ハトシェプストが「男装」した理由と、古代エジプト人の概念「マアト」

ハトシェプスト女王は、古代エジプトの複数いる女王の中でも何故か妙にフェミニズムとか性同一性の話だとかに「利用」されやすい存在となっている。だが、そもそも彼女は男性になりたかったのだろうか。
私はそうではないと考えている。理由は簡単で、彼女は結婚して子供もいるし、男性の格好をして壁画に登場しているものが一部あるだけで、それ以外は女性の姿で表現されているからである。

彼女がなりたかった/人に認めさせたかった姿は、最高権力者である「王」なのだ。
そして古代エジプト世界では、王は男性でなければならない理由があった。


エジプト神話の世界では、王となるのは有名な神々である。王名表は神々の世界統治の時代から始まる。オシリス→セト→ホルスという王位継承の神話はよく知られているものだと思うが、全て男神である。イシス女神は息子を即位させるために七面六臂の活躍をするだけで、自らは即位しない。
神話と実際の世界は異なると思われるかもしれないが、神話世界に起きることは、現実世界で「あるべきこと」とされていることと重なっている。言い換えると、神話の世界では望ましい展開だけが許容されている。
王は常に男性として想定されており、「皇太子」に該当する、王位継承者を意味する肩書を持つのも王子たちだった。これは、古代エジプト世界において女性の権利が他の古代世界より広く認められていることや、女性が権力を持つことと矛盾しない。権力は持ってもいいが、「王」という位は、装備品、美術様式、肩書など含め、基本的に男性しか想定されていないのだ。

たとえば王の役割として、「外敵を打ち倒す」というものがある。壁画でメイスを握って敵を打ち倒す姿で描かれているものは各時代の王たちに定番のポーズであり、実際に儀式としても行っていた可能性があるが、それを女性がやったらどうなるだろう。真似事は出来るかもしれなないが、力強さのアピールとしては男性より弱く、呪術的な意味合いも薄れてしまうのではないだろうか。

古代エジプトの「王」は、神職でもある。男性でなければ出来ない/不十分になってしまう、という儀式もある。そもそも王の称号にある「ラーの息子」が使えなくなり、太陽神の「息子」ではなくなってしまうし、王がアメン神(男性神)やオシリス神(男性神)と合一することも出来なくなる。
なので、もし女性が「王」になる場合には、もうひとり男性の王を立てて必要な儀式をそちらにやってもらい形式的な「王」を名乗るか、そうでなければ、壁画の上だけでも男になる必要があった。

古代エジプト人の大事にした世界観、秩序だった世の中のあり方は「マアト」という一言で表現される。
真実、真理、秩序、正義といった概念をひっくるめた言葉である。ハトシェプストは、太陽神の息子である男性の王が国を守護する、という「マアト」に従うためには、建前上は男性のフリをする必要があったのだと思われる。

というわけで、繰り返しとなるが、彼女がなりたかったのは「男」ではなく「王」だった。
別にトランス的なアレだったわけではないと思う。もしそうなら全部の壁画は男性になっていただろうし、女性の愛人や后くらいいてもよかった。そうではなく、建築家センエンムトとの不倫の噂を流されるくらいだったのだから、性自認は普通に女性だろう。

なんか色々と変な思想に巻き込まれがちな彼女だが、創作物はともかく、せめて歴史上の人物としては時代背景に即した解釈をしてあげないと失礼じゃない? と思う次第である。