「今まで知られていなかった文明をハンガリーで発見!」→なぜか元論文と全然違う内容だった
以下のような記事を見かけて、「?? 最近の発見のヘッドラインだけは見てるけど、そんなん無かったよなぁ…。」って思いながら元論文を探したら、元の論文とは全く違う内容にされていて鼻水出るかと思った。いや、てかこれ、誤訳とかそういうレベルじゃなく、元の論文を一切読まずにサマリー記事を加工したとかじゃないのか。
「今まで知られていなかった文明」が青銅器時代の中欧にあった…Google Earthも発見に一役
https://www.businessinsider.jp/post-279129

元論文
Resilience, innovation and collapse of settlement networks in later Bronze Age Europe: New survey data from the southern Carpathian Basin
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0288750
時間がない人は、タイトルとAbstract(いちばん最初に書かれている要約)、最後にあるConclusion(結論)だけでも読んでみるといいと思うのだ。
ぜんぜん内容が違うのだ…。
この記事が述べているのは、
「気候変動でカルパチア平原の人口密度が一気に下がったんで文明レベルも下がってると思ってたけど、新しい遺跡を100ほど見つけてその時代の解像度が上がりました! 単に広い範囲に人が散って集落ネットワークの作り方が変わっただけで、特に地中海など長距離のネットワークが強化されてるって分かったよ!」
という内容である。新しい文明ってのはどっから出てきたのかさっぱり分からない。
ていうか、新しく見つかった約100の遺跡、ティッサ遺跡群(TSG)と呼ばれるものは、前の時代から繋がっているもので、全く別の文明とかではない。

重要なのは、「ある場所が過疎化したからといって、地域全体が過疎化したわけではない」、「密集して暮らしてきた人々が散らばったからといって、高度な文化レベルがいきなり下がるとかはない」という視点である。かつては、ある特定範囲だけ定点観測して、そこから遺跡が消えると「文化が衰退した」と単純に見做すことも多かった。しかし、人は移動出来る。実は別の場所に移動しただけ、ということはよくある。
一つには、気候変動を地域ごとに細かく見る技術が出てきたおかげで、このカルパチア平原についても、以下のように時代ごとに機構が大きく変動してきたことが分かっている。論文に出ているとおり、紀元前1600年ごろに平原北部から一気に遺跡が減るのは、気候がCold&Wetのフェーズに移行したためと考えられる。ここは、前期・中期青銅器時代後期(紀元前2100年頃~1600年頃)と後期青銅器時代(紀元前1600年~1200年)の切れ目と設定されている。

実はカルパチア平原は、平坦で湿地帯が多く、大きな河川が複数流れているため、水害に非常に弱いのだという。豪雨が来れば川近くの集落は水没の危険性がある。そのため、雨量の変化が集落の位置を移動させるのは不思議ではない。湿潤な時期に入ると、高台にしか住めなくなくなるので人口が分散し、川を通じた長距離ネットワークが強化されるというのは、言われてみれば「そりゃそうだ」と納得するしかない。
つまり紀元前1600年の気候変動は、社会のあり方を変化させはしたが、大幅に文化レベルが落ちたとか、人が極端に減ったとかいう話ではなかったのだ。
…という論文の内容を見てから論文のほうのタイトルを見ると、納得できるものになっているのではないだろうか。
逆に日本語記事のほうのタイトルを見ると、「いや、なんでそんな話になっとるねんwww」とか出てこない。マジで。
Googleマップの件もなあ、リモートセンシングと現地調査で遺跡特定したって言ってるから、実はあんま関係ない…。
というわけで、この手の記事はちゃんとソース辿ったほうがいいですよ、という、10年くらい前からずっと言ってる話のおさらいでした。
元論文へのリンク貼ってない記事はだいたい内容おかしいっす、経験上。
「今まで知られていなかった文明」が青銅器時代の中欧にあった…Google Earthも発見に一役
https://www.businessinsider.jp/post-279129

元論文
Resilience, innovation and collapse of settlement networks in later Bronze Age Europe: New survey data from the southern Carpathian Basin
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0288750
時間がない人は、タイトルとAbstract(いちばん最初に書かれている要約)、最後にあるConclusion(結論)だけでも読んでみるといいと思うのだ。
ぜんぜん内容が違うのだ…。
この記事が述べているのは、
「気候変動でカルパチア平原の人口密度が一気に下がったんで文明レベルも下がってると思ってたけど、新しい遺跡を100ほど見つけてその時代の解像度が上がりました! 単に広い範囲に人が散って集落ネットワークの作り方が変わっただけで、特に地中海など長距離のネットワークが強化されてるって分かったよ!」
という内容である。新しい文明ってのはどっから出てきたのかさっぱり分からない。
ていうか、新しく見つかった約100の遺跡、ティッサ遺跡群(TSG)と呼ばれるものは、前の時代から繋がっているもので、全く別の文明とかではない。

重要なのは、「ある場所が過疎化したからといって、地域全体が過疎化したわけではない」、「密集して暮らしてきた人々が散らばったからといって、高度な文化レベルがいきなり下がるとかはない」という視点である。かつては、ある特定範囲だけ定点観測して、そこから遺跡が消えると「文化が衰退した」と単純に見做すことも多かった。しかし、人は移動出来る。実は別の場所に移動しただけ、ということはよくある。
一つには、気候変動を地域ごとに細かく見る技術が出てきたおかげで、このカルパチア平原についても、以下のように時代ごとに機構が大きく変動してきたことが分かっている。論文に出ているとおり、紀元前1600年ごろに平原北部から一気に遺跡が減るのは、気候がCold&Wetのフェーズに移行したためと考えられる。ここは、前期・中期青銅器時代後期(紀元前2100年頃~1600年頃)と後期青銅器時代(紀元前1600年~1200年)の切れ目と設定されている。

実はカルパチア平原は、平坦で湿地帯が多く、大きな河川が複数流れているため、水害に非常に弱いのだという。豪雨が来れば川近くの集落は水没の危険性がある。そのため、雨量の変化が集落の位置を移動させるのは不思議ではない。湿潤な時期に入ると、高台にしか住めなくなくなるので人口が分散し、川を通じた長距離ネットワークが強化されるというのは、言われてみれば「そりゃそうだ」と納得するしかない。
つまり紀元前1600年の気候変動は、社会のあり方を変化させはしたが、大幅に文化レベルが落ちたとか、人が極端に減ったとかいう話ではなかったのだ。
…という論文の内容を見てから論文のほうのタイトルを見ると、納得できるものになっているのではないだろうか。
逆に日本語記事のほうのタイトルを見ると、「いや、なんでそんな話になっとるねんwww」とか出てこない。マジで。
Googleマップの件もなあ、リモートセンシングと現地調査で遺跡特定したって言ってるから、実はあんま関係ない…。
というわけで、この手の記事はちゃんとソース辿ったほうがいいですよ、という、10年くらい前からずっと言ってる話のおさらいでした。
元論文へのリンク貼ってない記事はだいたい内容おかしいっす、経験上。