古代エジプト人と黒曜石の利用;輸入ルートの実態など
前提として、「エジプトでは黒曜石はとれない」。
古代エジプト人は、一部、黒曜石も利用していたが、それらはすべて輸入品である。
黒曜石はある種の火山の活動によって作られるものなので、火山のある場所でしか見つけることが出来ないのだ。日本でも、火山のない四国では黒曜石の拾える場所はないのである。エジプトも火山がないので状況は同じ。
では、近場でアクセス出来る場所はどこなのか、というと、最寄りはエリトリア、アチオピア、イエメン付近と中央アナトリアになる。
これは日本語Wikipediaの黒曜石の項の中程にちょうどいい図があるので見てほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3
このうち、古代エジプトが古くから利用していたことが分かっているのは、図の中の紅海出口付近。「アフリカのつの」と呼ばれているあたりで、赤丸をつけたところ。
つまり、紅海沿岸のエリトリア&イエメンである。
以下、メルサ・ガワシスで出土している黒曜石の成分分析に関わる論文。
The provenance of obsidian artefacts from the Middle Kingdom harbour of Mersa/Wadi Gawasis, Egypt, and its implications for Red Sea trade routes in the 2nd millennium BC
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1040618220301002
エリトリアのクスラレ(Kusrale)、およびイエメンのダマール・レダ(Dhamar Reda)が産地だと特定されている。
アナトリアは陸路が長いため実際の距離よりハードルが高かったのと、途中に小国家がいくつも挟まっていて通貨が大変だったのあまりアクセスされなかったのだと思われる。
その点、海は楽である。途中に邪魔してくる盗賊はおらず、関税の支払いが必要な国境もなく、エジプトの紅海沿いの港からチョクで産地付近までアクセスできる。
そうして持ち帰られた黒曜石を何に使ったかというと、主に護符や装飾品だったらしい。
こちらはプトレマイオス朝時代の護符
https://www.brooklynmuseum.org/opencollection/objects/100852
こちらは新王国時代のもので、ミイラの目の部分にはめ込まれた石
https://www.brooklynmuseum.org/opencollection/objects/118455
貴重な輸入品だったので、やはり貴石としての扱いになるようだ。儀礼用のナイフくらいなら使ったかもしれないが、槍先などの消耗品には使えない。
似たような材質で同じように貴石の扱いを受けていたものにリビアン・グラスがある。産地付近の住人は消耗品に使い、産地が遠かったエジプトでは貴重品扱いだった、ということなのかもしれない。
[>以前調べた時の記事
リビアン・グラスの使い方/ツタンカーメンの胸飾りにあるあの黄色い石は…
https://55096962.seesaa.net/article/201909article_24.html
古代エジプト人は、一部、黒曜石も利用していたが、それらはすべて輸入品である。
黒曜石はある種の火山の活動によって作られるものなので、火山のある場所でしか見つけることが出来ないのだ。日本でも、火山のない四国では黒曜石の拾える場所はないのである。エジプトも火山がないので状況は同じ。
では、近場でアクセス出来る場所はどこなのか、というと、最寄りはエリトリア、アチオピア、イエメン付近と中央アナトリアになる。
これは日本語Wikipediaの黒曜石の項の中程にちょうどいい図があるので見てほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3
このうち、古代エジプトが古くから利用していたことが分かっているのは、図の中の紅海出口付近。「アフリカのつの」と呼ばれているあたりで、赤丸をつけたところ。
つまり、紅海沿岸のエリトリア&イエメンである。
以下、メルサ・ガワシスで出土している黒曜石の成分分析に関わる論文。
The provenance of obsidian artefacts from the Middle Kingdom harbour of Mersa/Wadi Gawasis, Egypt, and its implications for Red Sea trade routes in the 2nd millennium BC
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1040618220301002
エリトリアのクスラレ(Kusrale)、およびイエメンのダマール・レダ(Dhamar Reda)が産地だと特定されている。
アナトリアは陸路が長いため実際の距離よりハードルが高かったのと、途中に小国家がいくつも挟まっていて通貨が大変だったのあまりアクセスされなかったのだと思われる。
その点、海は楽である。途中に邪魔してくる盗賊はおらず、関税の支払いが必要な国境もなく、エジプトの紅海沿いの港からチョクで産地付近までアクセスできる。
そうして持ち帰られた黒曜石を何に使ったかというと、主に護符や装飾品だったらしい。
こちらはプトレマイオス朝時代の護符
https://www.brooklynmuseum.org/opencollection/objects/100852
こちらは新王国時代のもので、ミイラの目の部分にはめ込まれた石
https://www.brooklynmuseum.org/opencollection/objects/118455
貴重な輸入品だったので、やはり貴石としての扱いになるようだ。儀礼用のナイフくらいなら使ったかもしれないが、槍先などの消耗品には使えない。
似たような材質で同じように貴石の扱いを受けていたものにリビアン・グラスがある。産地付近の住人は消耗品に使い、産地が遠かったエジプトでは貴重品扱いだった、ということなのかもしれない。
[>以前調べた時の記事
リビアン・グラスの使い方/ツタンカーメンの胸飾りにあるあの黄色い石は…
https://55096962.seesaa.net/article/201909article_24.html