ミステリというより古代世界ファンタジー「ファラオの密室」
新刊案内を見ていたら、古代エジプトものの作品が出ていたので「おっこれは!」という感じで手に取ってみた。
何故かミステリー大賞受賞作になっているが、内容はミステリではない。古代エジプトが舞台の神話風味ファンタジーである。舞台設定などは、エジプト全く知らない状態から学習して書いたのだとすれば頑張っている。頑張ってはいるのだが…。
ファラオの密室 - 白川尚史
※注意※
ここから先はかなりぶっちゃけた感想になります。またネタバレを含むため、新作をフラットに読みたい人はご遠慮ください。
************************************
●ミステリー小説としての評価
この小説はミステリー小説として読んだ場合はかなりトリックが物足りなく、正直に言うとミステリ好きにはオススメできない。というか、「それ実際にやろうとしたら、無理じゃね?」という感じ。ピラミッドの空気穴は頭蓋骨は通りませんよね。とか。
ミステリ要素である犯人探しの部分も拍子抜けするほどどうでもいい結末になるし殺人事件とかより治安悪化のほうがヤバいし、途中で殺された主人公の友人のアシェリ君はどうなったんだよ… とか、主人公が二十歳越えてるなら性別詐称は流石にみんな気づくだろ無理だよ… とか、だいぶ前提が厳しいなと思った。
金田一少年の事件簿の初期の頃のトリックが似ている。動機はわりとどうでもよく、舞台設定とケレンみが主題。犯人は「やることが…やることが多い…!」とボヤきながら走り回っていたに違いない。そういえば金田一少年にも、一人で遺体をバラバラにして並べ直すトリックあったな…。
というわけで、ミステリ要素はちょっと、いや、だいぶ物足りない。
●古代エジプト小説としての評価
よく調べているし舞台設定も頑張ったな、という感じはする。
ただ、古代エジプト小説としてやってはいけない要素ベスト3を全コンプしてきている。
この勘違いを出すだけで一期に安っぽくなってしまうので、「ここは違う」というのを、他のエジプト創作する人たちのためにも、おさらいしておきたい。
(1)王墓としてのピラミッドは新王国時代にはもう作られていない
まずひとつ目は、密室ミステリーの肝となっている「ピラミッドの玄室から王のミイラが消えた」の部分が成立しないという問題。
エジプトだからピラミッドあるだろ! と思うかもしれないが、王墓としてのピラミッドが作られていたのは第13王朝までである。
それ以降の時代のピラミッドもこれから見つかる可能性はあるが、そもそもが中王国時代以降はかなり小規模な日干しレンガのピラミッドであり、この小説のように石を使ったピラミッドは第5王朝あたりから作られなくなる。つまり1000年ほど時代がズレている。
なお「最後のピラミッド」とされているものも第18王朝のはじめの頃になる(墓ではない)ので、舞台設定となるアクエンアテンの治世からは数百年前のものになる。
The last pyramid エジプトで最後に作られたピラミッド、第18王朝
ついでに言うと、墓とは基本的に西側に作るものであり、墓としてのピラミッドはナイル西岸に作られるのが一般的。アケトアテンの都は日の出の方角、ナイル東岸なので墓に行くためには川を渡るシーンがなければならない。
さらにアケトアテンは西岸が中洲と広い氾濫原、東岸は街の近くまで迫る切り立った崖なので、近くにピラミッドを建てられる場所はない…。
あと、ピラミッドは「死して魂が天に登る」という星辰信仰・太陽信仰の代物なので、もしこの時代にまだピラミッド建造が続いていたとしても、アテン信仰やってたファラオは作らないんじゃないかな。
(2)即位名ではなく誕生名を王名として扱ってしまっている
次が、これも古代エジプト創作あるあるなのだが、王名ではない有名な名前をファラオの名前にしてしまっている。
