリコレ疲れ」というやつなのだ。
アメリカの分断社会については、トランプ大統領の当選以降に大々的に語られるようになった。そこから"歴史"としての俎上に載ったと理解している。ようやく歴史家が研究できる舞台に出てきたというところで、そうなる前は歴史という切り口では手が出せない分野だったのではないかと思う。どっちかというと政治経済学とか社会心理学のジャンル。
とかく歴史家は固定化された情報ばかり扱っているので、刻々と変わりゆく生きた情報の扱いが苦手なことが多いなと思う。
なので歴史研究者が「未来」の話をする時は、どんな大家であっても話半分でよかろうと自分は思っているし、歴史の研究から語るなら、「現在」までで留めておいて、未来まで予測できるとは思い上がらないほうがいい。
逆に、未来予測が適切にできている歴史研究者は、「歴史」以外の部分の知識があるのだと思う。
ある意味では「これまでにない時代」の到来ではあったが、残念ながら著者の期待した方向とはほぼ真逆の方向である。そして、それ以外にも中東情勢などの部分も全く検討違いの方向へ動いてしまっていた。
本編がユーラシア大陸の帝国史について幅広く語り、口調も堂々たるものだっただけに、2016年のあとがきの大外しっぷりにはちょっと笑ってしまった。
ただ、これは、この本の著者の識が足りないとか、先見の明がないとかいう話なのではない。
そもそも、歴史の知識から未来は読めないのである。
以前、A・J・トインビーの本を読んだときにも同じことを書いた。トィンビーは「知の巨人」と呼ばれたほどの学者で、文明史を学ぶ以上は必ず一度は通る人である。だが、そんな人でも将来に関する読みは片っ端から外している。
五十年前のアフリカ・中東旅行記「ナイルとニジェールの間に」
https://55096962.seesaa.net/article/201407article_2.html
一つには、これら知識のある学者さんたちは、世の中の人たちがみんな頭いい前提で物事を考えがち、という弱点が在る。
皆が理性で動けばそりゃ人と人との衝突も派閥問題も起きない。だが現実にはそうではない。感情で動くし、非合理的な選択もする。
頭のよろしい学者様が集まっておられるはずの学会での醜い言い争いだの上下関係のなんちゃらだのがザラにあることを思い起こすだけでも、「そんなきれいな結論は出ない」「無駄な争いほど無駄に終わらない」といったことが分かると思う。
そしてもう一つの大きな原因として、歴史学者は現実を理解するのが苦手なのに、そのことを自覚していないのではないかと思うのだ。
「現在」は過去の歴史から読み解くことが出来る。たとえばイスラエルとガザが揉めてる理由は、歴史を紐解いていけば分かる。しかし、それで理解出来た「現在」は、実は現在の一部でしかない。
たとえば、この地域におけるアメリカの軍事プレゼンスが10年前と比べて下がっていること、イランと中東諸国やロシア・北朝鮮といったいわゆるレッドチームとの関連性がここ数年で強まっていること、そもそもシリアの安定化については欧米諸国が大失敗しておきながら今も完全に手を引けないグダグタ感が続いていることなど、まだ”歴史"になっていない現在進行形の情報がある。それが未来に直接的に繋がる。
”歴史" とは、言ってみればもはや動かしようのない、固定化された記録である。
しかし「現在」は、今なお流動的で、答えの出ていない現象になる。
そして「未来」は、まさにその流動的な、現在進行中の歴史をベースに作られるものなのだ。
冒頭のアメリカ大統領線の話に戻るならば、2016年の時点で、アメリカには「ポリコレ疲れ」や「世論の分断」という兆しが進行中であったと考えられる。それはまだ、"歴史" として固定化されていない、世間を見回した時に何となく感じる程度の情報に過ぎなかった。結果としてそれが表出したのがトランプ勝利という結果だった。当時、知識人も政治経済の研究者も、「何でこうなった?!」と大騒ぎしていたのを愉快な記憶とともに覚えている。
だが、何でも何も、表面に出てこない民衆の心の機微から分岐することがあるのは歴史上のあるあるパターンなので不思議ではない。
SNS上でトランプを支持している人なども見たことがない、と騒いでいる人もいたが、表立って支持すると集中砲火を食らって批判されてレッテルを貼られるから隠していた人も多かったのだろう。まさにそれが「ポリコレ疲れ」というやつなのだ。
アメリカの分断社会については、トランプ大統領の当選以降に大々的に語られるようになった。そこから"歴史"としての俎上に載ったと理解している。ようやく歴史家が研究できる舞台に出てきたというところで、そうなる前は歴史という切り口では手が出せない分野だったのではないかと思う。どっちかというと政治経済学とか社会心理学のジャンル。
とかく歴史家は固定化された情報ばかり扱っているので、刻々と変わりゆく生きた情報の扱いが苦手なことが多いなと思う。
なので歴史研究者が「未来」の話をする時は、どんな大家であっても話半分でよかろうと自分は思っているし、歴史の研究から語るなら、「現在」までで留めておいて、未来まで予測できるとは思い上がらないほうがいい。
逆に、未来予測が適切にできている歴史研究者は、「歴史」以外の部分の知識があるのだと思う。