進化論とエジプトミイラの話「ミイラが現代のと一緒やから進化はしない!(ドヤア」
適当に読んでた記事にエジプトの話が出てたのでメモしておく。
進化論の考え方が登場した頃、「生物は神に造られたもので、変化しない」とする学派と、「生物は環境に合わせて進化する」と考えた学派がいたことはよく知られている。
フランス自然史博物館の博物学者ジョルジュ・キュヴィエとジャン・バティスト・ラマルクはそれぞれの派閥に属していて、議論を戦わせていたが、なんと彼らが論拠としていたものは、エジプトの、動物ミイラだったというのだ。
Before Darwin, Animal Mummies Were Used to Squash Early Evolutionary Theory
https://www.sciencealert.com/before-darwin-animal-mummies-were-used-to-squash-early-evolutionary-theory
何で…? と思ったが、
・聖書の世界観だと、世界が始まってからまだ6000年くらいしか経ってないことになっていた
・エジプトのミイラは何千年も前の古いものだと思われていた
・なので「世界の始まりの頃から動物の形が変わってないじゃん!」という証拠としてミイラが使われてた
と、いうことらしい。
地球の年齢が40億歳越えていることも、エジプトの動物ミイラは実はそんなに古くない(多くは紀元前1000年以降に作られている)ことも、知られていなかったわけだ。なるほどなあ…。と思ってしまった。
実際には、生物が変化するのに数千年では短か過ぎた。全く別の形状に変化して新しい種を生み出すのなら、数万年から数十万年は必要だっただろう。
地球の年齢がたかだか数千などではなく、世界の始まりは人類の歴史を越えたはるか以前にあったことが知られ、人類誕生前の世界があったという常識が知られるようになるのは、19世紀初頭以降。この時代を生きていた人々は、見えてる世界観がガラリと変わってついていくの大変だっただろうなとも思う。
現代人の常識を知らない人々の勘違いを無知だと笑うことは簡単だが、どうせ今の我々も数百年後の人たちからは「こんなことも知らなかったのかーw」と呆れられる立場だ。
科学の世界は日進月歩。進化論がまだ議論の途上にあった時でも、正しい見解の側に立っていた人たちがいたように、現代にも、まだ評価の定まらない様々な議論が存在する。それらに対して、後世ネタにされそうな、キュヴィエみたいな態度を取らないように心がけていきたいところである…。
進化論の考え方が登場した頃、「生物は神に造られたもので、変化しない」とする学派と、「生物は環境に合わせて進化する」と考えた学派がいたことはよく知られている。
フランス自然史博物館の博物学者ジョルジュ・キュヴィエとジャン・バティスト・ラマルクはそれぞれの派閥に属していて、議論を戦わせていたが、なんと彼らが論拠としていたものは、エジプトの、動物ミイラだったというのだ。
Before Darwin, Animal Mummies Were Used to Squash Early Evolutionary Theory
https://www.sciencealert.com/before-darwin-animal-mummies-were-used-to-squash-early-evolutionary-theory
何で…? と思ったが、
・聖書の世界観だと、世界が始まってからまだ6000年くらいしか経ってないことになっていた
・エジプトのミイラは何千年も前の古いものだと思われていた
・なので「世界の始まりの頃から動物の形が変わってないじゃん!」という証拠としてミイラが使われてた
と、いうことらしい。
地球の年齢が40億歳越えていることも、エジプトの動物ミイラは実はそんなに古くない(多くは紀元前1000年以降に作られている)ことも、知られていなかったわけだ。なるほどなあ…。と思ってしまった。
実際には、生物が変化するのに数千年では短か過ぎた。全く別の形状に変化して新しい種を生み出すのなら、数万年から数十万年は必要だっただろう。
地球の年齢がたかだか数千などではなく、世界の始まりは人類の歴史を越えたはるか以前にあったことが知られ、人類誕生前の世界があったという常識が知られるようになるのは、19世紀初頭以降。この時代を生きていた人々は、見えてる世界観がガラリと変わってついていくの大変だっただろうなとも思う。
現代人の常識を知らない人々の勘違いを無知だと笑うことは簡単だが、どうせ今の我々も数百年後の人たちからは「こんなことも知らなかったのかーw」と呆れられる立場だ。
科学の世界は日進月歩。進化論がまだ議論の途上にあった時でも、正しい見解の側に立っていた人たちがいたように、現代にも、まだ評価の定まらない様々な議論が存在する。それらに対して、後世ネタにされそうな、キュヴィエみたいな態度を取らないように心がけていきたいところである…。