ファラオには五つの名前があり、即位後に使われるのは「即位名」、これが王名となる。公文書で使われるのも即位名。
「アクエンアテン」や「ツタンカーメン」は「誕生名」、生まれ名のほうであり、身内しか呼ばない。なので民衆が認識する名前がこちらであってはいけないし、部下の人たちも「アクエンアテン王」とは呼ばない。めっちゃ不敬になるので。
ついでにアクエンアテンの元の生まれ名であるアメンホテプ4世の「4世」部分は、同じ名前の王が4人いるからと現代人がつけた番号であり、古代人は一度も番号はつけて呼んでない。もちろんヒエログリフにもない。
同じ即位名や同じ誕生名の王は何人もいるが、即位名、誕生名、ホルス名の三つくらい見つかれば、組み合わせによって誰の名前なのか見分けがつく。称号について詳しくは以下を参照。
ファラオの称号(五重名)
なお、世の中に通例として出回っているファラオの名前は、実は、この五つの中のどれなのかが人によってバラバラである。
・スコルピオン →名前不明、サインにサソリのマーク使ってるからこれを名前として使っている
・カセケムイ →ホルス名が「カセケムイ」
・クフ →即位名が「クフ」
・ラメセス2世 →誕生名が「ラメセス」
創作物によく使われるのは新王国時代なのだが、この時代の王の名前はたいてい誕生名で出回っているので、即位名を確認しないと、「歴史モノ」としては使えないんである…。
ちなみにアクエンアテンは、誕生名こそアテン信仰に従って「アメンホテプ」から「アクエンアテン」と変更したが、即位名は変更せず ネフェルケペルウラー・ワァセンラー を使っていた。つまり太陽神である「ラー」の名前までは消せなかった。(アテン神自体、もともと太陽神のいち形態とされていたので、両者を同一視することで乗り切ったのだと思う)
ホルス名や二女神名は何種類も持っている人がいるのだが、よっぽどのことがないと即位名だけは変更しないあたり、古代エジプト人の「名前」の重要性に対する概念が伺える。
https://pharaoh.se/pharaoh/Amenhotep-IV
(3)騎馬技術はまだ無い
小説マンガ映画問わず何故か高確率で出てきてしまう「ウマに乗って移動」、これは古代エジプト世界では有り得ない光景になる。
古代エジプトの時代にはウマはチャリオットを引くために使うもので、乗馬という技術は東地中海世界のどこを探してもまだ存在しない。人が乗る鞍や鐙の開発もまだされていないのだ。ごく限られた物好きが乗馬を嗜んだ可能性はなくもないが、一般人が乗れた可能性はとてつもなく低い。
詳細は以下を参照してください…
古代エジプトに騎兵はいないが、「もしも馬に乗れる人がいたら」という仮定で話をする
ここまでが「エジプト創作物でよくある勘違い」Top3である。
しかし他にも、よくある勘違いをなぞっているところは多数ある。
(4)ピラミッドを作るのに奴隷をむち打ち
そもそもこの時代にピラミッドは作られていないのだが、もし作っていたとしても奴隷を多数使うとか、「奴隷をむち打ち」は無い。もう50年くらい昔のイメージかなそれは。というか、この勘違い撲滅のためにひたすら言い続けているザヒ・ハワス博士とかK先生とかが目ェひん剥いて怒りそうwww と思いながらそのシーンを読んでしまった。
・古代エジプトは古代世界の中では人口が多く、奴隷狩りする必要がないくらい働き手はいる
・歴代ピラミッドも専門の職人が主体となって作っている
・というか奴隷は逃げたり反乱を起こしたりするので近隣のに農民を期間工で雇ったほうが効率いい
・新王国時代に外国から連れてこられる奴隷はほぼ戦争奴隷で技術職が多い。ガラス製造技術もそうして持ち込まれたと推測される
他、国民だと税金払えなかった場合の債務奴隷とか。
あと
・石を運ぶ際に水を撒いていたという説はもう古い
・傾斜路の描写がない…石をどうやって上げてたんだ…
・滑車の発明は紀元前1000年頃なのでこれも騎馬同様にオーパーツ
