ドラクエとかで見覚えのある塔、実在していた。ジャム(ジャーム)のミナレット
1222年にチンギス・ハンの息子オゴタイがこの谷を訪れた時、住民は殺戮され、あとには残骸しか残らなかったという。
ただ、彼はなぜか一つの建造物には手を付けずに去っていった。
…という記述を見つけて、ちょっと気になってしまったのがゴール王国の遺跡、「ジャムのミナレット」だ。ジャム(ジャーム)は地名で、アフガニスタンの山奥に位置する。
調べてみて思わず「これドラクエとかのRPGで終盤のほうのボス戦で行く塔じゃん?!」と思ってしまった。まさかこういうの、現実にあるとは…。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88
ユネスコ世界遺産の登録名は Minaret and Archaeological Remains of Jam
そちらのサイトには内部の写真がたくさんある。内部の螺旋階段も周囲の山がちな風景も完璧。ああ、もなんかここ行ったことある気がするよ…入り口に因縁の相手とかがいて、そいつ倒すと「行くが良い、塔の上にはxx様がいらっしゃる…生きては戻れんだろう」みたいな捨て台詞吐くイベントあったよね?? そういうやつでしょここ。もしくは、何かキーアイテムないと入り口開かないやつ。
https://whc.unesco.org/en/list/211/
この場所は海抜1,900mの山の中にあり、カブールからは車で5-6時間かかるという。もちろん今のアフガニスタンの政情や治安を考えると、安全は保証されていない。なので観光にはいけない。また、そのロケーションから1957年に再発見されるまで完全に忘れ去られていたそうだ。忘れ去られし塔、エピソードも完璧だ。
このミナレットは、ゴール朝のスルタン、ギヤースッディーン・ムハンマドによって建造された。1192年のインド・デリー制圧を記念して作られたという説もあり、1194年に建てられたとするのが最有力なようだ。塔の表面のターコイズ色の部分に王の名前と、建築家として「アリ」という人物名が書かれているという。
ただ、肝心のゴール朝に関する資料は殆どない。インドまで広い範囲を支配下にも関わらず、モンゴルに踏み潰されて、わずか一世紀ほどで歴史の表舞台から消え去ってしまうからだ。このあたりは、アナトリアに覇を唱えながら滅亡後はきれいさっぱり忘れ去られていたヒッタイト帝国に似ているかもしれない。
滅びた王国の、かつての夏の都に残された唯一の建造物、比類なき美しい塔。近くを流れる川がたびたび氾濫するせいで少し傾いているそうで、いつかは倒壊してしまう危険性もあるらしいが、できるだけ長く残ってほしいよなあと思う。
この世界には、実在するファンタジーがもっと必要だ。
ただ、彼はなぜか一つの建造物には手を付けずに去っていった。
…という記述を見つけて、ちょっと気になってしまったのがゴール王国の遺跡、「ジャムのミナレット」だ。ジャム(ジャーム)は地名で、アフガニスタンの山奥に位置する。
調べてみて思わず「これドラクエとかのRPGで終盤のほうのボス戦で行く塔じゃん?!」と思ってしまった。まさかこういうの、現実にあるとは…。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88
ユネスコ世界遺産の登録名は Minaret and Archaeological Remains of Jam
そちらのサイトには内部の写真がたくさんある。内部の螺旋階段も周囲の山がちな風景も完璧。ああ、もなんかここ行ったことある気がするよ…入り口に因縁の相手とかがいて、そいつ倒すと「行くが良い、塔の上にはxx様がいらっしゃる…生きては戻れんだろう」みたいな捨て台詞吐くイベントあったよね?? そういうやつでしょここ。もしくは、何かキーアイテムないと入り口開かないやつ。
https://whc.unesco.org/en/list/211/
この場所は海抜1,900mの山の中にあり、カブールからは車で5-6時間かかるという。もちろん今のアフガニスタンの政情や治安を考えると、安全は保証されていない。なので観光にはいけない。また、そのロケーションから1957年に再発見されるまで完全に忘れ去られていたそうだ。忘れ去られし塔、エピソードも完璧だ。
このミナレットは、ゴール朝のスルタン、ギヤースッディーン・ムハンマドによって建造された。1192年のインド・デリー制圧を記念して作られたという説もあり、1194年に建てられたとするのが最有力なようだ。塔の表面のターコイズ色の部分に王の名前と、建築家として「アリ」という人物名が書かれているという。
ただ、肝心のゴール朝に関する資料は殆どない。インドまで広い範囲を支配下にも関わらず、モンゴルに踏み潰されて、わずか一世紀ほどで歴史の表舞台から消え去ってしまうからだ。このあたりは、アナトリアに覇を唱えながら滅亡後はきれいさっぱり忘れ去られていたヒッタイト帝国に似ているかもしれない。
滅びた王国の、かつての夏の都に残された唯一の建造物、比類なき美しい塔。近くを流れる川がたびたび氾濫するせいで少し傾いているそうで、いつかは倒壊してしまう危険性もあるらしいが、できるだけ長く残ってほしいよなあと思う。
この世界には、実在するファンタジーがもっと必要だ。