キプロス島の埴輪たち:ヌラーゲ文化のテラコッタシリーズの親近感
キプロス島に兵馬俑のようなものがある、という話を聞いてちょっと調べてみた。これがそう。大きさが揃っていないのと、兵士じゃない人物像が多いので、むしろ日本の埴輪っぽい雰囲気である。てかトーハクの埴輪展示室ってこんな雰囲気だったよな。めっちゃ親近感わく。なんなら日本の埴輪と混ぜられても、パッと見気が付かないかも。

キャプ元
https://www.instagram.com/p/CfgTdTOPj6R/
発見時の写真とか
Cyprus 'terracotta army' figures in Cambridge in UK first
https://www.bbc.com/news/uk-england-cambridgeshire-64682924

これらはキプロス島北部のAgia Eiriniという場所で、1929年にまとめて出土した。紀元前1800年頃から紀元前3世紀のローマ支配時代まで続いたNuragic civilization、ヌラーギ/ヌラーゲ文化のもの。ヌラーゲというのは特徴的な石積みの建物の名称から来ているらしい。楔形文字は既にあったのだがそれらは使われておらず、末期を除いて独自の文字記録が無いとのこと。なので、これらの軍隊をどういう思想で作って聖域に収めたのかなどは推測するしかない。
で、この埴輪の重要なところだが、実はヌラーゲ文化の中心地はキプロスではない。サルデーニャ島になっている。
つまり文化の担い手が移住してきたとされる。特にエジプト史やヒッタイト史に出てくる、通称「海の民」の中の一部、シェルデン族は、この文化の担い手だったサルデーニャ人だったのではとされている。もしそうなら、この埴輪軍団は、かつて東地中海沿岸に攻め寄せた「海の民」の一部の部族の姿そのものでもあるかもしれない。
※あくまで「一部」
※「海の民」は複数の部族名が記録されているのを近代にまとめて呼ぶために便宜上つけられた名前
ヌラーゲ文化がどうやってキプロスまで持ちこまれたのか、時期などについては調べてもはっきりしたところが分からなかったが、この「地中海の兵馬俑」シリーズはなかなか面白い遺物だと思う。
見た目が揃っていないので全部1点もので作っていたのだろうが、皆で作って持ち寄ったのか、誰かがまとめて発注したのか。メソポタミアでいう「祈願者像」のように自分に似せたものを神殿に収めたのか、特定の誰かを模したわけではない姿なのか。興味は尽きない。
キャプ元
https://www.instagram.com/p/CfgTdTOPj6R/
発見時の写真とか
Cyprus 'terracotta army' figures in Cambridge in UK first
https://www.bbc.com/news/uk-england-cambridgeshire-64682924
これらはキプロス島北部のAgia Eiriniという場所で、1929年にまとめて出土した。紀元前1800年頃から紀元前3世紀のローマ支配時代まで続いたNuragic civilization、ヌラーギ/ヌラーゲ文化のもの。ヌラーゲというのは特徴的な石積みの建物の名称から来ているらしい。楔形文字は既にあったのだがそれらは使われておらず、末期を除いて独自の文字記録が無いとのこと。なので、これらの軍隊をどういう思想で作って聖域に収めたのかなどは推測するしかない。
で、この埴輪の重要なところだが、実はヌラーゲ文化の中心地はキプロスではない。サルデーニャ島になっている。
つまり文化の担い手が移住してきたとされる。特にエジプト史やヒッタイト史に出てくる、通称「海の民」の中の一部、シェルデン族は、この文化の担い手だったサルデーニャ人だったのではとされている。もしそうなら、この埴輪軍団は、かつて東地中海沿岸に攻め寄せた「海の民」の一部の部族の姿そのものでもあるかもしれない。
※あくまで「一部」
※「海の民」は複数の部族名が記録されているのを近代にまとめて呼ぶために便宜上つけられた名前
ヌラーゲ文化がどうやってキプロスまで持ちこまれたのか、時期などについては調べてもはっきりしたところが分からなかったが、この「地中海の兵馬俑」シリーズはなかなか面白い遺物だと思う。
見た目が揃っていないので全部1点もので作っていたのだろうが、皆で作って持ち寄ったのか、誰かがまとめて発注したのか。メソポタミアでいう「祈願者像」のように自分に似せたものを神殿に収めたのか、特定の誰かを模したわけではない姿なのか。興味は尽きない。