「雑穀」の歴史と密造酒と、それにまつわるローカルな文化の話。酒は文化と結びつく
図書館で適当に本を借りたら、「雑穀食ブームと言われて数年が経ち…」という文言が出てきて、??? ってなった中の人ですよ。すう・・・ねん・・・とは・・・。えっもう20年くらい経ってね???
ググってみたら最初のブームが1995年ごろで、復活したのが2005年頃らしい。この本は2007年に出ているので、たぶん復活したほうのブームのことなのだろう。自分が覚えていたのもそっちのほうのはず。にしても、2005年がもう20年近く前ですよ。早いもんです。このブログの一番最初の記事もそのくらいだったような。
雑穀を旅する―スローフードの原点 (歴史文化ライブラリー) - 増田 昭子
さて、本自体はけっこう前のものなのだが、健康食ブームについての話はおいといて、この本は「雑穀」をコメ以外の穀物類に定義して、それらにまつわる様々な事柄、種類や栄養、育て方や輪作、種類と種子の保存、五穀の神話などなど幅広く取り上げている雑学集のような内容になっていた。
その中に「雑穀を使った酒」の話が出てきていて、今ではもう作られなくなった地方ローカルな「密造酒」の話があった。
そう、密造酒。いわゆる「どぶろく」である。
昭和十年代の話なども収集されているので、さすがに本が出た平成の時代にはあまり無かったとは思うが、東北の山の中の農村でヒエや栗を使った酒が作られていた、と聞くと、ああ、ありそう…と思ってしまう。昔は味噌なども自宅で作っていたから、酒を作ったあとの酒粕を使っていたそうだ。また沖縄のどぶろくの話は、今で言う泡盛だろう。
栗の酒というのは飲んだことがないが、なかなか面白そう。
で、それらの酒にまつわるしきたりとして、「上澄みは結婚式など祝い事に使う」「濁っている部分は家庭で飲む」とか、「強い酒の最後の一升は消毒剤として使えるので薬としてとっておく」など、地方の文化が紐づいているのが面白いのだ。
世界各地どこでも、「ローカルな酒」は必ず「ローカルな文化」と結びついている、というのが、中の人の持論である。酒の飲み方、醸し方、儀式などの使い方。酒は、そういった風習・習慣・知識の一式とともにある。全く結びつく文化のない酒はない。酒is文化なのだ。
なので、雑穀が作られなくなり、密造酒が厳しく取り締まられ、ローカルな酒造りが途絶えるということは、ローカルな文化の消える時でもある。消えちゃった風習が色々あるんだろうなあ…と思うと、ちょっと残念になる。
だが逆に、もはや元の文化とは別物になって生き残っているローカルな酒もある。
以前行った青ヶ島で作られていた、青酎なんかはまさにそれだと思う。かつては各ご家庭で作られていたものが、そのレシピを引き継ぎつつ、今は工場で作られている。酵母菌も、実家のものより標準的なものを使うことが増えた、という。
まあ島の外に向けて売りに出すので、ご家庭のハンドメイドでは衛生基準がクリア出来ないとかあるんだろうけど、もはや「どぶろく」ではなく工場産のローカル焼酎になっている。島の外の居酒屋では、「伊豆大島地方の面白い酒の一つ」として並べられ、飲み会でいろいろ飲み比べられるものの一つになっている。
酒づくり自体は生き残ったが、島の文化との結びつきは薄れちゃったな、という感じがする。
ちなみに個人期な感想だが、青酎は、芋焼酎はまあまあ好きな私でもだいぶクセがあって飲みづらいなと思った。島のお寿司がちょっと甘いタレのかかった独特のやつだったのだが、それと合わせるなら合う。魚の干物も多分合う。でも他のアテとは微妙に合わない気がする。
雑穀の酒は、その酒が作られていた環境・地方の食べ物じゃないと味が合わなくて、だいたい何にでも合う大手のビールなどに負けてしまうのではないかと思う。
酒に結びつく文化は、一緒に食べておいしいアテの文化でもある。雑穀ブームとともにローカルな酒があまり復活してこないのは、そのへんもあるのかもしれない。
なお中の人の家には今、二十五穀米という謎の粉が置いてある。米を炊く時にたまに入れているのだが、ヒエ、キビ、ゴマ、アズキなどとともにアマランサスという南米産の穀物も入っている。いろんな穀物を入れることで栄養価が高められるのだという。同じく南米のキヌアや、アフリカのミレットの入っているタイプも食べたことがある。
もはや何でもアリな気がする。