・棺に宝石は貼り付けないですね…
とか、ピラミッド建造シーンを入念に描いているだけに不備が目立つ結果に。
そもそもピラミッドの断面図がクフ王のピラミッドという一点モノの特殊構造を参考にしていて、他のピラミッドと全然違う構造になってしまっているのも難点。というかまさに、その構造が密室トリックの肝になっているのも、ミステリとして読んだ場合にトリックが甘い気がする理由となった。
(5)ナイルの増水は「洪水」ではなく、降水によるものではない
エジプトは砂漠の国なので雨はふらない。それは古代においても同じこと。季節をあらわす「増水季/洪水季」は、ナイル川のはるか上流、アフリカ内陸部に降った雨季の雨が、長い距離をゆっくり流れ落ちてくるものである。エジプトでは天水農業は行われていない。「恵みの雨」という概念は、エジプトではなく隣のレバノン・シリアあたりのもので、要するに小麦栽培の起源地である「肥沃な三日月地帯」なら在り得るだろうというもの。
あと細かい話だが、エジプトの麦は冬に生育する種類で、春に収穫する。石運びなどが可能なのは増水している7月末~9月末くらいの間。ここに農耕の話を出したいなら、灌漑農法なんで畑に水入れる描写にする必要がある。
なお古い本だと「ナイルの増水は雪解け水である」という説も出てくるが、これも現在では否定されている。
ナイルの水源に雪山はあるのか。古代人の考えた「月の山脈」伝説と実態の違い
あと、以下は「あるある」な間違いではないのだが、設定として変だよねと思ったもの。
(6)ヒッタイトの首都は遠すぎるのでは…
ハットゥシャを「トルコ南部」と書いてあるのだが、正確には北部の黒海に近い地方。そこから行商とか、アッシリア人商人でもないと無理かと思う。しかも紀元前1300年だともう帝国期に入っているので首都に住んでる人たちは大都会の民である。外国人を出したかったのは分かるが、手近なところでレバノンあたりにすればよかったのでは。(実際、そのへんなら戦争奴隷は在り得る)
少女マンガの古代エジプトものにヒッタイト人が出てくるので近い気がするかもしれないが、勘違いである。
という感じで、出身の設定に不自然さんが出ちゃってるのが気になった。てかヒッタイト本土だとエジプトと言語違うんで言葉も通じないんですよね…語族から違うんで…。
(7)ミイラを作るのに半年はかけすぎ
ミイラは、シリウス星が地表の下に沈んでいる期間の70日で作るというのがしきたり。つまり2ヶ月ちょっと。半年はさすがにかけすぎだし、半年も暑い国に死体を放置してたら普通に痛む。
最近、紀元前1500年頃のミイラづくりマニュアルの研究結果が発表されているが、70日の半分は死体の脱水処理に使われていたことと、防虫処理などがかなり大変だったことが分かる。
古代エジプトのミイラづくりマニュアルが再構成される。紀元前1500年のミイラづくりに関わる文書の一端が明らかに
ついでにミイラづくりはめちゃくちゃ臭う作業である。くさや製造中のイメージ。
街中にミイラづくり職人の家があることはないし、お風呂や石鹸もない時代なのでミイラづくり職人自体も臭かったはずで、ある種の忌み職のようなものだったと推測される。なので仕事場と街を普通に往復するのはちょっと厳しい。
(8)冥界のシーンがおかしい
ツッコミを入れているとキリがないのでこのへんにするが、そもそもアマルナ時代の宗教観では冥界は存在しない。
死者の書も作られていない。詳細はこちらを参照。
アテン信仰の世界なので他の神はいません、という状態であれば、そもそもオシリス神に属する死者の裁判自体が存在しない。なぜなら死者が生前に罪を犯していないことを告白する、42の「否定告白」は、そのまま、それぞれの罪を担当する42柱の神々に対しての告白となるからだ。
