ヌビアXグループ、バラナ(バッラーナ)文化とその遺物についての覚書き
まず前提として、ヌビアとは現在の国境で言うとエジプト南部とスーダン北部を指す地域。この地域の代表的な遺跡はアブ・シンベル神殿だ。アブ・シンベルはダムに水没しそうになったところを場所を移動させて救われた遺跡。他に、救われていない大量の遺跡がある。そのうちの一つが、ヌビア文化Xグループに属するバラナ(Ballana)、およびその対岸クストゥルの王墓である。
ヌビア文化の時代区分は以下を参照。X文化は紀元後350年~のエジプト文化とキリスト教文化がちゃんぽんされた時代でありり、本体のエジプトは既にローマ支配時代に入って古来の信仰をほぼ失っているにも関わらず、ナイル上流のヌビアには残滓が残っているという状態になる。
下ヌビアの文化グループめも
https://55096962.seesaa.net/article/200808article_17.html
ヌビアに成立していたキリスト教三王国の地図などは以下。バラナは、いちばん北(ナイルの流れでいうと下流)のノバティア王国に属していた。
知られざるヌビアのキリスト教・三王国時代の教会跡が見つかる。
https://55096962.seesaa.net/article/202106article_4.html
キリスト教関連ならヨーロッパの学者が研究してるんじゃないの? と思いきや、このあたりは資料がとても少ない。バラマの発掘者は大考古学者のエマリーさんなので多少の資料は出てくるのだが、それでも全体を俯瞰するほどには至らない。なにしろ、これから水没するぞ! で緊急発掘した大量の遺跡群のうちの一つなのである。そして現地はもう水の底でナイルが干上がらない限り二度と遺跡に触れられないのである。
まあ…最低限の記録しかとってなければそうなるよね…。
よく調べてみると、この地域だけで合計122の墓が見つかっているそうで、相当急いで発掘したなという感じである。
で一番有名なのが、こちらのエジプト風のディティールを持つ冠。ハトホル女神のツノと太陽円盤の組み合わせがあるが、ノバティアの王妃とされる人物とともに埋葬されていた。宝石などをあしらった豪華な作りは、この時代のヌビアがいかに豊かだったかを知らせてくれる。
また個人的なおお気に入りはこちらの、狛犬ライクな雰囲気を持つ香炉である。鼻から煙出すとこ見てみてえ…。
エジプトはコプト時代に入ると何故か動物のデッサンが軒並みヘタクソになるのだが、こちらもご覧の通り動物のデザインは作画崩壊みたいになっており、ライオンの実物を見る機会が減ってよくわからんようになったんだな、ということが分かる。
この他、発見された遺物は地元産のもの以外にナイルを通じて輸入されたと思われる地中海沿岸のものなどが多いらしい。
また生贄の痕跡が多いというのも注目に値する。
ちょうど、少し前に紅海沿岸の街ベレニケで、鷹の首を切って収めていた祭壇が発見されたのだが、この生贄の風習はヌビア人のものではないかという話があったのだ。ベレニケの祭壇は時代的に紀元後300-500年なので、バラナに墓が作られていた時代とも一致する。
紅海沿岸ベレニケの町/ローマ時代の鷹神の神殿と他民族の信仰
https://55096962.seesaa.net/article/492622040.html
「辺境の地でカスタマイズされて、エジプト人ではない人々に信仰されながら生き残っていた」エジプト神話の最終形態の一つ。
一般的なエジプト神話の範疇には入れられないが、この場所で、この時代にイシスやハトホルが信仰されていたのなら、それはエジプトマニアとしては守備範囲である。生贄を求める血なまぐさいイシスや、鷹の首で願いを叶えてくれるホルスがいてもいい。生きて変化し続ける信仰とは、そういうものなのだから。
ヌビア文化の時代区分は以下を参照。X文化は紀元後350年~のエジプト文化とキリスト教文化がちゃんぽんされた時代でありり、本体のエジプトは既にローマ支配時代に入って古来の信仰をほぼ失っているにも関わらず、ナイル上流のヌビアには残滓が残っているという状態になる。
下ヌビアの文化グループめも
https://55096962.seesaa.net/article/200808article_17.html
ヌビアに成立していたキリスト教三王国の地図などは以下。バラナは、いちばん北(ナイルの流れでいうと下流)のノバティア王国に属していた。
知られざるヌビアのキリスト教・三王国時代の教会跡が見つかる。
https://55096962.seesaa.net/article/202106article_4.html
キリスト教関連ならヨーロッパの学者が研究してるんじゃないの? と思いきや、このあたりは資料がとても少ない。バラマの発掘者は大考古学者のエマリーさんなので多少の資料は出てくるのだが、それでも全体を俯瞰するほどには至らない。なにしろ、これから水没するぞ! で緊急発掘した大量の遺跡群のうちの一つなのである。そして現地はもう水の底でナイルが干上がらない限り二度と遺跡に触れられないのである。
まあ…最低限の記録しかとってなければそうなるよね…。
よく調べてみると、この地域だけで合計122の墓が見つかっているそうで、相当急いで発掘したなという感じである。
で一番有名なのが、こちらのエジプト風のディティールを持つ冠。ハトホル女神のツノと太陽円盤の組み合わせがあるが、ノバティアの王妃とされる人物とともに埋葬されていた。宝石などをあしらった豪華な作りは、この時代のヌビアがいかに豊かだったかを知らせてくれる。
また個人的なおお気に入りはこちらの、狛犬ライクな雰囲気を持つ香炉である。鼻から煙出すとこ見てみてえ…。
エジプトはコプト時代に入ると何故か動物のデッサンが軒並みヘタクソになるのだが、こちらもご覧の通り動物のデザインは作画崩壊みたいになっており、ライオンの実物を見る機会が減ってよくわからんようになったんだな、ということが分かる。
この他、発見された遺物は地元産のもの以外にナイルを通じて輸入されたと思われる地中海沿岸のものなどが多いらしい。
また生贄の痕跡が多いというのも注目に値する。
ちょうど、少し前に紅海沿岸の街ベレニケで、鷹の首を切って収めていた祭壇が発見されたのだが、この生贄の風習はヌビア人のものではないかという話があったのだ。ベレニケの祭壇は時代的に紀元後300-500年なので、バラナに墓が作られていた時代とも一致する。
紅海沿岸ベレニケの町/ローマ時代の鷹神の神殿と他民族の信仰
https://55096962.seesaa.net/article/492622040.html
「辺境の地でカスタマイズされて、エジプト人ではない人々に信仰されながら生き残っていた」エジプト神話の最終形態の一つ。
一般的なエジプト神話の範疇には入れられないが、この場所で、この時代にイシスやハトホルが信仰されていたのなら、それはエジプトマニアとしては守備範囲である。生贄を求める血なまぐさいイシスや、鷹の首で願いを叶えてくれるホルスがいてもいい。生きて変化し続ける信仰とは、そういうものなのだから。