ドイツ語最古の「ランスロットもの」、「湖の騎士ランツェレト」は主人公のキャラが不明になっていた
前提として、アーサー伝説には唯一の原点というものはなく、少しずつ時期のずれた複数の著者による複数の物語の集合体である。
かつてブリテン島に「いたとされる」人物の虚像にものが語りを付け加え、各種の伝説の集合体として成立させたものがアーサー王伝説の根幹となっている。流れを時代順に追うと、
ブリテン島(まだ現在のイギリスという政体になっていない)→フランス→ドイツ
という流れ。アーサー王の剣、「エクスカリバー」名前の変遷を追っていくとわかりやすい。各言語に従って変化していくのが分かる。
この辺りは二号館にまとめてあるので、興味のある人は適当にどうぞ…。
さて、そのアーサー王伝説だが、フランス語圏からドイツ語圏に輸入されるにあたり、ランスロットの物語がだいぶ改変されている。改変されすぎて格が下がり大衆小説みたいな雰囲気になってしまっていることもあり、文学研究としては不人気なほうであまり言及されない。しかしなんと、それの邦訳が出ていたりするんである。
タイトルは「湖の騎士ランツェレト」、ランツェレトというはランスロットのドイツ語読みのバリエーションの一つであり、他の登場人物もドイツ語になっている。たとえばガウェインはウァールウェイン、グウィネヴィアはゲノフェル。
湖の騎士ランツェレト - ウルリヒ・フォン ツァツィクホーフェン, Zatzikhoven,Ulrich von, 浩三, 平尾
ランスロットはもともとブリテン島の伝承には元ネタが見当たらず、フランス語圏で作られた英雄だとされる人物なので下敷きとして使える伝説の切れ端が少ない。フランス語で書かれたクレティアンの「ランスロ、または荷馬車の騎士」が先にあったはずだが、「湖の騎士ランツェレト」の作者はクレティアンを元ネタにしなかった。
代わりに、他の作品のいろんなシーンを継ぎ接ぎにしてランスロット主人公の長編小説を作り上げたのである。
結果何が起きたというと、ランスロットは「ランスロット」という確立されたキャラクターではなく、行動が支離滅裂で良くわからない、何を目指して旅を続けているのか分からない(いちおう倒すべき敵というのはいるが)、量産型RPGの主人公みたいな人物になってしまった。
たとえば、序盤で赤子のランツェレットは湖の妖精にさらわれ、女性しか居ない妖精の国で育てられる。騎士としてのある程度の技術や知識は備えられるが、基本的に無知であり、自分の名前も生い立ちも教えられていない。
その状態から使命を与えられて旅立つことになる。
この生い立ちや旅立ちのモチーフは、ドイツ語だとヴォルフラム・フォン・エッシェンバハの「パルチヴァール」に見られるが、旅立ちに至るまでの経緯や動機は全然違う。そのまま継ぎ接ぎしたというよりは、だいぶ大衆小説寄りで簡単にしてきたなあという感じ。するする読めるのはいいのだが、「…君、そんなんで旅立っちゃっていいの」とか、「そもそも湖の妖精、自分の復讐の手駒にするためだけに主人公育ててない? 大丈夫?」みたいな気持ちになる。わりとツッコミどころは満載だ。
冒険部分の読後感は、今で言うと、なろう小説に近い。
旅立ったあとはいろんな姫君たちとのラブロマンスもある。ここはハーレクインロマンスのノリである。ていうか初体験がそれでいいのかランツェレト。成り行きにもほどがあるぞランツェレト。宮廷文学ならこの展開は無いだろうな…という展開で、ランスロットといえば、王妃のためにひたすら身を尽くす迷惑な不倫男としてのキャラで知られているのだが、その面影は全く無い。王妃は一応出てくるのだが、あんまり関わってこない。
冒険に次ぐ冒険、そして最期に湖の妖精に課せられた課題を果たし、姫君と結婚して子供をもうけて大往生する。というランツェレトの一生を描いた物語になっているのだが、特にアーサー王の宮廷である必要はなく、ある立派な騎士の物語、とかでもよかったのでは…と思う感じの内容だった。アーサー王の宮廷でおなじみのメンバー、ケイ卿やガウェイン、トリスタンなど有名どころが出てくるわりに、それらの騎士たちのキャラもいまいち薄くて、出てきただけだなあという感じ。これは確かに文学として研究する人は少ないだろうな…。
ただ、そうした内容は、あとがきの部分に既に翻訳者自身が書いている。
根底にある思想が低俗なのは確かだが、この物語はそもそも何をしたかったのかというと「娯楽的に書かれた一種の君主教育の書なのではないか」という。確かに、立身出世を夢見る若き騎士たちに語り聞かせるならいいのかもしれない。この物語にはこの物語なりの面白さがある、というのも確かだと思う。ただし自分の中でそれは、「なろう小説」で見かけるタイプの面白さである。逆に言えば、描写のつるっとしたラノベが好きな人には、格調高く、時には説教臭い冗長さもある三大叙事詩人の作品よりは読みやすいかもしれない。
それにしても、この作品のランスロットは、あまりにキャラが行方不明すぎた。特にパーシヴァルっぽいところとガウェインっぽいところが組み合わされているのが違和感の根本で、読みながら「君、誰…?」という疑問が頭の中に渦巻いていた。作者、ヴォルフラム師匠の作品は読んでたのかもしれないなあ。もしくは、同じモチーフを選択したところが多かったのか。
ふと思ったのだが、この物語の主人公は、ランスロットではなく、有名ではない他の騎士であったほうが良かったのではないだろうか。それならキャラが確立されているわけではないし、多少低俗でも行動に矛盾があっても、そういうキャラだったということになるのだから。
