古代エジプト社会には「奴隷」がほとんど居ない、必要とされる場面が少ない。という話
ピラミッドを奴隷に作らせていた、という勘違いは、既に否定されて久しいし、ここ三十年くらいずっと「昔の説は違うんやで」と宣伝されているのにも関わらず、相変わらず創作物や言説で見かけてしまうものである。最初に覚えた知識からアップデートできない人は一定数いるので仕方ないが、再生産された勘違いが延々続くのも癪なので、少し情報をまとめておきたい。
まず前提として、以下を念頭に置いて欲しい。
①古代エジプト人のほとんどは土地に縛られた農民
②古代エジプトでは奴隷があまり使われていなかったので資料が少ない
③奴隷は基本的に戦争捕虜として他国から連れてこられる人々
①についてだが、日本における農民に近い概念かもしれない。耕作して、収穫の一部を税金として指し出す生活スタイル。
(かつては「農奴」という表現もされていたが、これはヨーロッパの封建制度を念頭に置いた言葉なのであまり正しくない)
奴隷として農民を土地から引きはがすと、そのぶん税収が落ちてしまうので非効率なのである。なんでわざわざ、そんなことしなきゃならんのだという話である。
しかも奴隷として扱えば逃亡や反乱の危険性も出る。人間は貴重な労働力なので、使い潰したり他国に逃亡されたりしては、そのぶん国力が減っていく。
それよりは、農民の賦役の一部を「畑で取れる作物」から「労働力」へと変更し、「税金は麦で収める代わりに石運びすればいいよ」とすればスムーズな国家運営が出来る。これなら作業後も、役割の終わった農民を元の土地に戻せばいいだけなので後始末も楽。
これが古代エジプトスタイルであり、ピラミッドなどの大規模建築に必要な労働力の捻出の仕方になる。
ただし、本人に拒否権がない強制労働の側面は否めないため、その部分にフォーカスして「奴隷労働だ」と論じる人も居る。
その場合でも、一般の農民より権利が劣るとかではなく、現代人がイメージする「奴隷」とは境遇がかなり違うため、奴隷の用語を使う場合は注意が必要である。
②についてだが、いわゆる奴隷が一般的になるのはギリシャ系の王が立つプトレマイオス朝以降。これはギリシャ文化が入ってきている時期なので、当然といえば当然である。
ただし、この時代の奴隷でもエジプト特有のやり方があり、面白いものではわざと神殿の奴隷扱いされることで納税義務を逃れるというやり方が知られている。節税(税金が労働力なので「働きたくない」w)のために法の穴を突くえげつなさは、いつの時代も人の性か。
それ以前の奴隷は戦争捕虜や、税金を滞納して自らを身売りせざるを得なくなった債務奴隷が一般的。
つまり、ほとんど奴隷と呼べる実態が無いため、資料に出てこないのである。
大昔に書いた資料だが、新王国時代の奴隷の例として有名なものをこちらに置いておく。
外国から連れてこられた奴隷たちの大半は、エジプトにはない特殊技能を持つ人々で、いわば技術を人ごと輸入した形になっている。
③についてだが、基本的に奴隷は軍事遠征によって獲得される戦争捕虜を指す。
①と絡む話だが、自国民は大半が農民で土地と紐付けられているため、それ以外のフリーな人間を捕まえてこようとすると外国人にならざるを得ないのである。
連れてこられる元は、東に接しているシリア・パレスティナ地域か南部のヌビア地方が多い。メソポタミアやアナトリア(ヒッタイト)方面は無い。
なぜ無いと言い切れるかというと、その地域にはエジプトに匹敵する大国/勢力がいるので、エジプトが人を奪いに行く前にそれらが自分たちの奴隷として囲い込むからである。エジプトの強い勢力圏にある地域でしか人狩りはできない。あと言語圏が違い、言葉が通じないので、奴隷として使えないと思う。通訳必須の奴隷はちょっとね…。
土着エジプト人の奴隷がいなかったわけではないが、その人数は限られていたと思われる。そして、債務奴隷は借金を返し終われば解放されたし、結婚したり遺産相続をしたりすれば奴隷身分では無くなったため、代々奴隷のままの身分というのは考えにくい。一生奴隷のままという人も少なかったのではないかと思う。
また補足をしておくならば、日本の丁稚奉公に近い感じの奴隷制度というのもあったようだ。
丁稚と違い年少者に限らないようだが、どこかの家に奉公に出るというシステムで、これを奴隷と呼ぶかどうかは微妙なところ。一般人が奴隷を持っていた、という記述に出てくる奴隷は、このパターンであることが多い。
ただ、この奴隷も奴隷身分からの解放は難しくなかったようなので、奴隷身分の固定化というものではない。
ちょっと古いが、有名なドラマ「おしん」のような感じで、子供を裕福な家に働きに出すこともあったようで、これが「中産階級でも奴隷を持っていた」とされる事例になっているが、奴隷と呼ぶべきなのか、奉公人と呼ぶべきなのかは微妙なところ。少なくとも、人権が無いとかいうレベルの奴隷では無かったようだ。
以上。
まともなエジプト資料なら普通に載っている話なので、自分で裏を取りたい人は適当なエジプト辞典とかオリエント辞書とかで調べてみてほしい。古代エジプトに奴隷は一般的ではない。ただし、国家による強制労働を「奴隷」と表現したり、丁稚奉公に近いシステムが奴隷制度とされることはある。
少なくとも、ムチで打って虐げられる系の奴隷制度は一般的ではないのだ。そして古代エジプトにおいては、大規模な奴隷狩りなどは完全なファンタジーの産物であり、そんな事実はない。
