仏教の影響があっても肉は食う。意外と肉食ってた日本の歴史「動物と中世」
そういや日本の場合、平安以降は中世だったね。とかそもそものことを思いだしていた。図書館で適当に漁ってきた本だがけっこう面白かった。
サブタイが「獲る・使う・食らう」と実にシンプルに内容を表していて、日本における中世の動物利用全般を扱っている本になっている。
動物と中世―獲る・使う・食らう (考古学と中世史研究 6) - 小野 正敏
一昔前、日本人は伝統的に肉食をあまりしない、草食民族だなどという説がまことしやかに囁かれていた。草食なので腸が長い、などという、わけのわからない言説まで飛び交っていたものである。
※これについては、別の記事↓で書いた。腸の長さは食習慣では変わらない。
「日本人は草食なので欧米人より腸が長い」の嘘と実際/データを調べてみた
https://55096962.seesaa.net/article/201903article_5.html
また仏教では殺生は罪とされるため、仏教伝来以降は肉食をしなくなったのでは、とされることも多かった。
しかし実際には、日本人は肉を食べていたのである。「食べるため」に牛や馬を飼育することはしなかった。しかし労役に使う牛や馬が死ねば食べていた痕跡がある。解体された骨が遺跡から出てくるからだ。そして牛革や馬のたてがみなどを使った装飾品、美術品もあるし、野生の鹿や猪、白鳥などの渡り鳥を使ったメニューなど、実に多彩な肉食の証拠が残されている。
僧侶は食べていなかっただろうし、特別な行事の間など食べない時期もあっただろうが、基本的に肉は食べる。仏教で肉食ダメ、というタテマエを全国津々浦々に浸透させることは無理で、寺社の近くなのに「自分とこの領地だからイイんだ」と言い張って狩りをする武士もいたりするくらいだという。
ただ面白いのは、最上位の肉が野生もの、鶴だったり白鳥だったりが宴の珍味にされている所である。
飼育された太らせた牛とかガチョウとかではないのである。美食家の集まる古代ローマの宴に似ている。中世ヨーロッパの城主より、中世日本の城主のほうが舌が肥えてたんじゃないかと思う(笑)
あと牛や馬に食べさせる草の話が出てきたのだが、ヨーロッパと違い家畜を肉のために飼育することが大々的にされていなかったのは、飼育する余裕が無かったからでは? と思った。牛はともかくウマは、食べるものを結構選ぶ。行軍の際に物資を運ぶウマは必須だったのだが、そのウマのために大豆や小麦を与えていたというから、贅沢なものだ。勝手にそのへんの農民の畑に入って作物を食べてしまう問題もあったというし、冬の間に食べさせるための草を刈る場所の割当てなどもあったらしい。
そして、牛馬がひたすら草を食べまくって食害ではげ山化したと思われる場所もあるという。
日本は基本的に山ばかりの地形で、放牧の出来る広々とした平野はほとんどない。つまり、飼育できる上限数が限られてくるのだ。それで肉を食べるにしても、平野で飼育する家畜よりは山の獣、野生の鳥のほうに比重が傾いていたのではないかと思う。野生の肉をカウントしなければ、肉食が少なく見える。カウントすれば、日常的に食べていたと言うことが出来るだろう。
サブタイが「獲る・使う・食らう」と実にシンプルに内容を表していて、日本における中世の動物利用全般を扱っている本になっている。
動物と中世―獲る・使う・食らう (考古学と中世史研究 6) - 小野 正敏
一昔前、日本人は伝統的に肉食をあまりしない、草食民族だなどという説がまことしやかに囁かれていた。草食なので腸が長い、などという、わけのわからない言説まで飛び交っていたものである。
※これについては、別の記事↓で書いた。腸の長さは食習慣では変わらない。
「日本人は草食なので欧米人より腸が長い」の嘘と実際/データを調べてみた
https://55096962.seesaa.net/article/201903article_5.html
また仏教では殺生は罪とされるため、仏教伝来以降は肉食をしなくなったのでは、とされることも多かった。
しかし実際には、日本人は肉を食べていたのである。「食べるため」に牛や馬を飼育することはしなかった。しかし労役に使う牛や馬が死ねば食べていた痕跡がある。解体された骨が遺跡から出てくるからだ。そして牛革や馬のたてがみなどを使った装飾品、美術品もあるし、野生の鹿や猪、白鳥などの渡り鳥を使ったメニューなど、実に多彩な肉食の証拠が残されている。
僧侶は食べていなかっただろうし、特別な行事の間など食べない時期もあっただろうが、基本的に肉は食べる。仏教で肉食ダメ、というタテマエを全国津々浦々に浸透させることは無理で、寺社の近くなのに「自分とこの領地だからイイんだ」と言い張って狩りをする武士もいたりするくらいだという。
ただ面白いのは、最上位の肉が野生もの、鶴だったり白鳥だったりが宴の珍味にされている所である。
飼育された太らせた牛とかガチョウとかではないのである。美食家の集まる古代ローマの宴に似ている。中世ヨーロッパの城主より、中世日本の城主のほうが舌が肥えてたんじゃないかと思う(笑)
あと牛や馬に食べさせる草の話が出てきたのだが、ヨーロッパと違い家畜を肉のために飼育することが大々的にされていなかったのは、飼育する余裕が無かったからでは? と思った。牛はともかくウマは、食べるものを結構選ぶ。行軍の際に物資を運ぶウマは必須だったのだが、そのウマのために大豆や小麦を与えていたというから、贅沢なものだ。勝手にそのへんの農民の畑に入って作物を食べてしまう問題もあったというし、冬の間に食べさせるための草を刈る場所の割当てなどもあったらしい。
そして、牛馬がひたすら草を食べまくって食害ではげ山化したと思われる場所もあるという。
日本は基本的に山ばかりの地形で、放牧の出来る広々とした平野はほとんどない。つまり、飼育できる上限数が限られてくるのだ。それで肉を食べるにしても、平野で飼育する家畜よりは山の獣、野生の鳥のほうに比重が傾いていたのではないかと思う。野生の肉をカウントしなければ、肉食が少なく見える。カウントすれば、日常的に食べていたと言うことが出来るだろう。