それだと駄目だったんかな…。
かつてブリテン島に「いたとされる」人物の虚像にものが語りを付け加え、各種の伝説の集合体として成立させたものがアーサー王伝説の根幹となっている。流れを時代順に追うと、
ブリテン島(まだ現在のイギリスという政体になっていない)→フランス→ドイツ
という流れ。アーサー王の剣、「エクスカリバー」名前の変遷を追っていくとわかりやすい。各言語に従って変化していくのが分かる。
この辺りは二号館にまとめてあるので、興味のある人は適当にどうぞ…。
さて、そのアーサー王伝説だが、フランス語圏からドイツ語圏に輸入されるにあたり、ランスロットの物語がだいぶ改変されている。改変されすぎて格が下がり大衆小説みたいな雰囲気になってしまっていることもあり、文学研究としては不人気なほうであまり言及されない。しかしなんと、それの邦訳が出ていたりするんである。
タイトルは「湖の騎士ランツェレト」、ランツェレトというはランスロットのドイツ語読みのバリエーションの一つであり、他の登場人物もドイツ語になっている。たとえばガウェインはウァールウェイン、グウィネヴィアはゲノフェル。
湖の騎士ランツェレト - ウルリヒ・フォン ツァツィクホーフェン, Zatzikhoven,Ulrich von, 浩三, 平尾
ランスロットはもともとブリテン島の伝承には元ネタが見当たらず、フランス語圏で作られた英雄だとされる人物なので下敷きとして使える伝説の切れ端が少ない。フランス語で書かれたクレティアンの「ランスロ、または荷馬車の騎士」が先にあったはずだが、「湖の騎士ランツェレト」の作者はクレティアンを元ネタにしなかった。
代わりに、他の作品のいろんなシーンを継ぎ接ぎにしてランスロット主人公の長編小説を作り上げたのである。
結果何が起きたというと、ランスロットは「ランスロット」という確立されたキャラクターではなく、行動が支離滅裂で良くわからない、何を目指して旅を続けているのか分からない(いちおう倒すべき敵というのはいるが)、量産型RPGの主人公みたいな人物になってしまった。
たとえば、序盤で赤子のランツェレットは湖の妖精にさらわれ、女性しか居ない妖精の国で育てられる。騎士としてのある程度の技術や知識は備えられるが、基本的に無知であり、自分の名前も生い立ちも教えられていない。
その状態から使命を与えられて旅立つことになる。
この生い立ちや旅立ちのモチーフは、ドイツ語だとヴォルフラム・フォン・エッシェンバハの「パルチヴァール」に見られるが、旅立ちに至るまでの経緯や動機は全然違う。そのまま継ぎ接ぎしたというよりは、だいぶ大衆小説寄りで簡単にしてきたなあという感じ。するする読めるのはいいのだが、「…君、そんなんで旅立っちゃっていいの」とか、「そもそも湖の妖精、自分の復讐の手駒にするためだけに主人公育ててない? 大丈夫?」みたいな気持ちになる。わりとツッコミどころは満載だ。
冒険部分の読後感は、今で言うと、なろう小説に近い。
旅立ったあとはいろんな姫君たちとのラブロマンスもある。ここはハーレクインロマンスのノリである。ていうか初体験がそれでいいのかランツェレト。成り行きにもほどがあるぞランツェレト。宮廷文学ならこの展開は無いだろうな…という展開で、ランスロットといえば、王妃のためにひたすら身を尽くす迷惑な不倫男としてのキャラで知られているのだが、その面影は全く無い。王妃は一応出てくるのだが、あんまり関わってこない。
冒険に次ぐ冒険、そして最期に湖の妖精に課せられた課題を果たし、姫君と結婚して子供をもうけて大往生する。というランツェレトの一生を描いた物語になっているのだが、特にアーサー王の宮廷である必要はなく、ある立派な騎士の物語、とかでもよかったのでは…と思う感じの内容だった。アーサー王の宮廷でおなじみのメンバー、ケイ卿やガウェイン、トリスタンなど有名どころが出てくるわりに、それらの騎士たちのキャラもいまいち薄くて、出てきただけだなあという感じ。これは確かに文学として研究する人は少ないだろうな…。
ただ、そうした内容は、あとがきの部分に既に翻訳者自身が書いている。
根底にある思想が低俗なのは確かだが、この物語はそもそも何をしたかったのかというと「娯楽的に書かれた一種の君主教育の書なのではないか」という。確かに、立身出世を夢見る若き騎士たちに語り聞かせるならいいのかもしれない。この物語にはこの物語なりの面白さがある、というのも確かだと思う。ただし自分の中でそれは、「なろう小説」で見かけるタイプの面白さである。逆に言えば、描写のつるっとしたラノベが好きな人には、格調高く、時には説教臭い冗長さもある三大叙事詩人の作品よりは読みやすいかもしれない。
それにしても、この作品のランスロットは、あまりにキャラが行方不明すぎた。特にパーシヴァルっぽいところとガウェインっぽいところが組み合わされているのが違和感の根本で、読みながら「君、誰…?」という疑問が頭の中に渦巻いていた。作者、ヴォルフラム師匠の作品は読んでたのかもしれないなあ。もしくは、同じモチーフを選択したところが多かったのか。
ふと思ったのだが、この物語の主人公は、ランスロットではなく、有名ではない他の騎士であったほうが良かったのではないだろうか。それならキャラが確立されているわけではないし、多少低俗でも行動に矛盾があっても、そういうキャラだったということになるのだから。
それだと駄目だったんかな…。