古代エジプトの西の国境はどこにある? 現代に比べてだいぶ東のほうにあった

少し前に、東の国境である「シレの砦」を探したが、今回は西の国境の砦についてである。

ホルスの道の出発点を探して。~「シレの砦」はどこにある?
https://55096962.seesaa.net/article/502046471.html

エジプトの西の国境線はほとんど沙漠で、かなり曖昧になっている。しかし資料はある。
現代のアレキサンドリアから西へ300キロほど行ったところにある、ザウィエト・ウンム・エル=ラカム(Zawyet Umm El Rakham)とという遺跡が西の国境の砦でリビアの侵入を防ぐためにラメセス2世の時代に築かれた。

この場所を探してみると、ここである。

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目の前は海。
ここはクレタ島からの銅の輸入の際の中継点で、舟が到着する港でもあったという。

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現代の国境線よりも、ずいぶん東なんだなぁと分かると思う。
そして、現代ではここから内陸のシーワ・オアシスまで高速道路が通じいるのだが、実は砦が築かれた時代、シーワはまだエジプトの国土と見なされていない。

古代と現代、エジプトの国土の形~エジプトっていつからその形?
https://55096962.seesaa.net/article/202008article_22.html

砦の築かれた時代には、まだリビア人の領域なんである。
現代エジプトの西側国境ラインは比較的あたらしいという話は以前にも書いたが、新王国時代で砦がこの位置ってことは、海沿いだけは西の方まで認識してたけど、沙漠部分はやっぱ支配出来てなかったんだろうなあ、という気がする。

西の国境の向こうは、地図で見ても何もなくて沙漠だけ…。
東の国境ほどではないにしろ、ここに駐屯していた人たちもキツかっただろうなあ。