そもそも死者の書とは、冥界の入り口から入り、最後に太陽とともに地上に「再び権限する」=魂が生き返る、という一連の内容をしたためたものである。入り口は西の地平線、死者の法廷は真ん中より後ろあたり、東の地平線が出口。(日の出)
主人公が生き返るのは裁判所をパスしたあと、永遠の園を通り抜けてからのはずなのに何で途中で逆流しているのかも分からんし、否定告白が存在するのにオシリスやトト、アヌビスなど主要な神々が法廷に居ないのも違和感しかない。
そもそもを言えば、「否定告白」の1つめの告白が「虚偽をしたことがない」なので、身分名前性別等を偽って生きていた主人公は一発アウトである。
死者の書に書かれた内容を特に理解せず、挿絵も見ずに、「かっこいい呪文があるな~」くらいの気持ちで適当に切り取って使ったくらいじゃないと、この描写にはならない気がする…。
要するに、基本資料をほとんど理解出来ていないという悲しい結論になる。
おそらく、「古代エジプトといえば死者の書だな!」→死者の書の呪文についてだけしらべる→呪文を作品に入れる
というような切り貼りの作り方をしているので、全体を見た場合に「なんでこの時代にピラミッドがあんの?」「なんでアテン神一神教やってる世界観なのにセム神官がいんの?」「ピラミッドは複合施設なのに葬祭殿も神殿もついてない?? 墓参りどうするん?」「ツタンカーメンちょろっとだけ出てきたけど即位式いつやったんだこれ?」とか、不自然な部分が山積みになっているのだと思う。
設定厨になれとは言わないが、見えている世界観の底の薄さはそのままストーリーに対する魅力の低減になりうる。
厳密な歴史モノではなく、古代エジプト・ファンタジーとして書いたのだから、という言い訳をするかもしれないが、ファンタジーとは、自分の知らない部分を適当に誤魔化すための免罪符ではない。
ストーリーの必要性があって現実縛りを無くしたい場合にファンタジーを入れるなら分かるのだが。
***************************
色々とダメ出しをしてしまったが、一回さらっと読むぶんならなんとか古代エジプトっぽい雰囲気は味わえる。二回目以降の読み直しはお勧めしない。プロットの穴が見つかりすぎる。
奴隷少女、そもそも少女なのになんで石材運びなんてさせられてるんだ…? ピラミッド建築現場で女性がやる仕事って、労働者向けのメシ炊き(パン焼き)とかだぞ。この世界、ピラミッド労働者のメシは誰がどうやって作ってるんだ。パンは自動で湧いてこないんだが。
あと、何か入賞作品だそうなのだが、「新王国時代に王墓としてのピラミッドが作られている」という、あらすじの時点で妙だなと思う穴のある設定が審査員ほか多くの人に受け入れられているあたり、エジプトクラスタとしての周知が足りないなと無力さを感じた。
ていかうか、王家の谷は…? 日本人観光客もいっぱい訪れてるはずなのに。ツタンカーメン王墓が王家の谷で見つかってるのとかも、よく知られている話だと思っていたよ。
同じ密室トリックにしても、王家の谷の地下墳墓でやってる設定ならまだ違和感は軽減されていた。せめてアケトアテンの近くの岸壁に墓を掘るとかするのではダメだったんだろうか。そこがとにかく惜しい。
あんだけ引っ張ったアテン信仰の企みはどうなったんだよ主人公何もしてないじゃん、とか、アテン信者が暴れてるのこれミカ・ワルタリの「エジプト人」と被ってるよね? とか、最後の「愛していた」はあまりにグロテスクな告白だよとか、ヒューマンドラマ部分の不満の部分は差し引いても、ピラミッドの部分が…私にはキツかった…。
即位名と誕生名の区別がつかないとか、騎馬はまだないよとかいうのはちょっとマニア寄りの知識だと思うんだけど、新王国時代の王の墓はピラミッドもう作ってないのはぜひ、一般教養まで広めていきたいところです、はい。
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よし! やっぱり自分で書こう!!!!(おい