世界中の、古今東西の人間が食用化したありとあらゆる穀物を一緒くたに炊き込んで一度に食べる。これは考えようによっては非常に贅沢な行為のような気もしてくるのだった。
ググってみたら最初のブームが1995年ごろで、復活したのが2005年頃らしい。この本は2007年に出ているので、たぶん復活したほうのブームのことなのだろう。自分が覚えていたのもそっちのほうのはず。にしても、2005年がもう20年近く前ですよ。早いもんです。このブログの一番最初の記事もそのくらいだったような。
雑穀を旅する―スローフードの原点 (歴史文化ライブラリー) - 増田 昭子
さて、本自体はけっこう前のものなのだが、健康食ブームについての話はおいといて、この本は「雑穀」をコメ以外の穀物類に定義して、それらにまつわる様々な事柄、種類や栄養、育て方や輪作、種類と種子の保存、五穀の神話などなど幅広く取り上げている雑学集のような内容になっていた。
その中に「雑穀を使った酒」の話が出てきていて、今ではもう作られなくなった地方ローカルな「密造酒」の話があった。
そう、密造酒。いわゆる「どぶろく」である。
昭和十年代の話なども収集されているので、さすがに本が出た平成の時代にはあまり無かったとは思うが、東北の山の中の農村でヒエや栗を使った酒が作られていた、と聞くと、ああ、ありそう…と思ってしまう。昔は味噌なども自宅で作っていたから、酒を作ったあとの酒粕を使っていたそうだ。また沖縄のどぶろくの話は、今で言う泡盛だろう。
栗の酒というのは飲んだことがないが、なかなか面白そう。
で、それらの酒にまつわるしきたりとして、「上澄みは結婚式など祝い事に使う」「濁っている部分は家庭で飲む」とか、「強い酒の最後の一升は消毒剤として使えるので薬としてとっておく」など、地方の文化が紐づいているのが面白いのだ。
世界各地どこでも、「ローカルな酒」は必ず「ローカルな文化」と結びついている、というのが、中の人の持論である。酒の飲み方、醸し方、儀式などの使い方。酒は、そういった風習・習慣・知識の一式とともにある。全く結びつく文化のない酒はない。酒is文化なのだ。
なので、雑穀が作られなくなり、密造酒が厳しく取り締まられ、ローカルな酒造りが途絶えるということは、ローカルな文化の消える時でもある。消えちゃった風習が色々あるんだろうなあ…と思うと、ちょっと残念になる。
だが逆に、もはや元の文化とは別物になって生き残っているローカルな酒もある。
以前行った青ヶ島で作られていた、青酎なんかはまさにそれだと思う。かつては各ご家庭で作られていたものが、そのレシピを引き継ぎつつ、今は工場で作られている。酵母菌も、実家のものより標準的なものを使うことが増えた、という。
まあ島の外に向けて売りに出すので、ご家庭のハンドメイドでは衛生基準がクリア出来ないとかあるんだろうけど、もはや「どぶろく」ではなく工場産のローカル焼酎になっている。島の外の居酒屋では、「伊豆大島地方の面白い酒の一つ」として並べられ、飲み会でいろいろ飲み比べられるものの一つになっている。
酒づくり自体は生き残ったが、島の文化との結びつきは薄れちゃったな、という感じがする。
ちなみに個人期な感想だが、青酎は、芋焼酎はまあまあ好きな私でもだいぶクセがあって飲みづらいなと思った。島のお寿司がちょっと甘いタレのかかった独特のやつだったのだが、それと合わせるなら合う。魚の干物も多分合う。でも他のアテとは微妙に合わない気がする。
雑穀の酒は、その酒が作られていた環境・地方の食べ物じゃないと味が合わなくて、だいたい何にでも合う大手のビールなどに負けてしまうのではないかと思う。
酒に結びつく文化は、一緒に食べておいしいアテの文化でもある。雑穀ブームとともにローカルな酒があまり復活してこないのは、そのへんもあるのかもしれない。
なお中の人の家には今、二十五穀米という謎の粉が置いてある。米を炊く時にたまに入れているのだが、ヒエ、キビ、ゴマ、アズキなどとともにアマランサスという南米産の穀物も入っている。いろんな穀物を入れることで栄養価が高められるのだという。同じく南米のキヌアや、アフリカのミレットの入っているタイプも食べたことがある。
もはや何でもアリな気がする。
世界中の、古今東西の人間が食用化したありとあらゆる穀物を一緒くたに炊き込んで一度に食べる。これは考えようによっては非常に贅沢な行為のような気もしてくるのだった。