それぞれの文明、それぞれの社会ごとの事情や最適解がある。
それを理解しようとつとめることが、異文化への敬意というものかと思っている。
まず前提として、以下を念頭に置いて欲しい。
①古代エジプト人のほとんどは土地に縛られた農民
②古代エジプトでは奴隷があまり使われていなかったので資料が少ない
③奴隷は基本的に戦争捕虜として他国から連れてこられる人々
①についてだが、日本における農民に近い概念かもしれない。耕作して、収穫の一部を税金として指し出す生活スタイル。
(かつては「農奴」という表現もされていたが、これはヨーロッパの封建制度を念頭に置いた言葉なのであまり正しくない)
奴隷として農民を土地から引きはがすと、そのぶん税収が落ちてしまうので非効率なのである。なんでわざわざ、そんなことしなきゃならんのだという話である。
しかも奴隷として扱えば逃亡や反乱の危険性も出る。人間は貴重な労働力なので、使い潰したり他国に逃亡されたりしては、そのぶん国力が減っていく。
それよりは、農民の賦役の一部を「畑で取れる作物」から「労働力」へと変更し、「税金は麦で収める代わりに石運びすればいいよ」とすればスムーズな国家運営が出来る。これなら作業後も、役割の終わった農民を元の土地に戻せばいいだけなので後始末も楽。
これが古代エジプトスタイルであり、ピラミッドなどの大規模建築に必要な労働力の捻出の仕方になる。
ただし、本人に拒否権がない強制労働の側面は否めないため、その部分にフォーカスして「奴隷労働だ」と論じる人も居る。
その場合でも、一般の農民より権利が劣るとかではなく、現代人がイメージする「奴隷」とは境遇がかなり違うため、奴隷の用語を使う場合は注意が必要である。
②についてだが、いわゆる奴隷が一般的になるのはギリシャ系の王が立つプトレマイオス朝以降。これはギリシャ文化が入ってきている時期なので、当然といえば当然である。
ただし、この時代の奴隷でもエジプト特有のやり方があり、面白いものではわざと神殿の奴隷扱いされることで納税義務を逃れるというやり方が知られている。節税(税金が労働力なので「働きたくない」w)のために法の穴を突くえげつなさは、いつの時代も人の性か。
それ以前の奴隷は戦争捕虜や、税金を滞納して自らを身売りせざるを得なくなった債務奴隷が一般的。
つまり、ほとんど奴隷と呼べる実態が無いため、資料に出てこないのである。
大昔に書いた資料だが、新王国時代の奴隷の例として有名なものをこちらに置いておく。
外国から連れてこられた奴隷たちの大半は、エジプトにはない特殊技能を持つ人々で、いわば技術を人ごと輸入した形になっている。
③についてだが、基本的に奴隷は軍事遠征によって獲得される戦争捕虜を指す。
①と絡む話だが、自国民は大半が農民で土地と紐付けられているため、それ以外のフリーな人間を捕まえてこようとすると外国人にならざるを得ないのである。
連れてこられる元は、東に接しているシリア・パレスティナ地域か南部のヌビア地方が多い。メソポタミアやアナトリア(ヒッタイト)方面は無い。
なぜ無いと言い切れるかというと、その地域にはエジプトに匹敵する大国/勢力がいるので、エジプトが人を奪いに行く前にそれらが自分たちの奴隷として囲い込むからである。エジプトの強い勢力圏にある地域でしか人狩りはできない。あと言語圏が違い、言葉が通じないので、奴隷として使えないと思う。通訳必須の奴隷はちょっとね…。
土着エジプト人の奴隷がいなかったわけではないが、その人数は限られていたと思われる。そして、債務奴隷は借金を返し終われば解放されたし、結婚したり遺産相続をしたりすれば奴隷身分では無くなったため、代々奴隷のままの身分というのは考えにくい。一生奴隷のままという人も少なかったのではないかと思う。
また補足をしておくならば、日本の丁稚奉公に近い感じの奴隷制度というのもあったようだ。
丁稚と違い年少者に限らないようだが、どこかの家に奉公に出るというシステムで、これを奴隷と呼ぶかどうかは微妙なところ。一般人が奴隷を持っていた、という記述に出てくる奴隷は、このパターンであることが多い。
ただ、この奴隷も奴隷身分からの解放は難しくなかったようなので、奴隷身分の固定化というものではない。
ちょっと古いが、有名なドラマ「おしん」のような感じで、子供を裕福な家に働きに出すこともあったようで、これが「中産階級でも奴隷を持っていた」とされる事例になっているが、奴隷と呼ぶべきなのか、奉公人と呼ぶべきなのかは微妙なところ。少なくとも、人権が無いとかいうレベルの奴隷では無かったようだ。
以上。
まともなエジプト資料なら普通に載っている話なので、自分で裏を取りたい人は適当なエジプト辞典とかオリエント辞書とかで調べてみてほしい。古代エジプトに奴隷は一般的ではない。ただし、国家による強制労働を「奴隷」と表現したり、丁稚奉公に近いシステムが奴隷制度とされることはある。
少なくとも、ムチで打って虐げられる系の奴隷制度は一般的ではないのだ。そして古代エジプトにおいては、大規模な奴隷狩りなどは完全なファンタジーの産物であり、そんな事実はない。
それぞれの文明、それぞれの社会ごとの事情や最適解がある。
それを理解しようとつとめることが、異文化への敬意というものかと思っている。