→古代エジプトで推理小説ジャンルは追加しておきました。(1/18)
何故かミステリー大賞受賞作になっているが、内容はミステリではない。古代エジプトが舞台の神話風味ファンタジーである。舞台設定などは、エジプト全く知らない状態から学習して書いたのだとすれば頑張っている。頑張ってはいるのだが…。
ファラオの密室 - 白川尚史
※注意※
ここから先はかなりぶっちゃけた感想になります。またネタバレを含むため、新作をフラットに読みたい人はご遠慮ください。
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●ミステリー小説としての評価
この小説はミステリー小説として読んだ場合はかなりトリックが物足りなく、正直に言うとミステリ好きにはオススメできない。というか、「それ実際にやろうとしたら、無理じゃね?」という感じ。ピラミッドの空気穴は頭蓋骨は通りませんよね。とか。
ミステリ要素である犯人探しの部分も拍子抜けするほどどうでもいい結末になるし殺人事件とかより治安悪化のほうがヤバいし、途中で殺された主人公の友人のアシェリ君はどうなったんだよ… とか、主人公が二十歳越えてるなら性別詐称は流石にみんな気づくだろ無理だよ… とか、だいぶ前提が厳しいなと思った。
金田一少年の事件簿の初期の頃のトリックが似ている。動機はわりとどうでもよく、舞台設定とケレンみが主題。犯人は「やることが…やることが多い…!」とボヤきながら走り回っていたに違いない。そういえば金田一少年にも、一人で遺体をバラバラにして並べ直すトリックあったな…。
というわけで、ミステリ要素はちょっと、いや、だいぶ物足りない。
●古代エジプト小説としての評価
よく調べているし舞台設定も頑張ったな、という感じはする。
ただ、古代エジプト小説としてやってはいけない要素ベスト3を全コンプしてきている。
この勘違いを出すだけで一期に安っぽくなってしまうので、「ここは違う」というのを、他のエジプト創作する人たちのためにも、おさらいしておきたい。
(1)王墓としてのピラミッドは新王国時代にはもう作られていない
まずひとつ目は、密室ミステリーの肝となっている「ピラミッドの玄室から王のミイラが消えた」の部分が成立しないという問題。
エジプトだからピラミッドあるだろ! と思うかもしれないが、王墓としてのピラミッドが作られていたのは第13王朝までである。
それ以降の時代のピラミッドもこれから見つかる可能性はあるが、そもそもが中王国時代以降はかなり小規模な日干しレンガのピラミッドであり、この小説のように石を使ったピラミッドは第5王朝あたりから作られなくなる。つまり1000年ほど時代がズレている。
なお「最後のピラミッド」とされているものも第18王朝のはじめの頃になる(墓ではない)ので、舞台設定となるアクエンアテンの治世からは数百年前のものになる。
The last pyramid エジプトで最後に作られたピラミッド、第18王朝
ついでに言うと、墓とは基本的に西側に作るものであり、墓としてのピラミッドはナイル西岸に作られるのが一般的。アケトアテンの都は日の出の方角、ナイル東岸なので墓に行くためには川を渡るシーンがなければならない。
さらにアケトアテンは西岸が中洲と広い氾濫原、東岸は街の近くまで迫る切り立った崖なので、近くにピラミッドを建てられる場所はない…。
あと、ピラミッドは「死して魂が天に登る」という星辰信仰・太陽信仰の代物なので、もしこの時代にまだピラミッド建造が続いていたとしても、アテン信仰やってたファラオは作らないんじゃないかな。
(2)即位名ではなく誕生名を王名として扱ってしまっている
次が、これも古代エジプト創作あるあるなのだが、王名ではない有名な名前をファラオの名前にしてしまっている。
ファラオには五つの名前があり、即位後に使われるのは「即位名」、これが王名となる。公文書で使われるのも即位名。
