人間の介入と種の存続:ヒトが家畜化しなければ、ウマは絶滅していたかもしれない

現在では、地球上に完全な野生種のウマは存在しない。(最後の野生種とされたモウコノウマにも家畜化されたウマとの交雑の跡がある)
ウマという種族は、人間が家畜化しなければとっくに絶滅していたかもしれない――。

可能性の話なので実際はどうだったか分からないが、事実として、ウマという種族は野生下で生き延びられたかどうかが微妙な種の一つである。直接の先祖となるエクウスが誕生したのが約150万年前、アメリカ大陸でのこととされる。そこからユーラシア大陸へと渡ってきた一部が、現在の家畜ウマとなる。
本来の発生地である北米、南米にいたエクウスは、いずれも最終氷期の終わり頃、説によって1万2千年くらい前から8000年くらい前の間に全て絶滅する。

絶滅の原因は分かっていないが、気候変動によるという説が一番有力だ。
人間が出現して狩り尽くしたのではという説もあるにはあるが、同時期に南北アメリカでは多くの大型生物が絶滅しており、さすがに人間の数そんなに多くないだろ…? としか言いようがない。初期にたかが数百人しかいなかった人間が爆発的に増えておそるべき戦闘力で数千年以内にそのへんの動物狩り尽くすとか、無いでしょ普通。気候変動で数が激減したところにトドメさしたくらいはあるかもしれないけど。

とにもかくにも、ウマは故郷のアメリカ大陸では絶滅した。
そしてユーラシア大陸では、紀元前5000年頃から家畜化の試みが行われ、紀元前3000年ごろにはステップ地帯からアフリカへ、ヨーロッパへと爆発的に広まりはじめる。そして今や、世界中で飼育される、メジャーな生き物の一種となった。

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野生馬、実は絶滅していた!というニュース→元ソースの本題は「馬飼育の歴史が想定と違う」
https://55096962.seesaa.net/article/201803article_2.html

家畜化された馬の起源論争、ついに決着か。現代に繋がる主流の馬の起源地が特定される
https://55096962.seesaa.net/article/202110article_18.html
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そもそもが、ウマは特殊な環境でしか生きられない進化をしてしまったのが生息域を自ら狭める原因となったと考えられる。
草原地帯で暮らすために早く走れる足を手に入れたが、そのために足は指を失って一つの蹄となっている。また草をすり潰したて食べるために歯や胃袋が特化してしまい、開けた草原が無くなると生きていけない。かつては森林地帯に住んでいたようだが、進化に逆戻りのルートはない。住める場所が、ユーラシア大陸の真ん中あたりのステップ地帯に限定され、そこに閉じ込められてしまっていたとも言える。

それを人間が家畜にすることで、本来の生息域の外まで連れ出した。一度は絶滅したアメリカ大陸にもだ。

これは、「家畜を利用することは可哀想」「自然のままのほうがいい」という意見に対して、「人間が手を加えたから生き残っている種もいるんだけど」という話である。もしも人間が手を加えていなければ、ウマという種は、ごく限られた場所にほそぼそと生きる絶滅危惧種になっていた可能性が高い。少なくとも、今ほどの繁栄は無かっただろう。

さらにもうひとつ、「人が手を加えることで種を変更するのは悪いことなのかどうか」という視点もある。
遺伝子をいじって都合の良い生き物を作り出す、というのは多くの倫理観に反することだろうが、ぶっちゃけ作物の品種改良や交配自体がそれである。家畜の交配も同様だ。より強く、様々な環境に適応できる種を作り出す試みは、人間が何千年も前から行ってきたものだった。
近年では、生殖能力を喪失した蚊を放って、絶滅させようとする試みなどもある。種としての存続か、消滅かの決定権を人間が握ろうとしているわけだ。
そう考えると、なかなか背徳的な行為だが、単純に”お気持ち”だけで「正しい」の「正しくない」のと騒ぐのは、自分たちの生活がどれだけその種の革命に恩恵を受けているかを知らない無知の為せる業だと思っている。

そもそもが、人間が種をいじることと、人間以外の種が別の種をいじることの間に、効率以外の差は無い。
虫媒花が特定の虫に対応して進化することと、人間が都合のいい動物を育てることは、生存戦略という根本的な部分では同じだ。それがはるか未来にどのような影響を及ぼすかは、人間の短い人生の中では予測がつかない。

ウマの話に戻るなら、ウマは、絶滅していた可能性があっても孤高の野生のままでいたかったのか。人とともに生きることで繁栄の道を選んかで正解だったのか。
ウマ自身は答えてくれないし答えもそうそう出ないだろうが、少なくとも「迷う」ほうが、お気持ちで断言するよりはまだマシだと思うのだ。