イスラームの到来なくしてサハラ交易は成立しなかった「黒アフリカ・イスラーム文明論」
「黒アフリカ」とは、サハラ以南のアフリカ世界になる。実際肌が黒く濃い人も多いのだが、サハラ以北と顔つきが全然違うとかそういうわけでもない。いきなりざっくり民族が別れるとかではなくて、南下していくにつれてだんだん色が濃くなっていくイメージだ。サハラ以北は地中海に近いので、地中海人種の顔をしており、エジプトやチュニジアのように過去に大量の移民が入り込んだことが歴史的に知られている地域もある。ただ、この白アフリカ、黒アフリカという言い方は、昨今のポリコレとかレイシズムへの拒否感から、あまり使われなくなってきている単語では在る。
黒アフリカ・イスラーム文明論 - 嶋田 義仁
アフリカは実はイスラームが布教されている国がとても多い。呪術などの自然宗教とイスラームの分布が混じり合っている世界。
ただ、この本の図はめちゃ分かりづらい。とりあえず東から入ってきて、サハラ沙漠のあたりを西へ横断していったんだと分かればいいかと思う。ヨーロッパ史に詳しい人なら、レコンキスタ前の地図を思い浮かべると分かりやすい。アフリカを西の端までいったあと、イベリア半島に渡って北上した。
この移動にはラクダが使われている。アフリカへのラクダの導入は、エジプトだとペルシア支配の時代が最初で、紀元前500年くらい。(ただし定着したかどうかは微妙なところ)
イスラームが勃興するのはご存知6世紀だから、それ以降、アフリカには大量のラクダが入り込み、サハラを横断していった。
イスラームはアジアにも不興されているにも関わらず、沙漠の宗教だと誤って考えられることがあるが、アフリカでは基本的に「沙漠の宗教」で、合っている。ラクダの使えない樹林帯の地域にはあまり広まらなかったからだ。そしてこれは、ひとえに「ラクダで移動していってたから」という交通手段の問題になる。
そして、「ラクダがなければ大規模なサハラ交易は成立しなかった」=「アフリカにイスラームが入らなければサハラ交易の状況は知られているものとは大きく違っていた可能性がある」というのが、今回の気づきである。
ラクダ以前には、沙漠ではロバが使われていた。古代エジプトの、沙漠地帯での活動も全てロバが担っていた。しかし、彼らはラクダほどタフではなく、運べる荷物の両音も少ない。崖の小道を登るなどの小回りは効くのだが、広々とした荒野を横断していくのは、らくだのほうに分があった。
イスラームの布教と連動してラクダが入り込まなかったら、サハラ交易はどうなっていたのだろう、という想像は、確かに面白い。
それと、イスラームはコーランを読まねばならないから、コーランとともに「本を読む」という習慣や文字、コーランを学ぶための学校などの文化が入っていった、というのも、なかなか面白い指摘だなと思った。ヨーロッパ北部やブリテン島などの辺境に対する、キリスト教の布教が生み出した効果と似ている。ただ、アフリカのイスラームはヨーロッパのキリスト教ほど異端者狩りをしていないので、アフリカでは土着の精霊信仰もそれなりに残っている。この違いも面白い。
この本はイスラームを一つの文明として扱おうとしていて、それ自体は現在では珍しいことではない。たとえば「生まれくる文明と対峙すること」という本では、イスラームはビザンツ文明と対峙するローマの後継文明の一つとして扱われていた。
ただ、自分としては、イスラームを文明としてしまうと、キリスト教やゾロアスター教などの文明として扱わなければならない気がして、ちょっと微妙だ。文明というより文化テンプレの一つ、と考えたほうがいい。
イスラームを文明として扱うなら、アラビア半島を中心としたイスラーム帝国が本体で、アフリカは、そこから輸出された文化を享受した周辺地域になるのではないか。たとえば中華文明の文化を一部需要した日本みたいなポジション。文化圏の設定は定義が人によって違うので面倒くさい話だが、なんとなくそう思う。
黒アフリカ・イスラーム文明論 - 嶋田 義仁
アフリカは実はイスラームが布教されている国がとても多い。呪術などの自然宗教とイスラームの分布が混じり合っている世界。
ただ、この本の図はめちゃ分かりづらい。とりあえず東から入ってきて、サハラ沙漠のあたりを西へ横断していったんだと分かればいいかと思う。ヨーロッパ史に詳しい人なら、レコンキスタ前の地図を思い浮かべると分かりやすい。アフリカを西の端までいったあと、イベリア半島に渡って北上した。
この移動にはラクダが使われている。アフリカへのラクダの導入は、エジプトだとペルシア支配の時代が最初で、紀元前500年くらい。(ただし定着したかどうかは微妙なところ)
イスラームが勃興するのはご存知6世紀だから、それ以降、アフリカには大量のラクダが入り込み、サハラを横断していった。
イスラームはアジアにも不興されているにも関わらず、沙漠の宗教だと誤って考えられることがあるが、アフリカでは基本的に「沙漠の宗教」で、合っている。ラクダの使えない樹林帯の地域にはあまり広まらなかったからだ。そしてこれは、ひとえに「ラクダで移動していってたから」という交通手段の問題になる。
そして、「ラクダがなければ大規模なサハラ交易は成立しなかった」=「アフリカにイスラームが入らなければサハラ交易の状況は知られているものとは大きく違っていた可能性がある」というのが、今回の気づきである。
ラクダ以前には、沙漠ではロバが使われていた。古代エジプトの、沙漠地帯での活動も全てロバが担っていた。しかし、彼らはラクダほどタフではなく、運べる荷物の両音も少ない。崖の小道を登るなどの小回りは効くのだが、広々とした荒野を横断していくのは、らくだのほうに分があった。
イスラームの布教と連動してラクダが入り込まなかったら、サハラ交易はどうなっていたのだろう、という想像は、確かに面白い。
それと、イスラームはコーランを読まねばならないから、コーランとともに「本を読む」という習慣や文字、コーランを学ぶための学校などの文化が入っていった、というのも、なかなか面白い指摘だなと思った。ヨーロッパ北部やブリテン島などの辺境に対する、キリスト教の布教が生み出した効果と似ている。ただ、アフリカのイスラームはヨーロッパのキリスト教ほど異端者狩りをしていないので、アフリカでは土着の精霊信仰もそれなりに残っている。この違いも面白い。
この本はイスラームを一つの文明として扱おうとしていて、それ自体は現在では珍しいことではない。たとえば「生まれくる文明と対峙すること」という本では、イスラームはビザンツ文明と対峙するローマの後継文明の一つとして扱われていた。
ただ、自分としては、イスラームを文明としてしまうと、キリスト教やゾロアスター教などの文明として扱わなければならない気がして、ちょっと微妙だ。文明というより文化テンプレの一つ、と考えたほうがいい。
イスラームを文明として扱うなら、アラビア半島を中心としたイスラーム帝国が本体で、アフリカは、そこから輸出された文化を享受した周辺地域になるのではないか。たとえば中華文明の文化を一部需要した日本みたいなポジション。文化圏の設定は定義が人によって違うので面倒くさい話だが、なんとなくそう思う。