「アクエンアテン」や「ツタンカーメン」は「誕生名」、生まれ名のほうであり、身内しか呼ばない。なので民衆が認識する名前がこちらであってはいけないし、部下の人たちも「アクエンアテン王」とは呼ばない。めっちゃ不敬になるので。
ついでにアクエンアテンの元の生まれ名であるアメンホテプ4世の「4世」部分は、同じ名前の王が4人いるからと現代人がつけた番号であり、古代人は一度も番号はつけて呼んでない。もちろんヒエログリフにもない。
同じ即位名や同じ誕生名の王は何人もいるが、即位名、誕生名、ホルス名の三つくらい見つかれば、組み合わせによって誰の名前なのか見分けがつく。称号について詳しくは以下を参照。
ファラオの称号(五重名)
なお、世の中に通例として出回っているファラオの名前は、実は、この五つの中のどれなのかが人によってバラバラである。
・スコルピオン →名前不明、サインにサソリのマーク使ってるからこれを名前として使っている
・カセケムイ →ホルス名が「カセケムイ」
・クフ →即位名が「クフ」
・ラメセス2世 →誕生名が「ラメセス」
創作物によく使われるのは新王国時代なのだが、この時代の王の名前はたいてい誕生名で出回っているので、即位名を確認しないと、「歴史モノ」としては使えないんである…。
ちなみにアクエンアテンは、誕生名こそアテン信仰に従って「アメンホテプ」から「アクエンアテン」と変更したが、即位名は変更せず ネフェルケペルウラー・ワァセンラー を使っていた。つまり太陽神である「ラー」の名前までは消せなかった。(アテン神自体、もともと太陽神のいち形態とされていたので、両者を同一視することで乗り切ったのだと思う)
ホルス名や二女神名は何種類も持っている人がいるのだが、よっぽどのことがないと即位名だけは変更しないあたり、古代エジプト人の「名前」の重要性に対する概念が伺える。
https://pharaoh.se/pharaoh/Amenhotep-IV
(3)騎馬技術はまだ無い
小説マンガ映画問わず何故か高確率で出てきてしまう「ウマに乗って移動」、これは古代エジプト世界では有り得ない光景になる。
古代エジプトの時代にはウマはチャリオットを引くために使うもので、乗馬という技術は東地中海世界のどこを探してもまだ存在しない。人が乗る鞍や鐙の開発もまだされていないのだ。ごく限られた物好きが乗馬を嗜んだ可能性はなくもないが、一般人が乗れた可能性はとてつもなく低い。
詳細は以下を参照してください…
古代エジプトに騎兵はいないが、「もしも馬に乗れる人がいたら」という仮定で話をする
ここまでが「エジプト創作物でよくある勘違い」Top3である。
しかし他にも、よくある勘違いをなぞっているところは多数ある。
(4)ピラミッドを作るのに奴隷をむち打ち
そもそもこの時代にピラミッドは作られていないのだが、もし作っていたとしても奴隷を多数使うとか、「奴隷をむち打ち」は無い。もう50年くらい昔のイメージかなそれは。というか、この勘違い撲滅のためにひたすら言い続けているザヒ・ハワス博士とかK先生とかが目ェひん剥いて怒りそうwww と思いながらそのシーンを読んでしまった。
・古代エジプトは古代世界の中では人口が多く、奴隷狩りする必要がないくらい働き手はいる
・歴代ピラミッドも専門の職人が主体となって作っている
・というか奴隷は逃げたり反乱を起こしたりするので近隣のに農民を期間工で雇ったほうが効率いい
・新王国時代に外国から連れてこられる奴隷はほぼ戦争奴隷で技術職が多い。ガラス製造技術もそうして持ち込まれたと推測される
他、国民だと税金払えなかった場合の債務奴隷とか。
あと
・石を運ぶ際に水を撒いていたという説はもう古い
・傾斜路の描写がない…石をどうやって上げてたんだ…
・滑車の発明は紀元前1000年頃なのでこれも騎馬同様にオーパーツ
・棺に宝石は貼り付けないですね…
とか、ピラミッド建造シーンを入念に描いているだけに不備が目立つ結果に。
