今夜あなたと呪詛したい。キリスト教時代の「古代エジプト神の出てくる呪詛」についての覚書き

古代エジプトの神々は、黒魔術では人気の題材だった。だが、中世末期にいきなり人気になった、とかではなく、その前段がある。
前段となるのが、ローマ支配以降、キリスト教がまだ国教となる以前。1世紀~5世紀くらいの事例が多く、8世紀半ばには禁止によって消滅する。そのあたりの資料が、こちらの本である。

古代世界の呪詛板と呪縛呪文 - ゲイジャー,ジョン・G., Gager,John G., 一興, 志内
古代世界の呪詛板と呪縛呪文 - ゲイジャー,ジョン・G., Gager,John G., 一興, 志内

最も古い事例だと、古代エジプトのフォラオが敵対部族をサンダルに描いて日々踏みつけにしていたこととか、国境付近に征服したい民族の名前と力を奪う呪文を書いて埋めるとかになが、それは民間敵な「呪詛」というより「神事」と言うべきものだ。

そうではなく、民衆が、たとえば「あの子を振り向かせたい」「やつから妻を奪いたい」「殴られてムカつくから罰を与えてほしい」「競馬で贔屓のチームを勝たせるために敵対チームの騎手に腹痛を起こさせたい」みたいな、ある意味ショボい、個人的なお願いごとを神々に行うのが、この本に出てくる呪詛。
いやほんと、じつにショボいのである。
小学生女子向けの「好きな男子を振り向かせるための おまじない★」と本質的には同じかもしれない。
それを敢えて神に祈る。

…聞くほうの神も大変だぞこれ(笑)

出てくる神様はイシス、オシリス、トト、セトが多い。セトはテュポン、トトはヘルメスと同義の神とされていて、イシス・オシリスはそのまま出てくる。あとアヌビス。
どうも冥界に関わる神々が多く採用されているようで、オシリスは冥界の王のポジ、セトも冥界神にされ、トトはヘルメス同様に冥界を出入りできる役割にされている。
またクヌム神とホルス神を合体させたと思われるクムオールなる謎の神が作られているなど、名前が改変されている神々もいる。

オシリス神はオシリス・ウン・ネフェル(顔美しきもの、オシリス)という別名があるが、これがウンネフェル→ノフリスとギリシャ語なまりになって、オソロン・ノフリスと書かれている。わりと真面目に、音だけ見ると元のエジプト語が何だったのかが分からなくて悩む。

たとえるなら、長崎の隠れキリシタンの間で、オラシリオが「オラショ」へと変化していく過程を見ている感じである。
ローマ属州後は、ネイティブで古代エジプト語を話せる人が急速に減っていき、古代エジプト語自体もギリシャ語の単語を取り込んでギリシャ化したコプト語へと変化してしまうので理由は分かるのだが、ほんの数世紀でこうなっちゃうのか~という感じ。

この時代の変化に乗り切れなかった神々は、みんな消えていってしまったのである。
人に求められる役割を果たせなかった神々は忘れ去られて、黒魔術の中にすら痕跡を残さなかったのだから。



なお、ちょっと古い記事だが、むかしオカルト・神秘主義にまつわるエジプトネタを集めていたときに書いたものがこれ。

バルトルシャイティス「イシス探求」
https://55096962.seesaa.net/article/200808article_5.html

タロットとエジプトとクール・ド・ジェブラン 「パリの街は実はイシスの町だったのだよ!」
https://55096962.seesaa.net/article/200905article_27.html

当時はまだオカルトの知識があまりなくて、「なんだこれww」だったのだが、その後、ヒエログリフの知識が失われたあと古代エジプトの伝統は急速にオカルト化していったと分かって、なんとも言えないモニョり顔になってしまった。

ヒエログリフ解読の罠と神秘主義の記憶、「ヒエログリフィカ」を読んでみた
https://55096962.seesaa.net/article/498970020.html

5世紀から、ヒエログリフが再度「読める文字」になる19世紀までは、古代エジプトの知識は神秘に彩られていた。
これもまた、姿を変えたエジプト神話の長い歴史の一部といえるだろう。