メソポタミアの黒曜石はエジプトで使われたものと産地が違う:その理由は「川の繋がり方」

少し前に、「エジプトでは黒曜石が取れないので全て輸入品」という記事を書いた。

古代エジプト人と黒曜石の利用;輸入ルートの実態など
https://55096962.seesaa.net/article/502192420.html

事情はメソポタミアでも同じ。だが、メソポタミアの黒曜石は産地の多くがアナトリアになっていた。

Obsidian and Empire
https://www.archaeology.org/issues/60-1301/trenches/319-urkesh-syria-akkadian-empire-trading

obsidian-urkesh2.jpg

イラン高原でも取れるのになんでそっちにいったんだろう?? と思って調べていたら、メソポタミアの交易路に行き着いた。
そう、エジプトと同じく「川がハイウェイ」な文化なんだけど、その川の水源がトルコにあるんですよね。トルコ中部の火山までチョクで行ける。勢力圏が安定していた時代には、このルートを使って黒曜石を輸入出来たわけだ。

Tigr-euph.png

ただし、これも遠来の貴重品だ。発見場所が宮殿の跡地なので、庶民の使い捨て道具ではないだろう。
アナトリアまで行けない時代にはイラン産も使っていたらしいという情報までは見つかった。メソポタミアとエジプトは資源確保の意味ではエリアがほとんどかぶらない。かぶっているのは木材の調達部分で、レバノン杉を確保する時だけは同じ場所に出かけざるを得なかった。

エジプトとメソポタミアは、ほぼ同時期に独自の文字を考案し、連動するように文明の基盤を作っていった。両者が出会うとすれば中間のシリア・パレスティナ近辺になるわけだが、出会った切っ掛けは、案外、「木材調達で被った」あたりなのかもしれない。