そもそもピラミッドの断面図がクフ王のピラミッドという一点モノの特殊構造を参考にしていて、他のピラミッドと全然違う構造になってしまっているのも難点。というかまさに、その構造が密室トリックの肝になっているのも、ミステリとして読んだ場合にトリックが甘い気がする理由となった。
(5)ナイルの増水は「洪水」ではなく、降水によるものではない
エジプトは砂漠の国なので雨はふらない。それは古代においても同じこと。季節をあらわす「増水季/洪水季」は、ナイル川のはるか上流、アフリカ内陸部に降った雨季の雨が、長い距離をゆっくり流れ落ちてくるものである。エジプトでは天水農業は行われていない。「恵みの雨」という概念は、エジプトではなく隣のレバノン・シリアあたりのもので、要するに小麦栽培の起源地である「肥沃な三日月地帯」なら在り得るだろうというもの。
あと細かい話だが、エジプトの麦は冬に生育する種類で、春に収穫する。石運びなどが可能なのは増水している7月末~9月末くらいの間。ここに農耕の話を出したいなら、灌漑農法なんで畑に水入れる描写にする必要がある。
なお古い本だと「ナイルの増水は雪解け水である」という説も出てくるが、これも現在では否定されている。
ナイルの水源に雪山はあるのか。古代人の考えた「月の山脈」伝説と実態の違い
あと、以下は「あるある」な間違いではないのだが、設定として変だよねと思ったもの。
(6)ヒッタイトの首都は遠すぎるのでは…
ハットゥシャを「トルコ南部」と書いてあるのだが、正確には北部の黒海に近い地方。そこから行商とか、アッシリア人商人でもないと無理かと思う。しかも紀元前1300年だともう帝国期に入っているので首都に住んでる人たちは大都会の民である。外国人を出したかったのは分かるが、手近なところでレバノンあたりにすればよかったのでは。(実際、そのへんなら戦争奴隷は在り得る)
少女マンガの古代エジプトものにヒッタイト人が出てくるので近い気がするかもしれないが、勘違いである。
という感じで、出身の設定に不自然さんが出ちゃってるのが気になった。てかヒッタイト本土だとエジプトと言語違うんで言葉も通じないんですよね…語族から違うんで…。
(7)ミイラを作るのに半年はかけすぎ
ミイラは、シリウス星が地表の下に沈んでいる期間の70日で作るというのがしきたり。つまり2ヶ月ちょっと。半年はさすがにかけすぎだし、半年も暑い国に死体を放置してたら普通に痛む。
最近、紀元前1500年頃のミイラづくりマニュアルの研究結果が発表されているが、70日の半分は死体の脱水処理に使われていたことと、防虫処理などがかなり大変だったことが分かる。
古代エジプトのミイラづくりマニュアルが再構成される。紀元前1500年のミイラづくりに関わる文書の一端が明らかに
ついでにミイラづくりはめちゃくちゃ臭う作業である。くさや製造中のイメージ。
街中にミイラづくり職人の家があることはないし、お風呂や石鹸もない時代なのでミイラづくり職人自体も臭かったはずで、ある種の忌み職のようなものだったと推測される。なので仕事場と街を普通に往復するのはちょっと厳しい。
(8)冥界のシーンがおかしい
ツッコミを入れているとキリがないのでこのへんにするが、そもそもアマルナ時代の宗教観では冥界は存在しない。
死者の書も作られていない。詳細はこちらを参照。
アテン信仰の世界なので他の神はいません、という状態であれば、そもそもオシリス神に属する死者の裁判自体が存在しない。なぜなら死者が生前に罪を犯していないことを告白する、42の「否定告白」は、そのまま、それぞれの罪を担当する42柱の神々に対しての告白となるからだ。
そもそも死者の書とは、冥界の入り口から入り、最後に太陽とともに地上に「再び権限する」=魂が生き返る、という一連の内容をしたためたものである。入り口は西の地平線、死者の法廷は真ん中より後ろあたり、東の地平線が出口。(日の出)
