スコットランド、ジャガイモ畑から出土した古代エジプト遺物のミステリー
小学生が呪われた遺物を偶然発見する、というのは物語の導入部としてはありきたりすぎるのだが、それに似たことが実際にスコットランドで起きていた。しかも「ジャガイモだと思って掘り出したら像の頭部だった」はいささか出来過ぎである。でも、これは実際に起きたとされる事件なのだ。
That’s not a potato: mystery of Egyptian treasures found buried in grounds of Scottish school
https://www.theguardian.com/science/2023/nov/19/thats-not-a-potato-mystery-of-egyptian-treasures-found-buried-in-grounds-of-scottish-school
舞台は、メルヴィル・ハウス(Melville House)という場所。
71年前の1952年、スコットランドの寄宿学校で少年がジャガイモを掘っていたところ、畑の中からエジプト遺物を見つけた。教師が近くの王立スコットランド博物館(これは当時の名称で、現在はNational Museum of Scotland)に持ち込んだところ、第12王朝の傑作と判明。
さらにその14年後にも、今度は跳び箱の授業中に着地した場所にプトレマイオス朝時代後期の像があったという事態が起きる。
その後、1984年になって再びブロンズ像が持ち込まれ、メルヴィル・ハウスに何か埋まってそうだという確信が持たれる。
発掘が行われ、最終的に18点の遺物が回収されたという。
これは一体何なのか? なぜここにエジプト遺物が?
実は、この寄宿学校はもともと1697年に初代メルヴィル伯爵によって建てられた邸宅だった。時代によって寄宿学校だったり、素行に問題のある少年の厚生施設だったり、軍に買い上げられたり用途が色々変わっていて、たまたま学校だった時代に遺物が見つかっていたのだ。現在は自炊式の宿泊施設(たぶん日本でいう臨海学校の建物みたいなやつ)になっているらしい。
19世紀までは、貴族階級がエジプトに旅行して遺物を私的なコレクションとして購入してくることは珍しくなかった。そのためメルヴィル家の縁者の誰かが手に入れて、その後、敷地内に埋められて忘れ去られたのだと考えられる。
ひとつの可能性は、この屋敷の相続人だったバルゴニー卿アレクサンダー(Alexander, Lord Balgonie)の早すぎる死だという。
彼はクリミア戦争での従軍中に体調を崩し、1856年に療養のため、2人の姉妹とともにエジプトを訪れていたという。しかし回復には至らず、英国に戻ったあと1857年に24歳の若さで死亡。死因は結核だったという。その悲しい死が、彼の所有物だった遺物を放棄させたのではないかと言われている。
想像力をたくましくすれば、エジプト遺物の呪いと取られたのかもしれない。(まあ呪いなら像よりミイラのほうだと思うけど。残念ながらミイラは発見されていない)
しかしそれにしても、一級品の遺物がホイホイ輸出されてた時代のエジプトがやばすぎる。現在でもしよっちゅう密輸が発覚しているとはいえ、監視なしで持ち出し可能だった頃、一体どれだけの遺物がエジプトの外に持ち出されたのか。どれだけの墓が盗掘されたのか。未発見のはずの私の推しの墓は無事なのか。ミイラ無事? 生きてる?(あの世で)
これらの遺物は、今は博物館に収蔵されてしっかり管理されているという。それはそれで良かったのだが…。
That’s not a potato: mystery of Egyptian treasures found buried in grounds of Scottish school
https://www.theguardian.com/science/2023/nov/19/thats-not-a-potato-mystery-of-egyptian-treasures-found-buried-in-grounds-of-scottish-school
舞台は、メルヴィル・ハウス(Melville House)という場所。
71年前の1952年、スコットランドの寄宿学校で少年がジャガイモを掘っていたところ、畑の中からエジプト遺物を見つけた。教師が近くの王立スコットランド博物館(これは当時の名称で、現在はNational Museum of Scotland)に持ち込んだところ、第12王朝の傑作と判明。
さらにその14年後にも、今度は跳び箱の授業中に着地した場所にプトレマイオス朝時代後期の像があったという事態が起きる。
その後、1984年になって再びブロンズ像が持ち込まれ、メルヴィル・ハウスに何か埋まってそうだという確信が持たれる。
発掘が行われ、最終的に18点の遺物が回収されたという。
これは一体何なのか? なぜここにエジプト遺物が?
実は、この寄宿学校はもともと1697年に初代メルヴィル伯爵によって建てられた邸宅だった。時代によって寄宿学校だったり、素行に問題のある少年の厚生施設だったり、軍に買い上げられたり用途が色々変わっていて、たまたま学校だった時代に遺物が見つかっていたのだ。現在は自炊式の宿泊施設(たぶん日本でいう臨海学校の建物みたいなやつ)になっているらしい。
19世紀までは、貴族階級がエジプトに旅行して遺物を私的なコレクションとして購入してくることは珍しくなかった。そのためメルヴィル家の縁者の誰かが手に入れて、その後、敷地内に埋められて忘れ去られたのだと考えられる。
ひとつの可能性は、この屋敷の相続人だったバルゴニー卿アレクサンダー(Alexander, Lord Balgonie)の早すぎる死だという。
彼はクリミア戦争での従軍中に体調を崩し、1856年に療養のため、2人の姉妹とともにエジプトを訪れていたという。しかし回復には至らず、英国に戻ったあと1857年に24歳の若さで死亡。死因は結核だったという。その悲しい死が、彼の所有物だった遺物を放棄させたのではないかと言われている。
想像力をたくましくすれば、エジプト遺物の呪いと取られたのかもしれない。(まあ呪いなら像よりミイラのほうだと思うけど。残念ながらミイラは発見されていない)
しかしそれにしても、一級品の遺物がホイホイ輸出されてた時代のエジプトがやばすぎる。現在でもしよっちゅう密輸が発覚しているとはいえ、監視なしで持ち出し可能だった頃、一体どれだけの遺物がエジプトの外に持ち出されたのか。どれだけの墓が盗掘されたのか。未発見のはずの私の推しの墓は無事なのか。ミイラ無事? 生きてる?(あの世で)
これらの遺物は、今は博物館に収蔵されてしっかり管理されているという。それはそれで良かったのだが…。