主人公が生き返るのは裁判所をパスしたあと、永遠の園を通り抜けてからのはずなのに何で途中で逆流しているのかも分からんし、否定告白が存在するのにオシリスやトト、アヌビスなど主要な神々が法廷に居ないのも違和感しかない。
そもそもを言えば、「否定告白」の1つめの告白が「虚偽をしたことがない」なので、身分名前性別等を偽って生きていた主人公は一発アウトである。
死者の書に書かれた内容を特に理解せず、挿絵も見ずに、「かっこいい呪文があるな~」くらいの気持ちで適当に切り取って使ったくらいじゃないと、この描写にはならない気がする…。
要するに、基本資料をほとんど理解出来ていないという悲しい結論になる。
おそらく、「古代エジプトといえば死者の書だな!」→死者の書の呪文についてだけしらべる→呪文を作品に入れる
というような切り貼りの作り方をしているので、全体を見た場合に「なんでこの時代にピラミッドがあんの?」「なんでアテン神一神教やってる世界観なのにセム神官がいんの?」「ピラミッドは複合施設なのに葬祭殿も神殿もついてない?? 墓参りどうするん?」「ツタンカーメンちょろっとだけ出てきたけど即位式いつやったんだこれ?」とか、不自然な部分が山積みになっているのだと思う。
設定厨になれとは言わないが、見えている世界観の底の薄さはそのままストーリーに対する魅力の低減になりうる。
厳密な歴史モノではなく、古代エジプト・ファンタジーとして書いたのだから、という言い訳をするかもしれないが、ファンタジーとは、自分の知らない部分を適当に誤魔化すための免罪符ではない。
ストーリーの必要性があって現実縛りを無くしたい場合にファンタジーを入れるなら分かるのだが。
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色々とダメ出しをしてしまったが、一回さらっと読むぶんならなんとか古代エジプトっぽい雰囲気は味わえる。二回目以降の読み直しはお勧めしない。プロットの穴が見つかりすぎる。
奴隷少女、そもそも少女なのになんで石材運びなんてさせられてるんだ…? ピラミッド建築現場で女性がやる仕事って、労働者向けのメシ炊き(パン焼き)とかだぞ。この世界、ピラミッド労働者のメシは誰がどうやって作ってるんだ。パンは自動で湧いてこないんだが。
あと、何か入賞作品だそうなのだが、「新王国時代に王墓としてのピラミッドが作られている」という、あらすじの時点で妙だなと思う穴のある設定が審査員ほか多くの人に受け入れられているあたり、エジプトクラスタとしての周知が足りないなと無力さを感じた。
ていかうか、王家の谷は…? 日本人観光客もいっぱい訪れてるはずなのに。ツタンカーメン王墓が王家の谷で見つかってるのとかも、よく知られている話だと思っていたよ。
同じ密室トリックにしても、王家の谷の地下墳墓でやってる設定ならまだ違和感は軽減されていた。せめてアケトアテンの近くの岸壁に墓を掘るとかするのではダメだったんだろうか。そこがとにかく惜しい。
あんだけ引っ張ったアテン信仰の企みはどうなったんだよ主人公何もしてないじゃん、とか、アテン信者が暴れてるのこれミカ・ワルタリの「エジプト人」と被ってるよね? とか、最後の「愛していた」はあまりにグロテスクな告白だよとか、ヒューマンドラマ部分の不満の部分は差し引いても、ピラミッドの部分が…私にはキツかった…。
即位名と誕生名の区別がつかないとか、騎馬はまだないよとかいうのはちょっとマニア寄りの知識だと思うんだけど、新王国時代の王の墓はピラミッドもう作ってないのはぜひ、一般教養まで広めていきたいところです、はい。
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よし! やっぱり自分で書こう!!!!(おい
→古代エジプトで推理小説ジャンルは追加しておきました。(1/18)